江戸のくだもの の検索結果:
江戸のくだもの その6 蜜柑 元禄年間に紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得て豪商になったという話は有名である。そのミカンが紀州ミカンである。 紀州ミカンは、明治時代になって温州ミカンが登場するまでわが国の代表的な柑橘類であった。一般にコミカンと呼ばれ、紀州ミカンは中国原産で黄厳県の蒔橘、一名金銭桔と同じ物だといわれている。紀州ミカンは中国から九州西岸に入り、本州に広まった。名前は、産地毎につけられ、八代ミカン(熊本)、河内ミカン(熊本・福岡…
江戸のくだもの その5 枇杷 ビワは、もともと日本あったという説がある。だが、現在栽培されているのは中国から渡来したビワである。ビワを最初に紹介したのは、天平宝字6年(762)正倉院の文書の記録で、その中に「枇杷子七文」とある。当時果実の中では最も安価であった。その後、『延喜式』の供奉雑菜の項に、ビワ十房が他の果樹とともに登場している。平安時代から江戸末期にかけて次のような書物に枇杷の記載がある。『唐頼本草』『医心方』『類聚名義抄』『色葉字類抄』『字鏡集』『本朝食鑑』『農業全…
江戸のくだもの その4 ザボン(文旦) ザボンはブンタンとも呼ばれ、原生地は東南アジアとされ、日本には江戸時代初期に渡来した。ザボン、ブンタンの名前は、人命や地名など様々な由来や経緯がある。ザボンは約3メートルほどの木で、果実は直径15cmから25cmくらいになる。 ザボンは、『大和本草』では「不可食」と書かれ、『本草図譜』でも「苦く生にて食す可らず砂糖に和して食す」とある。どうも、江戸時代には生食されていなかったようである。現代では、独特の甘みと風味で好まれ、人気があるのに…
江戸のくだもの その3 九年母 今、クネンボと言っても、どのような果物だとわかる人はどのくらいいるだろう。江戸時代には普通の果物としてかなり流通していたようだ。たとえば、幕末近くに訪れた園芸学者・ロバート・フォーチュンは、道ばたの店でクネンボの売られているのを見ている。 クネンボは東南アジア原産とされ、日本に渡来したのは室町時代後半とされている。琉球を経由して入ってきたクネンボは、まだ大粒な柑橘類がなかったことからもてはやされた。果皮は厚いが香りは高く、その栽培は江戸付近まで…
江戸のくだもの その2 無花果(仙桃、密果、青桃) イチジクは、西南アジア原産で、中国を経て渡来したという説、寛永年間(1624~1644)にポルトガル人によって伝えられたという説、宝永年間(1704~11)に種を得て長崎に植えられ、ここから全国各地に広まったという説、様々な説がある。「いちじく」の名は、『和漢三才図会』には、一月にて熟するというので一熟というとある。また、毎日一つずつ熟すことから付いたとの話もあり、その由来はよくわからない。イチジクには、別名や方言が数多くあ…
江戸のくだもの 1 果物の鉢栽培 庭先に果物を植えて楽しむということは、江戸時代でも行われていた。滝沢馬琴の庭には、カキ、ザクロ、スモモ、ウメ、リンゴ、ナシ、ブドウなどが植えられていた。果物の種類は現代より少なかったことを考えると、馬琴は果物をかなり本格的に栽培していたようだ。事実、庭でつくったブドウを売り、家計の足しにしていた。 果物は、江戸時代には「水菓子」と呼ばれ、「くだもの」とは言わなかった。なお、「果物」という言葉は、平安時代以前に「唐果物(唐菓子)」として入ってい…