★雨の種類(安永二年九月・十月)

江戸庶民の楽しみ 31
★雨の種類(安永二年九月・十月)
 信鴻の日記を読むと、日付の次に天候が記されている。その記述が詳細で、日長に丸一日空を見ていたのではないかと思わせる。現代だって気象の変化は、江戸時代とそんなには違っていないはずである。
 天候の判別(気象庁)は、快晴・晴れ・薄曇・曇り・煙霧・砂塵嵐・地吹雪・霧・霧雨・雨・霙・雪・霰・雹としている。科学的な基準で判別するもので、微妙な変化や様相を示すには大まかすぎる。それに対し信鴻の判断は情緒的で主観によるため、「快晴は、空全体に対して、雲の占める面積が2割未満の状態。」や「晴れは、雲の占める面積が2割以上9割未満の状態。」の基準をもとにしているわけではない。
 「晴」に該当する日記の記述を示すと、「大快晴・快晴・快霽・蒼天・大晴・はるゝ・日和よし・日和好・日和好冱」などがある。「大快晴」は、全く雲がない事なのだろうか。「快晴」は、現代の快晴に該当するものと思われる。「快霽」は、「霽」の意味、「はれわたる・さわやか・心がさっぱりする」などの意味合いを示したものであろう。「蒼天」は、空の蒼さを強調するものだろう。「大晴」は、「大晴弧雲」「大晴白雲流」と記され、雲の存在が印象的であったのだろう。「はるゝ・日和よし・日和好・日和好冱」は、気象庁の快晴に含まれ、気分のよさを加味したものであろう。また、「快晴大麗」のように、修飾語を添える表現があり、「麗・うるわしい」気分を表したものだろう。「日色朗々」も晴れを示す中に、澄み渡る感触を感じたものだろう。その他にも、「快晴大昊薫」など晴れに加えて「空薫」という表現もある。なお、五月晴れ、秋晴れなどの言葉は見つからない。
 「曇」に該当する日記の記述を示すと、「曇り・雲あり・大曇り・一面陰雲満・有雲・鰯雲多し・雲靉靆・鬱雲多・陰少・陰る・薄陰・陰勝・雲折々日色を覆ふ・花陰」など、「晴」より数が多い。これらの表現は、気象庁の「薄曇・雲の占める面積が9割以上で、巻雲、巻積雲または巻層雲が多い状態。」や「曇り・雲の占める面積が9割以上の、前記以外の状態。」では納まらない表現である。「陰」を曇のカテゴリーに含めたが「一面陰雨折々少し」と、文字通り明暗を示しているのであり、現代の曇とは異なる。「雲あり・有雲・鰯雲多し・薄陰・陰少・陰勝・雲折々日色を覆ふ」は、現代だと晴れと判断するかもしれない。分かりにくい表現に「靉靆(あいたい)」があり、雲が「たなびくさま」「空を覆う様」を表したものであろう。気になるのは「花陰」で、「花曇り」とは記していない。感覚的には、「花陰」の方が馴染む。
 「雨」について、気象庁は「雨は、直径0.5mm以上の水滴が降っている状態。」「霧雨は、直径0.5mm未満の細かい水滴だけが降っている状態。」。なお、「みぞれ(霙)は、雨と雪が混ざった降水の状態。」「雪は、結晶状態の氷滴が降っている状態。」「霰(あられ)は、直径5mm未満の氷滴が降っている状態。」「ひょう(雹)は、直径5mm以上の氷滴が降っている状態。過去10分以内に、雷電または雷鳴があった状態。」などとしている。
 信鴻の記述には、「雨・小雨・猛雨・時雨・村雨・繊雨・雨蕭・霪雨・雨森々・沛然・霈然・霂霡・霖淫・霖雨・大澍・霎・白雨・涼雨」など、「曇」以上に数が多い。これらのうち「雨・小雨・猛雨・時雨・村雨」は、今でも普通に使われる。「繊雨」も、何となく「糸のように細い」雨、それも「こまやか・しなやか」に降る様を感じる。他については、次のように推測する。「雨蕭」は、「しとしとと降り続く」雨。「霪雨」は、「降り続くなが」雨。「雨森々」は、雨が「奥深く静まりかえってふるさま」。「沛然」と「霈然」(はいぜん)は、使い分けていることから、違いがあるかもしれないが、「雨が勢いよく降るさま」を示すものだろう。「霂霡」は、「昔の書き言葉で小雨」を示すらしいが、小雨よりさらに細かい雨を指しているのではなかろうか。「霖淫」「霖雨」は、長雨を示すと思われ、それも「霖淫蕭々寒」と使用され、寒々しく止むことのなく続く雨を表していると解釈した。「大澍」は、「澍」が「うるおう」「慈雨」の意味から、程よい時の大雨と推測する。「霎」は、通り雨、小雨らしいが、瞬く間の雨と推測する。「白雨」は、俗に言う天気雨、「明るい空から降る雨」であろう。「涼雨」は、「涼しさをもたらす夏の雨」であろう。この他にも、「雨滂泥」があり、雨が激しく流れ落ちるさまを示すものであろう。「雨霏々」は、細かい雨が舞うように降っている様を示すのであろうか。
