買い出しもレジャーの昭和十八年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)256
買い出しもレジャーの昭和十八年秋
 十二月には、太平洋戦争を始めて三年目に入る。アメリカとの戦争前、中国での戦争では、日本本土での戦火はなく、東京市民はまるで他人事のようであった。しかし、ここに至って、我が身のことと感じるようになってきた。それにもかかわらず、政府や軍部に批判を向けようとはせず、困窮生活を押し進めている。
 それは、生活物資の欠乏が当たり前になり、十二月の「靴の“修理券”」に象徴されるように、靴を配給することすらできなくなっている。さらに、労働力の不足だけではなく、とうとう兵力も不足していることが明らかになった。十月の学徒出陣に至り、戦争を続けることは困難になっていたこと、東京市民はわからなかったのであろうか。
 現代でも、十月の時期になると、出陣学徒壮行会は取り上げられ、昭和十八年十月二十一日の明治神宮外苑競技場で第一回学徒兵入隊が催された映像を生々しく見ることとなる。東條英機首相や岡部長景文相らの出席をもとに、入隊学生を中心に十万人が集まり、その様子は、勇壮とも、悲壮とも、見る人に深く印象づけるようだ。そして、考えさせられるのは、学徒出陣をどう受け継いでいくか、それを重い課題として考えていくということである。たぶん、未来永劫に同じ見解が延べられるであろう。
 学徒の出陣をさせなければならない状況、重大な局面を迎えている中で、東京市民のできることは限られていたと考えたい。当時の市民は日々の生活に追われており、戦時体制に順応することしかできなかったと。その中でも、人々は楽しむことを忘れずに生きていた、ということ、としか言いようがない。

───────────────────────────────────────────────
昭和十八年(1943年)十月、日本軍ソロモン群島から撤退②、東京放送劇団初放送③、連休は各方面で非常な混雑が予想され、一層の自粛を促される。
───────────────────────────────────────────────
10月6日y 帝国劇場「都会の船」他好評絶賛
  7日ro 有楽座「大満員・・『おばあさん』は、実によく受ける」
  8日y 後楽園で白衣の運動会、九千名参加
  13日ro 慰問で池貝鉄工所へ、川崎大師へお参り
  15日y 靖国神社臨時大祭
  17日A 「勝敗は問題外 感激の早慶野球」壮行試合に2万の学徒
  21日a 明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」、ラジオで中継

 十月に入ってすぐ、「不急旅行は止めよう」A①と、十四日付A「連休へ足の制限を強化 検査に帰省する学生へ親心」と、東鉄では一日の時刻改正以来“足の制限”を強化。十四日から靖国神社臨時大祭がはじまり、ことに十六、十七の連休は各方面共非常な混雑が予想されるので、一層の自粛を促している。
 しかし、収穫の秋に、市民が行楽や買出しに出ないはずはない。「買出部隊にお灸」A⑲、「埼玉でも藷持出し禁止」A(21)と、買出しを「身勝手で乱す決戦生活」と批判し、野菜の配給が十分にゆきわたらないのは、買出しのせいだとでも言いたげである。が、その原因は買出しではなく、官製の配給制度に欠陥があった。そのうえ、役人たちが不正に処理したため、市民には食料が届きにくくなっていた。したがって、買出しは、不備だらけの配給制度を補う、市民の自助努力であったとも言えよう。
 有楽座は、五日の初日が『おばあさん』『エリス島』で四時開演に「ビッシリ」、二十八日の千秋楽までほぼ満員の連続。なお、東宝劇場の新国劇歌舞伎座の六代目の芝居が当たり、その他の劇場はよくなかったと、ロッパは二十七日の日記に書いている。十七日、「浅草は珍しく人出・・・木馬館へ。安来節を見に入る。トリの大和家姉妹がやっている。この頃安来節がまた復活し、ここと橘館でやっている・・・他の小屋では見られぬ昔ながらの一種卑わいなもの」と、高見順は記している。
 十六日、早稲田・慶応の野球選手の壮行試合が「二万人」の学徒に見守られて行われた。この試合が戦前最後の早慶戦となる。二十一日、「出陣学徒壮行会」が夕刊の一面トップで掲載された。明治神宮外苑競技場には、77校○○名まま)を見送る友人や後輩など男女学生「六万五千」に父兄らを含めて「計十万人」が詰めかけた。「学徒部隊の行進に、拍手、拍手、歓声、歓声、十万の眼からみんな涙があふれた。涙を流しながら手を打ち帽を振った」とある。

───────────────────────────────────────────────
昭和十八年(1943年)十一月、兵役法改正交付①、米軍ギルバード諸島に上陸(21)、レジャーに託つけて買出し。
───────────────────────────────────────────────
11月3日A 「けさ明治節 朝九時一斉に民草の奉拝」
  8日y 日比谷公園で大東亜結集国民大会、二万五千名
  10日ka 虎の門金比羅祠の縁日にてあたり賑やか
  11日na 「お酉さまの人出で混んでいる」
  15日Y 後楽園で学徒空の進軍大会、誓い固し十万人
  15日na 「向島の高木神社・・賑やかな人出」
  18日na 「今日は向島秋葉神社の祭」
  28日y 帝都防空警備演習実施

