花譜の植物名3

花譜の植物名3
1植物名の表記について

 植物名の多くに仮名が振られており、現代名にするのに非常に役立つ。ただ、一部には、目録の植物記載と本文の植物記載が異なっている。
・たとえば、目録の「山茶木」には「ツバキ」と片仮名が添えられている。本文には「つばき」と平仮名が添えられている。何故、片仮名と平仮名に分けたのであろうか。
・目録では「杏」とあるが、本文には「杏花」とある。さらに目録では「アンヅ」と仮名は振られているが、本文には仮名がない。他にも、目録では「粉團」に「テマリ」と仮名が振られ、本文には「粉團花」に「こてまり」と仮名が振られている。
・目録では「柏」に「カシハ」と片仮名が添えられている。本文には平仮名ではなく片仮名で「カシハ」とある。さらに、本文の「柏」の左側に「カエ」と振られている。
・「臘梅花」は、目録では「カラムメ」、本文では「らふ・・」とある。また、「錦荔枝」は、目録では「レイシ」、本文では「つるれいし」とある。他にも、「平地木」は、目録では「タチハナ」、本文では「やまたちはな」とある。現代では、同じ植物を指していないが、当時は同じ植物と認識されていたのであろうか。
・目録では「柳」とあり、本文には「楊柳」とある。同じ植物と認識していたのであろう。
・「巻栢」は、目録に「イワヒハ」と振仮名とともに記されているが、本文にない

2 紹介植物の数
 目録には、各月の植物数が正月四種、二月十一種、三月三十八種、四月十六種、五月十五種、六月十七種、七月十二種、八月六種、九月四種、十月四種、十一月三種、十二月二種。木花四十四種、草花八十六種、合わせて百三十種とある。それに「草」三十四種、「木」三十三種が加えられる。合計は百九十七種、木七十七種、草百二十種と記されている。しかし、四月は15種(木4草11)しか記されていない。また、「草」は「巻栢」が抜けており33種となる。したがって、本文に記された植物数は、合計197種(木78草119)である。
 なお、本文の説明文の中には、以上の植物名の他に、桐、無花果、蘿蔔根、水梔、棗、栗、柿、楊梅、柑、柚、桑、胡桃、銀杏、消梅、豊後梅、胡蘿蔔、八重桜、山桜、榛、覆盆、映山紅、霧島、山つつじ、淀川つつじ、七重草、林檎、風車、洛陽花、藻鹽草、木綿、薊、宮城野はぎ、澤蘭、胡瓜、淡竹、苦竹、女竹、雪竹、鳳尾竹、紫竹、地筋、男松、女松、しだれ柳、ねずみもち、豇豆、柞木など、50程の植物名が記されている。

3 貝原益軒が中国の資料では見ていない植物
 貝原益軒は、『花譜』に「からの書にて吾いまだみざる物多し左にしるしてしれる人を待」と記しと、36種の植物名をあげている。中国の資料を見ていないということは、中国には生育していない植物の可能性が高い。我が国固有の植物と推測される植物であろう。そのため、日本の書から情報を得るか、自ら生育して性状などを記したことになる。そのような植物、36種について、以下のように考察した。
・「小櫻」・・・目録に「ヒガンザクラ」と仮名が振られている。本文では仮名がない。「小櫻」はヒガンザクラ(バラ科)と推測した。なお、「小櫻」について、『花譜』以前に書かれた資料がどのような書であるか不明である。そこで、以下のような資料をもとに検討を行った。
 ヒガンザクラの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『蔭凉軒日録』(1463年)とある。また、花材としての初見は、『立花正道集』1684年(天和四年)で「ひがん櫻=彼岸櫻」と記される。
 『和漢三才図会』(寺島良安編纂・正徳二年1712年頃)には、「小櫻」と「彼岸櫻」が記されている。「小櫻」は「中花淡 紅八重」とある。「彼岸櫻」は「小白単葉春分後彼峯開先于餘櫻」とある。『和漢三才図会』の記述からは、「小櫻」と「彼岸櫻」は同一ではないようだ。そのため、『花譜』の「小櫻」は、ヒガンザクラであるか疑問が残る。
 『牧野新日本植物図鑑』には「小櫻」の記載はない。ヒガンザクラ(コヒガンザクラ)は「ウバヒガンとマメザクラの雑種であるといわれている。」とある。
 『樹木大図説』によれば、ヒガンザクラの別名として「コザクラ」はあるものの、「小櫻」の表記はない。
 その他、『櫻品』(奈波道円・出版年月日元文3年1738年)に、「彼岸櫻」の記述に続いて「小櫻」、「花譜又曰彼岸櫻本名ハ小櫻俗ニ彼岸櫻ト云・・・」とある。
 また、『怡顔齋櫻品』(松岡恕庵著・宝暦八年1758年)に、「櫻品 怡顔齋松岡玄達先生撰・・・六十有九種」の中に、「小櫻 怡顔齋曰山櫻の一種也」とある。

