江戸庶民の楽しみ
江戸・東京庶民の楽しみ 97 東京庶民が始まる ・江戸が東京となる 慶應4年7月、江戸が東京となる。明治1年9月年号が変わる。この違いの経緯、江戸庶民には理解しがたいというか、考えもしなかったであろう。 明治になって、それまで幕府によって制約を受…
江戸・東京庶民の楽しみ 96 江戸から東京へ ・まだ江戸時代 1868年の正月は、正確に言えば明治元年とは言えない。改元が九月八日だから、この年の正月は、江戸時代最後の正月となった。 正月三日に始まった戊辰戦争で幕府軍は大敗し、将軍慶喜は江戸に逃…
江戸庶民の楽しみ 95 改元前年の庶民 ・来年は明治時代 慶應3年の江戸庶民には、来年が明治時代になるなんて思いもつかない。元号が変わっても、庶民の生活が何ら変わらないことは、平成から令和になった時でも同様である。当時の情況といえば、孝明天皇が…
江戸庶民の楽しみ 94 江戸の打ちこわし ・打ちこわしと一揆 慶応の打ちこわしを詳しく見てみよう。まず、打ちこわしの発生する前の江戸および周辺の状況をいくつか具体的に示す。 慶応二年、江戸市中には、米の高騰や売り惜しみをする者の処刑を宣告する張札…
江戸庶民の楽しみ 93 お蔭参りとええじゃないか騒動 ・伊勢参りからお蔭参りへ 江戸時代、「お蔭参り」と呼ばれる伊勢神宮への集団的な巡礼行動が周期的に繰り返された。もともと伊勢神宮への信仰は、江戸時代以前から民衆に広がっており、参詣も年を追うご…
江戸庶民の楽しみ 91 幕末庶民の食糧事情 ・庶民の生活 幕末の江戸庶民の食糧事情は必ずしもよかったとはいえない。が、危急の折の救済システムは比較的うまく機能していたようだ。安政二年十月二日の大地震の後は、諸物価が高騰した。が、この時、町会所は…
江戸庶民の楽しみ 90 外国人と幕末の庶民 ・物見高い江戸の人々 公式に江戸を訪れた外国人の筆頭は、安政四年十月のハリス一行だろう。ハリスは、アメリカの国旗を掲げ、馬に乗って颯爽とした江戸入りを望んだようだが、結局、日本の風習にならって駕籠で行…
江戸庶民の楽しみ 89 世相を映す幕末の見世物 安政年間(1854~59年)の見世物と言えば、まず第一に張子細工の活人形であろう。活人形の呼び名はその人形が「まるで生きているようだ」ということから付けられた。もっともそれ以前にも、たとえば文政期の「七…
江戸庶民の楽しみ 88 ペリー来航と庶民 嘉永六年(1853)六月三日、ペリーは四隻の戦艦を率いて江戸湾に入った。幕府は予期してはいたものの、ペリーが最初から戦闘も辞さない高圧的態度であったため、狼狽した。幕府は、旗本、御家人にただちに非常出陣の用…
江戸庶民の楽しみ 87 祭は庶民のものになる 江戸の祭は、慶長十八年(1613)神田明神から神輿が渡ったことからはじまる天王祭と、元和元年(1615)に山王権現から山車練物がはじめて江戸城内に入った山王祭が特に有名である。神田明神と山王権現は、将軍家の…
江戸庶民の楽しみ 86 開帳より見世物が目当て 江戸時代に見世物を、どのくらいの人々が見ていたかは、わからないと諦めていた。ところが、明治初期の1877年(明治十)から数年にわたって、月別の観客数が東京府の統計に記録されていた。 このデータは、税金…
江戸庶民の楽しみ 85 信心に託つけた 遊びを見直す 現代に比べると江戸時代は、閉塞した社会だと思いがちだが、遊びに関しては意外に自由で発展性があった。江戸っ子は、時間を持てあますこともなく、遊びをより豊かなものにしていった。彼らが日常、追い求…
江戸庶民の楽しみ 84 四季の行楽 1841(天保十二)年、水野忠邦を中心に、奢侈を禁じ、風俗を取り締まる天保の改革が始まった。早速、不忍池新土手の茶屋は風紀を乱すという理由で残らず撤去。神田権現祭礼の付祭は減少、江戸三座の浅草移転、女義太夫三六人…
江戸庶民の楽しみ 83 庶民の元気を示す見世物 見世物に関する情報は、江戸や大坂など主要都市をはじめ、全国レベルで行き交っていた。大坂で人気を呼んでいる出し物があると聞けば、すぐに江戸の香具師が出かけていって品定めをし、ものになりそうな見世物で…
江戸庶民の楽しみ 82 盛り上がる寄席 寄席が江戸で常設となったのは、大坂から下った岡本万作という男が、町の辻々にビラを張って神田豊島町の藁屋の二階で興行した1798年(寛政十)である。なお、寄席が初めて開設されたのは、それよりも約五十年前(延享二…
