徐々に始まる明治の東京

江戸・東京庶民の楽しみ 98
徐々に始まる明治の東京
・江戸と変わらぬ庶民の遊び
 明治二年は、前年から火事もなくのどかな正月を迎えている。街中のムードは江戸時代とはほとんど変わらないが、元旦に武士が江戸城へ列をなして向かう登城風景は、当然ながら姿を消した。正月とはいえ大した娯楽のない庶民のこと、ひれ伏しながらも行列を見物し、色々と比べて噂し合うという恰好の楽しみは失われた。したがって、いつになく静かな正月であったに違いない。また、この年は、正月早々、早くも梅の花が咲き、中旬には紅梅の開花のたよりも伝わっている。
 戦いの後長らく閉じられていた上野山内だが、二月の中頃になってようやく参詣や花見などの立ち入りが許された。そうなると戦いの跡を一目見ようという見物人が、日を追って増えていった。また、下旬には、江戸城吹上御苑の拝観が許された。終日大勢の人々が訪れ、あまりにも多く集まり群衆の中のうち8人が死亡したとある。行楽シーズンに先立って、高輪泉岳寺で十一面観世音摩利支天の開帳、須田町二丁目広場では相撲興行が催された。三月に入ると、さらに池の端弁財天、井の頭弁財天と開帳が続く。四月には、斎藤月岑がアサガオ見物に浅草寺へ出かけた。また五月の初旬にも浅草寺を訪れ、「不思議の見世物」と称する出しものを見ている。こうして、人々の行楽活動は盛んになっていったのだろう。浅草寺奥山では女芝居が流行っており、女の能も演じられていた。六月には、奥山で瞽者の相撲が見世物として出ている。江戸は東京と改名されたものの、庶民の娯楽は昔のままの姿で行われていた。
 前年延期された日枝大神山王権現)の祭礼が六月に執行された。神輿は出たものの町々の山車や練物は出されなかった。七月、王子権現田楽祭の儀が行われた。八月、富ヶ岡八幡宮の祭礼、亀戸天満宮の祭礼。九月、神田大明神の祭礼、芝神明宮の例祭とこの時期続々と行われている。さらに神社仏閣の祭礼とは異なるが、新島原、吉原の我(にわか)祭も催され、幇間や芸者などの踊りに大勢の見物客で賑わった。戊辰戦争の死者を祀る招魂社の祭礼が催され、境内では道戯踊なども演じられ、たくさんの人が訪れた。また、土州侯御邸内・鎮守稲荷社の祭礼には、飾り物が多数だされ、能や芝居、相撲などが行われた。これには庶民の参詣も許されたので、一目見ようと見物人が殺到した。このようにあちこちで催された祭は、江戸の天下祭ほどの華やかさはないものの、庶民にとって大きな楽しみであったことは間違いない。
・政府の取締りが始まる
 なお、この年の二月に、東京府は、猥褻な図画や器物の売買、見世物の興行、男女の混浴などを取り締まる風俗矯正の町触れを出している。三月の町法改正では、名主制度廃止の代わりに年寄制を設置し、五十の区が行政の単位となった。町年寄や中年寄などは府から任命されることになり、これまでのように町人たちの手で選ぶという主体性は完全に失われた。さらに、それまで町内活動の中心であった家主層が行政機構から排除された。そして、この二点は、後々庶民社会に大きな影響を及ぼすことになるのだが、この時はまだ大半の庶民が気づいていなかった。特に、人別帳や町の運営費用などを実質的にとりまとめていた家主の力が衰え、庶民の声をまとめたり、町の活動をとりまとめる核がなくなってしまったことの重大さをまったくわかっていなかった。これによって、東京の市民は、コミュニティーの形成を大きく阻害され、町を自主的に運営することが困難になった。
 四月には、貧民のために三田・麹町などの救育所が開かれ、九月に御救小屋も立てられたが、これらも政府や東京府の主導で行われたものにすぎない。つまり、この時点で慶応年間のように、住民が町単位で「米よこせ」とか「米の安売りをしろ」というような要求をかかげることはできなくなっている。庶民の多くは、先のことはどうでもよく、日々の暮らしを維持することにしか関心がなかった。庶民の生活は、確実に苦しくなっており、明治になったからといって、人々の暮らしが改善された様子はうかがわれない。それが証拠に、十二月の浅草寺歳の市は、快晴にもかかわらず、商いはもとより、飲食店の売り上げも例年より落ち込んでいる。
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明治二年(1869年)の主なレジャー関連の事象
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2月○東京府、猥褻な図画・見世物・器物の売買・興行や男女の混浴を取り締まる
2月B一四日より上野参詣、花見等許され、見物人多数/武江年表
2月B須田町の広場で、湊川某相撲を興行する
2月B吹上御苑の清掃を機に、市民に御苑参拝が許可される、参集した群集のうち8人死亡
2月B高輪泉岳寺で十一観世音摩利支天開帳、山伏の活人形等見世物が出る
3月B池之端弁財天開帳
3月E守田座で「好色芝紀島物語」を上演する/日本演劇史年表
3月○東京府、府下戸籍改正、脱籍無産者取り締まる
3月B井の頭弁財天開帳
3月○東京府、府内を50区に分け、名主を廃し、中年寄・添年寄とする
5月B浅草寺奥山で女芝居がはやる、女の能もあり
5月○戊辰戦争終結
6月B日枝大神祭礼、神輿あり、山車や練物なし
6月B浅草奥山で瞽者(盲人)の相撲が見世物として行われる
6月B九段坂上馬場跡に招魂社(後の靖国神社)創立
夏頃より、上方の女商人頭上に菓子を乗せて歩くが間もなく止む
7月B王子の田楽、神仏分離で神主の運営、少年に教えて踊らせる
7月B冷涼で雨多く、大川通り納涼の船僅少
7月○神祇官太政官設置
8月B富ヶ岡八幡宮の祭礼、神輿の渡御なし
8月B亀戸天満宮の祭礼、神輿のみ
8月○不忍池や上野を桑茶畑する決議、撤回する
9月B神田大明神の祭礼、神輿のみ
9月B芝神明宮の例祭、羽車の神輿でて人多く群集する
9月B新島原、吉原の例にて俄祭を行う、見物群集して賑わう
9月B招魂社(九段坂上)祭礼、道戯踊等催し、参詣人多数
9月B土州侯御邸鎮守稲荷社祭礼、飾り物多数、能・芝居・相撲等あり、見物人多数
9月○築地に海軍操練所が設立される
9月○大村益次郎暗殺
12月B浅草寺歳の市、快晴でも例年より商売・食店売れ行き落ち込む
12月○東京・横浜間に電信が開通する
12月○府下朱引き内人口50万人