信鴻のガーデニング天明四年

信鴻のガーデニング天明四年
 天明四年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。
○一月
 一月の日記には10日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日ある。収穫の記載は3日ある。それら日記に記された植物名は13、5種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、7日である。
 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。
 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。
 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。
 「山吹」は、ヤマブキ(バラ科)とする。
 「嫁菜」は、ヨメナ(キク科)とする。
○閏一月
 この月の日記には5日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、7日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は7、5種である。この年の新たな植物の種類は2種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。
 「杏大樹」は、アンズ(バラ科)とする。
 「萩」は、ハギ(マメ科)とする。
○二月
 二月の日記には15日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、3日ある。収穫の記載は12日ある。それら日記に記された植物名は26、12種である。この年の新たな植物の種類は10種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はタラノキ1種である。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。
 「桜草」は、サクラソウサクラソウ科)とする。
 「松露」は、ショウロ(ショウロ科)とする。
 「薇」は、ゼンマイ(ゼンマイ科)とする。
 「たらの芽」は、タラノキウコギ科)とする。
 「烏頭」は、トリカブトキンポウゲ科)とする。
 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。
 「母子草」は、ハハコグサ(キク科)とする。
 「葡萄」は、ブドウ(ブドウ科)とする。
 「桃」は、モモ(バラ科)とする。
○三月
 三月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、9日ある。収穫の記載は10日ある。それら日記に記された植物名は26、11種である。この年の新たな植物の種類は8種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、7日である。
 「五加」は、ウコギ(ウコギ科)とする。
 「車前」は、オオバコ(オオバコ科)とする。
 「楓」は、総称名カエデ(カエデ科)とする。
 「皀角」は、サイカチ(マメ科)とする。
 「忍冬」は、スイカズラスイカズラ科)とする。
 「蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。
 「藤」は、フジ(マメ科)とする。
 「松」は、マツ(マツ科)とする。
○四月
 四月の日記には7日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、16日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は12、10種である。この年の新たな植物の種類は8種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、イチハツとサンズンアヤメの2種である。また、植物を遣り取りした記録はない。
 「菖蒲」は、アヤメ(アヤメ科)とする。
 「十八」は、イチハツ(アヤメ科)とする。
 「岩檜」は、イワヒバイワヒバ科)とする。
 「姫菖蒲」は、サンズンアヤメ(アヤメ科)とする。
 「芹」は、セリ(セリ科)とする。
 「笋」は、マダケ(イネ科)とする。
 「三葉」は、ミツバ(セリ科)とする。
 「蕨」は、ワラビ(ウラボシ科)とする。
○五月
 五月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、14日ある。収穫の記載は7日ある。それら日記に記された植物名は15、7種である。この年の新たな植物の種類は3種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「菊」は、キク(キク科)とする。
 「霧島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。
 「さつき」は、サツキ(ツツジ科)とする。
○六月
 六月の日記には8日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は8、2種である。この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
 「菊」は、キク(キク科)とする。
 「霧島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。
 「さつき」は、サツキ(ツツジ科)とする。
○七月
 七月の日記には植物名の記載がない。ガーデニング作業と思われる記述は、10日ある。収穫の記載はない。したがって、それら日記に記された植物名もなく、信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。また、植物を遣り取りした記録はもない。
○八月
 八月の日記には21日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、12日ある。収穫の記載は20日ある。それら日記に記された植物名は41、12種である。この年の新たな植物の種類は、9種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、イカ、トウガン、ミズヒキの3種ある。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。
 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
 「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。
 「西瓜」は、スイカ(ウリ科)とする。
 「冬瓜」は、トウガン(ウリ科)とする。
 「同断躑躅」は、ドウダンツツジツツジ科)とする。
 「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
 「芙蓉」は、フヨウ(アオイ科)とする。                          「水引」は、ミズヒキ(タデ科)とする。
 「ぬかこ」は、ヤマノイモヤマノイモ科)とする。
○九月
 九月の日記には15日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述はない。収穫の記載は12日ある。それら日記に記された植物名は22、7種である。この年の新たな植物の種類は、4種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ジュズダマが1種ある。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「風車」は、カザグルマキンポウゲ科)とする。
 「珠数玉」は、ジュズダマ(イネ科)とする。
 「鼡茸」は、ホウキタケ(ホウキタケ科)とする。
 「柚」は、ユズ(ミカン科)とする。
○十月
 十月の日記には5日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、8日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は5、5種である。この年の新たな植物の種類は1種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ノウゼンカズラが1種ある。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
 「凌宵花」は、ノウゼンカズラノウゼンカズラ科)とする。
○十一月                                          十一月の日記には2日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載は1日ある。それら日記に記された植物名は2、2種である。この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
○十二月                                          十二月の日記には5日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日ある。収穫の記載は1日ある。それら日記に記された植物名は6、5種である。この年の新たな植物の種類は1種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。
 「福寿草」は、フクジュソウキンポウゲ科)とする。
○信鴻のガーデニング天明四年およびそれ以前との違いを見る。
 信鴻の天明四年のガーデニングを見ると、前年よりさらに活動が低下している。春の土筆摘みなどが少なくなり、芝焼などの作業もやや少ない。ただその後の作業は、夏にかけて秋口まで前年よりすこし多くなっている。増えたのは、「松を造る」作業で、「草刈」などは減少気味である。秋に入っての栗拾いや茸狩などは、前年とあまり変わらない。作業も前年同様に少ない。冬は例年同様、作業は減少し、収穫はほとんどない。この年は閏月があるけれど、収穫は78日(20%)と前年より7%も減少している。作業は125日と前年より15日増えているが、割合では2%弱しか増えていない。
天明四年は、日記に植物名が記された日数は117日(31%)である。植物名は183で、閏月があるにもかかわらず66も減少している。植物名の最も多いのはクリ21である。次いでマツ17、ハツタケが15、ウメが14、スギナ12である。植物の種類は51種で、前年より5種少ない。そして、新しい植物は8種増え、これまでに記された種類に加えて260種となる。