江戸庶民の楽しみ 81 富籤に託した一攫千金の夢 一鉢の植木が時にとんでもない利益を生むことから、園芸で身を立て、成功をおさめる者がでる一方、本業を放り出して、落魄する者もあったことが『遊歴雑記』に記されている。いつの世にも、一攫千金を夢見る者…
江戸庶民の楽しみ 80 庶民を巻き込んだ園芸のバブル 一八〇四年(文化元)頃に、堀切村(現葛飾区)の百姓小高伊右衛門が安積沼から菖蒲の苗を移植し菖蒲園作りに着手した。また、佐原鞠塢が寺島村に花屋敷(新梅屋敷、現在の向島百花園)を開いている。 一…
江戸庶民の楽しみ 79 十九世紀の江戸は庶民の都市となる 文化・文政年間(一八〇四~三〇年)は、江戸庶民による行楽活動が一段と盛んになった時代である。幕府の政治力・財政力が衰退する一方、農村にも商品経済が浸透し人々の生活は豊かになっていった。ま…
江戸庶民の楽しみ 78 寛政年間 ★天明九年・寛政一年1789年 2月 柳橋大のし楼屋で咄の会第三回を催す 3月 回向院での駿河富士本宮浅間開帳を含め開帳3 春頃 葺屋町で栗鼠の軽業興行 夏頃 深川八幡での成田山開帳(奉納物多ク参詣人多数)を含め開帳5 6月 山…
江戸庶民の楽しみ 77 ★天明四~八年 ★天明四年1783年の主な娯楽・行楽関連の事象 1月7日 浅草甚賑也 1月 中村座で『筆始勧進帳』初演 1月24日 吾つま橋際地蔵尊百万遍の菓子を往来へ投与ふるゆへ人群集、浅草群行賑也 閏1月2日 浅草参詣、境内賑也 2月1…
江戸庶民の楽しみ 76 天明一~三年 ★安永十年・天明元年1781年の主な娯楽・行楽関連の事象 1月18日 凌雲院大師へ、大熱閙人叢分かたし、清水参詣、山内(上野)群集 2月1日 浅草参詣、本堂にて談儀、参詣賑し 2月朔日より 浅草妙音寺にて鎌倉名越谷長…
江戸庶民の楽しみ 75 安永七~九年 ★安永七年1778年 1月3日 湯島への塗中礼者多し、中町より山下弘徳寺塗中市の如く群集 1月18日 塗中群集夥し、風神門わき太神宮へ行人熟閙押分難し、芥子蔵鉄輪を切、帰る塗中猶群集 1月 中村座で『國色和曽我(カイドウイロヤ…
江戸庶民の楽しみ 74 安永四~六年 ★安永四年1775年 1月 中村座で『垣衣恋写絵』仲蔵の大日坊と葱売り所作大評判 2月25日 加賀前より湯島参詣人叢分かたし 3月 深川八幡で勧進相撲 3月17日より 回向院にて、京清水圓養院開帳手観世音開帳 3月29日より …
江戸庶民の楽しみ 73 安永年二~三年 江戸庶民の行楽情報の多くを『武江年表』から得ていた。だが、柳沢信鴻の日記を見るにつれて、それだけでなく加えて、もっと多くの情報が記されていた。信鴻の日記に注目するのは、訪れた行楽地の混雑状況、「大群集」や…
江戸庶民の楽しみ 72 ★天明四年冬・十月~十二月 ★十月 朔日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)富士前より(略)日長原にて烟を弄し(略)車坂より出、元良院墓を見る(略)風神門(略)伊勢屋に休む、少しあつき故小袖一つに成 単羽織着る、薩埵拝し(略)御手洗へ鰻廿七…
江戸庶民の楽しみ 71 ★天明四年秋・六月~九月 ★六月 四日○八半前よりお隆同道浅草(略)谷中通、車坂下(略)浅草中町(略)伊勢屋へ(略)薩埵拝し鰻を放し、榧八幡参詣、甚三郎・萩原と芥子助見に行、芸をせさる由にて帰る、因果地蔵拝し、又伊勢屋へ寄、並木を下…
江戸庶民の楽しみ 70 ★天明四年夏・三月~五月 ★三月 四日○四半比よりお隆同道浅草参詣(略)御成門前人留故西門より(略)巣鴨通、据町に見通しの障戸を立る、もはや人通すゆへ世尊院前へ出、首振坂上に繩を張人固め居たり(略)谷中門(略)車坂(略)伊勢屋に休(略)…
江戸庶民の楽しみ 69 ★天明四年春・一月~二月 ★一月 七日○九ツ過よりお隆同道浅草参詣(略)浅草甚賑也、伊勢屋に休む(略)薩埵拝す、御堂廻り因果地蔵へ詣、又伊せ屋に休む、昆布巻鮒貰ふ(略)並木を下り(略)山下より中町、湯島、女坂へ入る前にて露竹馬にて通…
江戸庶民の楽しみ 68 ★天明三年冬・十月~十二月 ★十月 二日○七頃より(略)菊花を見る(略)西門より(略)左太郎菊を見る(略)客少在、稲荷裏より権左衛門菊を見、表へ出弥三郎菊を見る、客多く酒呑居たり、四郎左衛門菊にて橡をかり茶を飲、和泉境より庄八庭へ行…
江戸庶民の楽しみ 67 ★天明三年秋・七月~九月 ★七月 六日○当年の大炎暑○暮過より南方震動の如く響き蝿中迄出る、先年大島焼し時の如くにて続ミ不止、四半時許にて問遠く成○夜なを震動の音響き脈られす 七日○早朝より一面曇り空薄赤く胴中樹々霧の如く烟をこ…