信鴻のガーデニング天明三年

信鴻のガーデニング天明三年
 天明三年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。
○一月
 一月の日記には5日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、5日ある。収穫の記載は2日ある。それら日記に記された植物名は7、5種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。
 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。
 「萩」は、総称名ハギ(マメ科)とする。
 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。
 「福寿草」は、フクジュソウキンポウゲ科)とする。
○二月
 二月の日記には16日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、14日ある。収穫の記載は15日ある。それら日記に記された植物名は26、8種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「つはき」は、ツバキ(ツバキ科)とする。
 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。
 「木瓜樹」は、ボケ(バラ科)とする。
 「もちの樹」は、モチノキ(モチノキ科)とする。
 「嫁菜」は、ヨメナ(キク科)とする。
○三月
 三月の日記には19日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、6日ある。収穫の記載は17日ある。それら日記に記された植物名は51、15種である。この年の新たな植物の種類は13種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。
 「楓」は、カエデ(カエデ科)とする。
 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。
 「松露」は、ショウロ(ショウロ科)とする。
 「杉」は、スギ(スギ科)とする。                             
 「蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。
 「躑躅」は、ツツジツツジ科)とする。
 「彼岸桜」は、ヒガンザクラ(バラ科)とする。
 「藤」は、フジ(マメ科)とする。
 「松」は、マツ(マツ科)とする。
 「宮城野萩」は、ミヤギノハギマメ科)とする。
 「桃」は、モモ(バラ科)とする。
 「芳野の桜」は、ヤマザクラバラ科)とする。
 「蕨」は、ワラビ(ウラボシ科)とする。
○四月
 四月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、22日ある。収穫の記載は11日ある。それら日記に記された植物名は27、13種である。この年の新たな植物の種類は7種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「菖蒲」は、アヤメ(アヤメ科)とする。
 「夘木」は、ウツギ(ユキノシタ科)とする。
 「木耳」は、キクラゲ(キクラゲ科)とする。
 「杜鵑」は、サツキ(ツツジ科)とする。
 「石楠木」は、シャクナゲツツジ科)とする。
 「母子草」は、ハハコグサ(キク科)とする。
 「艾葉」は、ヨモギ(キク科)とする。
○五月
 五月の日記には11日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、14日ある。収穫の記載は8日ある。それら日記に記された植物名は21、14種である。この年の新たな植物の種類は7種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、5日である。
 「蕣」は、アサガオ(ナス科)とする。
 「芣菖」は、オオバコ(オオバコ科)とする。
 「燕子花」は、カキツバタ(アヤメ科)とする。
 「菊」は、キク(キク科)とする。
 「花菖蒲」は、ハナショウブ(アヤメ科)とする。
 「槙」は、総称名マキとする。
 「自然薯」は、ヤマノイモヤマノイモ科)とする。
○六月
 六月の日記には11日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、11日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は15、13種である。この年の新たな植物の種類は7種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、6日である。
 「紫陽花」は、アジサイユキノシタ科)とする。
  「から橘」はカラタチバナヤブコウジ科)とする。
 「秋海堂」は、シュウカイドウ(シュウカイドウ科)とする。
 「茄子」は、ナス(ナス科)とする。
 「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
 「筍」は、マダケ(イネ科)とする。
 「百合」は、総称名ユリ(ユリ科)とする。
○七月
 七月の日記には3日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、2日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は3、3種である。この年の新たな植物の種類は2種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。
 「桔梗」は、キキョウ(キキョウ科)とする。
 「山吹」は、ヤマブキ(バラ科)とする。
○八月
 八月の日記には6日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述はない。収穫の記載は、7日ある。それら日記に記された植物名は12、5種である。この年の新たな植物の種類は3種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。
 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
 「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。
 「紫蘇」は、シソ(シソ科)とする。
○九月
 九月の日記には19日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、1日ある。収穫の記載は20日ある。それら日記に記された植物名は13、4種である。この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。
○十月
 十月の日記には18日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、8日ある。収穫の記載は6日ある。それら日記に記された植物名は12、8種である。この年の新たな植物の種類は3種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、8日である。
 「柿」は、カキノキ(カキノキ科)とする。
 「八重桜」は、サトザクラバラ科)とする。
 「山椒」は、サンショウ(ミカン科)とする。
○十一月                                          十一月の日記には8日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、17日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は12、5種である。この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録もない。
○十二月                                          十二月の日記には3日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は3、2種である。この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は三日ある。
                                            
○信鴻のガーデニング天明二年およびそれ以前との違いを見る。
 信鴻の天明三年のガーデニングを見ると、前年より全体的に活動が低下している。春から夏にかけてのツクシやタンポポなどの春草摘み、「傅芝を焼」「草根を掘」などはさほど変わらない。夏季はもともと収穫活動は少ないものの、前年多かった「傅芝を刈」は激減している。秋に入って、栗拾いはそこそこあるもの、初茸狩が増えず、収穫活動が減少した。なお、初茸が不作であった可能性も考えられる。例年なら秋に入ると、台風などの風による枝折れなどの処理をしているがほとんどなく、「傅芝を刈」もない。冬には例年同様、作業は減少し、前年よりも減少している。結果として、収穫は94日で27%と前年より5%減少している。作業は110日、31%と前年より15%も減っている。
天明三年は、日記に植物名が記された日数は132日(37%)である。植物名は249で、前年の85%と減少している。少ない。植物名の最も多いのはスギナ30である。次いでショウロとタンポポが21、ウメが20、クリが15の順になっている。植物の種類は56種で、前年より5種少ない。そして、これまで必ずあった新しい植物は1種もなく、これまでに記された種類は変わらず、253種である。