・「垂絲櫻」・・・目録に「イトザクラ」、本文に「いとざくら」と仮名が振られている。から(中国)の書に記されていない、日本独自の樹木ということと推測される。
 シダレザクラバラ科)の初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『散木奇歌集』(1128年頃)とある。花材としての初見は、『立花指南』1688年(貞享五年)で「糸桜」と記される。
 『花譜』の「垂絲櫻」は、シダレザクラバラ科)であるとした。

・「櫻」・・・以上を含めサクラ類の記述は、中国の書は参考にしておらず、国内の資料をもとに記したものであろう。本文の始めに、「櫻」はヤマザクラを示すように記されているが、その後には他のサクラの品種にもわたって記述されていることから、総称名の「サクラ(バラ科)」とする。 
                 
・「草棣棠」・・・目録に「クサヤマブキ」、本文に「くさやまぶき」と仮名が振られている。「草棣棠」はヤマブキソウキンポウゲ科)とした。
 ヤマブキソウの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花壇綱目』(1664年)とある。花材としての初見は、『生花枝折抄』1773年(安永二年)で「金絲梅」と記される。
 貝原益軒は、『花壇綱目』を『花譜』の参考文献に記さなかったが、見ていたのだではなかろうか。「草棣棠」の記述は、実際に栽培していたかもしれないが、何らかの資料をもとに記したのでは。

・「華鬘」・・・目録に「ケマン」、本文に「けまん」と仮名が振られている。「華鬘」はケマンソウキンポウゲ科)とした。
 ケマンソウの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『尺素往来』(1481年前)とある。『尺素往来』は参考文献にあるが、植物名だけである。貝原益軒は育てるか、他の資料を参考にしていたことになる。
 なお、花材としての初見は、『山科家礼記』1491年(延徳三年)で「ケマンケ」と記される。

・「鈴掛」・・・目録に「ススカケ」、本文に「すすかけ」と仮名が振られている。
 コデマリバラ科)の初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『毛吹草』(1645年)とある。貝原益軒は、『花譜』の参考文献に記さなかったが見ていたのだろうか。見ていなければ、栽培するか他の資料を参考にしていたことになる。
 花材としての初見は、『立花大全』で「小手鞠」1675年(宝永三年)と記される。「小粉團(すゞかけ)」と記されたのは、『生花枝折抄』1773年(安永二年)である。
 茶花としての初見は、『隔蓂記』1649年(慶安二年)に「小手鞠」記される。
 「鈴掛」は、コデマリバラ科)と推測する。

・「雪柳」・・・目録および本文にも仮名はない。貝原益軒の偏した『大和本草』には「漢名知らず」とある。「雪柳」はユキヤナギバラ科)と思われる。
 ユキヤナギの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花譜』とある。「雪柳」の表記は、1698年(元禄十一年)に刊行された『花譜』が最初らしい。
 ただ気になるのは、ユキヤナギは、『古今夷曲集・寛文六年(1666)年刊』に「こごめの花」と読まれいる。当時は、ユキヤナギは「小米花・コゴメバナ」の方が一般的だったのではなかろうか。
 さらに、花材としての初見は、『池坊専応口伝』1542年(天文十一年)で「米柳」と記される。なお、「雪柳」と記されたのは『古流生花四季百瓶図』1778年(安永七年)が最初である。

・「櫻草」・・・目録に仮名はなく、本文の「櫻」に「さくら」と仮名が振られている。「櫻草」はサクラソウサクラソウ科)であろう。
 サクラソウの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『山科家礼記』(1491年)とある。延徳三年三月十六日の日記に「・・・御学文所棚心桜草・・・・」とあるように、15世紀末の生花の世界では良く使われたようで『山科家礼記』に3回登場している。

・「庭櫻」・・・目録および本文にも仮名はない。「庭櫻」はニワザクラ(バラ科)と思われる。
 しかし、『樹木大図説』によれば「中国北部の産、江戸時代初期に日本に入った。」とある。また呼称について、万葉集に登場する「ハネズ」がニワザクラとの見解もある。
 ニワザクラは「㮋李」とも記す。明時代の『汝南圃史』(1620年)に「㮋李、俗名壽李・・・花有三種。一種開細白花,單葉,結子如櫻桃,甘酸可食,二月開花,六月中熟,即㮋李也。一種開細白花,千葉,俗名喜梅,又名玉蝶。一種開細紅花,千葉,俗名玉梅。皆㮋李之類,而千葉者結實多雙,此為異耳。《本草》郁李仁,取單葉者,十月中分栽。」とある。
 ニワザクラ(バラ科)の初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『散木奇歌集』(1128年頃)とある。
 花材としてのニワザクラの初見は、『花譜』刊行以前にいくつも記されている。『替花伝秘書』1661年(寛文元年)では「庭櫻」、『立花正道集』1684年(天和四年)では「庭さくら」、『抛入花伝書』1684年(貞享一年)では「玉帯花」、『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)では「朱櫻」、『立花便覧』1695年(元禄八年)「にはさくら」などがある。