 以上の他にも、天候に関する様々な表現があり、その記述を見るだけでも楽しい。江戸時代の人々の感性の細やかさは、このような天候観察、自然観察から育まれたものだろう。

九月
朔日丁巳  快清西風  今夜より幮をつらす
○水分石の雑樹を伐、芝を刈、式八出、水分石ニ而蕎麦喫
二日  陰寒夜四半より雨夜中風雨大猛
○吹上渚の芝を刈、水分石弁当
三日  暁大雨風止五半頃より蕭雨八前より快晴西風少暑風颯々夕よりさむし
○園中初茸廿二枚とる○芝を刈、水分石弁当
四日  陰
○朝初茸をとる十九枚○水分石芝刈
五日  薄雲寒
○初茸二十七枚とる○住居縄張を荒井・渡辺に命す○今日より普請場所の林を伐
六日 四比より雨森々大寒
七日  快晴寒
○芦辺の芝を刈、妹背山弁当
八日  快晴寒昼より次第にくもり夕かた一面陰くれより雨森々滂泥
○芦辺の芝を刈
九日  雨霏々五半比より日色出、夕かた雨次第に森々夜更風つよく樹々皆鳴
○七前より出汐湊の芝を刈、暫時雨至而芷を刈らすかへる
十日  風颯々梢を鳴す快晴なまあつし
○初茸取二十九枚稲荷へ詣、薮より通を見る○芦辺芝を刈
十一日  快晴夕少あつく夜より大に寒し
○蘆名古山の芝を刈
十二日  朝大に寒し
○初汐の湊の芝を刈
十三日  薄雲無月
○初汐岡芝を刈
十四日  次第晴
○昨日の場所の芝を刈
十五日  快晴
○段兵衛ニ庭前の菊花を貰ふ○森元町より樹木の柿貰ふ○朧月坡の芝を刈
十六日  快晴
○芝を刈
十七日  陰七半過より小雨
○吟哦亭の芝を刈、今日ハお隆不出
十九日  雲多北風つよし
○吟哦亭の芝を刈
二十日  快晴暖夕一挙雲時雨少夜より雨蕭々
○吟哦亭の芝を刈
二十一日  雨蕭々暖五半頃より大澍雲冥々八過止くれ前晴宵より又雨
○義範より菊花貰ふ○秋元老侯より園中の菊花手紙にて給ふ、即答
廿二日  雲多夕かたあつく袷を着東角黒雲たな引
○初茸廿はかり取る○太隠嶺表庭の芝を刈
廿三日  秋雲多
○町・籬に小菊鉢うへ、造酒に山茶花貰ふ
廿四日  くもる
○四半頃米杜来、庭の菊花貰ふ○米杜に菊鉢植貰ふ○花垣山芝を刈
廿五日  陰勝昼快晴
○今日より普請場の樹根ほり○花垣山を刈る、お隆初入岡を刈
廿六日  秋雲あり天気好昼より一面陰り八前より小雨次第に森々夜沛然九比より快晴
○園中の池の堀へき所を縄張
廿七日  快晴次第に北風烈々
○花垣山の芝を刈
廿八日  大寒快晴次第にうす陰宵蕭雨
○花垣山の芝を刈○九年母鉢殖を仙橘に貰ふ○かむ来、庭を見せる
廿九日 快晴
○妹背山の芝を焼○芝を刈、水分石弁当

十月
朔日丙戌  陰寒
○義範より菊二種・水菜貰ふ○初入湊の芝を刈、杉を伐
二日  晴
○藤代の芝を刈
三日 四前より雨森々昼くらし九比日色出八より雨止
四日  雲有り
○芦辺芝を刈○仙宅長屋に預ケし柊を妹背山南麓へ殖○芝辺の杉を伐
五日  陰
○立三・仙宅・仙順・長純・松悦に南天鉢うへ貰ふ○芦辺の芝を刈、嘉肇庵へ詣
六日 陰四過より雨蕭々昼くらし夜に入止
七日  大快晴晴暖夕かた南雲漠々
○池中吹寄の芥をとり棄る○芦辺の芝を刈
八日  陰
○芝辺山の内を刈
九日  快晴寒夜列風
○芦辺を刈
十日  快晴寒
○せい父吉右衛門来、庭をみせる、町・せい同道○芦辺の豁中を刈
十一日  快晴大寒快晴次第にうす陰霜柱はしめて如雪
○ほの・荒二郎同道要・政直同道にて庭を見○芦辺の披上より芙蓉よく見ゆる
十二日  快晴夕かた次第にくもりて蕭雨くれ前南海の音聞ゆ
○芦辺浜中を刈
