江戸のくだもの その4

江戸のくだもの    その4
ザボン(文旦)
イメージ 1  ザボンブンタンとも呼ばれ、原生地は東南アジアとされ、日本には江戸時代初期に渡来した。ザボンブンタンの名前は、人命や地名など様々な由来や経緯がある。ザボンは約3メートルほどの木で、果実は直径15cmから25cmくらいになる。
  ザボンは、『大和本草』では「不可食」と書かれ、『本草図譜』でも「苦く生にて食す可らず砂糖に和して食す」とある。どうも、江戸時代には生食されていなかったようである。現代では、独特の甘みと風味で好まれ、人気があるのにどうしてだろう。
  では、江戸で栽培されていたかといえば、『草木奇品家雅見』に「じゃがたら」とあり、鉢植されていた。
 
 
 

イメージ 2 ナシの栽培の記録として最も古いのは『日本書紀』で、持統天皇の即位7年(693)にナシを植えさせたとあり、それ以前から栽培されていたと考えられている。平安時代の末頃、つまり鎌倉・室町時代には、ナシは日常の食品として利用されていたようだ。江戸時代には棚仕立ての栽培が行われ、積雪の有無によって棚の高さを定めている。江戸末期には関西にも広がり、関西式盃状形仕立てが生まれた。わが国におけるナシ栽培の沿革をみると、最も古いものは山形県で、文明年間(1469~86)に早生・中生の2品種、天保年間(1818~43) に早生・中生・晩生種、計5種を栽培している。新潟県享保年間(1716~35)に栽培を開始した。天明2年(1782)越後蒲原郡萱場村の安部源太夫は、『梨栄造秘鑑』を著し、その中に早熟・中熟・晩熟種、計99品種を記載し、接木、植栽、土壌、肥料、棚仕立ての方法を、剪定、害虫などについて詳細に説明している。他にも、神奈川、石川、群馬などでも、ナシの生産が相次いで始められ、徳川時代の後半期において、150以上の品種のあったことが認められる。
イメージ 3  江戸のナシといえば、川崎(大師河原)や八幡(市川)が知られている。川崎大師河原のナシは、寛政年間(1789~1801)から栽培が始まったとされている。次に、八幡のナシは、川上善六という農民が尾張藩から接ぎ穂を貰い受け、寛政年間から栽培を始める。善六はナシの栽培成功で祖父以来の借財を返済し、その栽培技術を村人にも教え、地域の振興に寄与した。江戸時代の末には「八幡梨」は江戸に、日に3000籠(6750㎏)も出荷した。また、将軍家にも献上され、享和元年(1801)には孝養と勤勉を賞されて金千匹を賜り、苗字帯刀を許されたと言う。