 清沢さえも、二日「朝例により百姓」、三日「朝百姓・・・ビワの木を十円で買って植う」、四日「朝、三時間・・・豆を植う」、七日「おさつを掘って蔵す」と、食べ物の確保に大変である。ロッパは五日、「食うもの全く無くなった。戦争当初、随分ひどい事になったと思ったが、あの頃は天国」と書いているように、食料難はさらに深刻になっていた。
 「釣師装ふ買出」A⑮は、釣りをするのは自由だったので、それを隠れ蓑に取締りの目をごまかそうとした。熱海での取締りでは、ミカンの買出しが2千人(ミカン11.25トン)、鮮魚は不良であったが、それでも千余人(魚類2.250キログラム)の買出し客が捕まった。なお、熱海の先の網代という漁師町には、500人が釣りの名目で宿泊していたという。熱海の手前には、湯河原、真鶴、小田原、また、網代の先には宇佐美、さらには伊東と、ミカンの産地や魚のとれる場所が続いている。一体どのくらいの人々が東京から買出しに出かけていたのだろう。
 買出しは、いくら禁止しても、あの手この手と市民は智恵をめぐらす。「言訳は聞きませんぞ野菜買出しに千葉の取締強化」A(24)という見出しでもわかるように、依然買出しは続いている。帝都常会で「年末の贈答買出し廃止」A(26)を議決したとあるが、これもむろん徹底させることはできなかった。
 東京市民は、江戸っ子気質を受け継いで、宵越しの金を持たない性分の人が多かったのか、三十一日付の新聞Aで「悪いぞ!東京都」と、全国で貯蓄が最も少ないとたたかれている。たしかに東京の人の貯蓄は目標の三割も達成されず、全国でも最下位、一位の県の半分にも満たなかった。東京は娯楽がたくさんあって、金の使い道には困らない。

───────────────────────────────────────────────
昭和十八年(1943年)十二月、学徒出陣①、競馬開催中止を決定⑰、戦局の悪化を知らぬ市民は、生活の困窮度が増しているのに前年と変わらぬ新年を向かえようとしていた。
───────────────────────────────────────────────
12月8日a 「宮城前を埋む赤子の群」
  8日y 靖国神社へ、玉砂利ふみしめて社頭の人波
  10日A “戦う玩具”を認定
  13日A 「小国民総蹶起東京大会、代々木原頭十万」
  14日y 客は七、八分増、百貨店へ繰出す人波
  15日Y 歳末年始「不急旅行は戦争妨害」切符制限
  15日Y 紅白全館「海軍」依然大盛況
  25日ro 「前売は実に有楽座のレコードを破り、一日で二万六千円・・アチャラカ三本立の魅力」
  28日y 「輸送決戦、これでいゝのか」東京から地方へ出る駅はひどい混雑
  31日na 「浅草は暗く、人もまばら」

 三日、ロッパは「銀座に出てみる。まっ暗だ。ぞろぞろと不気味な人通り・・・バアへ入ってみる。それでも客はいる、わけの分らない酒を飲まされて、うごめいている」のを見ている。高見順は二十日、「満員の盛況」な新橋のニュー・トーキョーで、「すき焼きでビール二杯」飲んでいる。
 市民には、「正月用のお酒 各戸へ五合づつ」A⑦配給された。「門松は小枝で」A⑨と、正月は簡素にとさかんにアピールしているが、実際には「門松がどしどし」A(24)の写真を見てもわかるように、小枝どころではなく大きなマツが写っている。政府の建前、「前線に正月なし」Aがそのまま見出しになっている。が、新聞をよく見ると、正月の飾り物などを売る「年の市」の賑やかな雰囲気が掲載されている。
 「癌は買出部隊」A⑯と、業を煮やしたのか、今度は鉄道輸送の面から非難を浴びせられた。が、「まだ止まらぬ買出し」A(26)と、湯河原、熱海、埼玉、群馬、千葉での買出しの状況が書かれている。正月用の酒や米などいろいろな食べ物が、買出しで確保されたに違いない。
 禁止、忠告、取締まり、厳罰と形を変えて再三圧力がかけられるが、買出しは一向に止む気配がない。レジャーは、解放感、人との交流、駆け引き、スリルなどがたくさんあればあるほど楽しい。買出しは、息苦しい東京の生活から脱出できるという解放感、農家の人との世間話や情報の交換という交流、さらに美味しい食べ物を手に入れようとの交渉、警察の目を潜って持ち帰るスリルとサスペンス(?)。買出しは、レジャーに代わりうるものであったことはまず間違いあるまい。