十三日  雨蕭々九頃より次第に雲ちり天気好八過より又曇夜七前少地しん
○上総の浜石貰ふ○芦辺山上を刈
十四日 薄曇昼大快晴一挙の雲なし次第に曇南風七頃時雨二度夜寒月清明
十五日 快晴北風栗烈大寒
十六日  快晴大寒霜はしら立
○住両親来、庭を見せ、母とまる
十七日  快晴
○昼田の側の刈薄へ火を付、甚燃あかり、日雇の者消す
十八日  大寒霜柱一面夕くもる夜みそれ少
○由兵衛上野へ行、水仙を貰ふ
十九日  陰寒し昼より寒雨蕭々亥下より西風大猛樹々鳴
廿日  西風大猛快晴昼夜烈風
廿一日  北風大猛
○おもんよりお隆へ文来、返書つかハす、柑実送る
廿二日 快晴
○五半出宅供浅野・雄島・石井・渡辺・久里・五加藤・新井巳上七人 忍駕加賀侯邸より西折、油島参詣、夫より歩行、昌平橋通筋東橋一丁東側新亀屋大和茶にて休み、通より日陰町神明参詣、夫より増上寺表門萱焚天神、赤羽より乗輿、新堀へ参る、道明寺糒さし上、もうる帯おもんへつかハす 四半着
廿三日  快晴
○藤代の芝を焼
廿四日  快晴暖
○八半前より出宅、供新井・池田・高田・好兵衛・大谷・狩野・平井・新介・表門より北へ田中横道より右折、町うら藪陰を行、御鷹部やのわきより堂坂畔道を行、日暮里繋舟松下床机にて休む 里人芝焼を見 法花寺ニツを過き超波・嵐雪か碑を見、浄光寺にて暫眺望、かさ森参詣、去年の回録にてかり殿也、いろは茶崖を過、谷中口より宮様の前通り坂を下り山下にかかり弁天参詣、西側茶屋に休み中町通り・・・油島三甫右衛門芝屋のうしろ山藤屋ニて休む・・・茶屋二階より通り眼下に見ゆ、暮て起つ、加賀前通り本郷より帰る、六半過着
廿五日  雲多北風寒
○枯芦を焚
二十六日  雪霏々うすし
○村上権平より柊二株・珊瑚珠一株・橘一株貰ふ
廿七日
廿八日  朝晴次第にくもる
○八より啜龍・珠成同道、股引にて出宅(小枝・木俣・五加蔵・浅野・仙順)裏門より和泉境(雪ちらちら降出す)巣鴨町へ出、板橋道へ半丁はかり行すき、往来の出家に習ひ酒屋横丁より西折畑道を行、又ハ直行左折、或ハ村落に入藪陰を行、具茨侯隠宅を左に見、大檜列樹に入、一坐の寺あり磴道をのほり見る、観光寺の扁額をかゝく、地蔵堂右方に有、本堂乾浄、直に下り土梁をわたる、下大石二三丈はかり、水石ノ狭を流る・・・又村落を行、道を問々行、勿に護国寺の大道を得、護国寺本堂を見、右方の水茶屋に休む、屋頭落葉胥?かことし、寺右の門より畔道をとりゆく、雑司谷下向に逢ふ、雑司谷小像開帳、堂上賑ふ、夫より千年堂を見る堂前鳥居前左側いつやに鬼子母休む、蕎麦を喫、暫く休み帰路左道を取る・・・道にて大風車を求め、啜龍・珠成・仙順肩にかけ行、酔飽漢あり、芝の田町の道を問ひ問ひ同行、口題目を誦す、音羽町を過、橋より手前にて左折、久世侯下邸の前を過、道を問ひ問ひ行、右折細径に入、三辻有、行人に問ヘハ杉並坂といふ、茗荷谷の道を問ふ、伽蒲茶うり来りて、已は氷川横原町へ帰る者也、氷川へ出給ハ已に順ひ来給へ、といふゆへ悦ひて道々物語して行、左右大木せはく日没も過ぬれ、道甚すごし、かゝる所を十八町はかり行て、守山侯邸の前へ出、下り阪道沼のことし、草履捨て歩行、既に夜に入、木橋をわたる(猫またの上流也)又坂をのほる、啜龍・珠成・仙順二十間計前導、竹笠を戴き合羽を着、坂下にて伽蒲茶うりに逢ひ、直行するか便也、坂を升るハ迂回也と争ふ、此者本是知己の様子也、言葉鼻にかゝりて笑ふへし、啜龍とゞめて沙門とす、其鼻声をまねる故、(彼水戸の家中にて六十計の老人也口題目を誦して不絶)者怒気発り笠を脱きて、笠を被り言語せし事を謝す故に、皆々彼是挨拶すれ共ついにかふらす、題目を誦して阪を登る、やかて横原町に至り伽蒲ちや売と別れ青蚨を与へ右行す、已に夜に入、火を提燈に点す、行事十町 計、辻番に問ふ、是わか邸南の加賀侯の辻にて左は予か邸の藪也、和泉境是也、夜かしこを行事を忌ゆへ、番人に問ひ又引かへし 東折、八丁計にてふし前辻番に出、六半前かへる
廿九日  快晴寒つよし
○芥及芝を焼
三十日  快晴
○玉井・直崎召連、庭を廻る