まだ江戸時代のような明治三年

江戸・東京庶民の楽しみ 99
まだ江戸時代のような明治三年
一月大教宣布の詔書/二月長州の騎兵隊脱退騒動鎮圧される
・大盛況だった上野の花見
 景気そのものは改善されないまでも、庶民は日々の楽しみに没頭し、春になればなったで花見に浮かれることで生活の苦しさを忘れようとしているかのように見える。この年の上野の賑わいは、昨年にも増して盛況。山内清水堂周辺をはじめ、葦簾張の茶店や飲食店が前年以上に数多く出店し花見客を迎えた。それまで禁止されていた山内での飲食が許可されたこともあって、下々の者までサクラの花の下で宴会に興じることができた。もっともそのため、山内では喧嘩や口論が絶えず、風紀も乱れた花見が連日続いた。三月上旬から、新島原、根津門前、猿若町往還に客寄せのためのサクラが植えられた。亀戸天満宮が臨時の祭で開扉を催し、浅草観世音でも開帳が行われた。
 四月には、浅草寺中念仏堂の近くで能狂言が興行。吉原町の娼楼で遊女の踊が流行り、人気を誇る遊女の姿絵が錦絵として多数売り出された。五月は、招魂社祭礼が行われ、太々神楽・祝砲・花火・相撲等と盛り沢山。大勢の見物客が訪れ、水茶屋なども多数設置された。月末には、両国の花火が例年どおり催された。この年は、長さ十二軒(約22m)の大茶船が営業。花火は、六月になっても続いたが、それが失火の原因となったこともあって、捻火、鼠花火の類はよいが、火玉の高く上がる花火や竹筒の花火は禁止された。
 日枝大神の祭礼は、山車が5輌出され、城内にこそ入らなかったが、町々を練り歩いた。八月の富ヶ岡八幡宮祭礼は、山車が10輌、踊台や練物が出て賑わった。九月の神田大明神祭礼は、山車が9輌に踊りがだされた。十月に入って、戊辰戦争で亡くなった官軍側の御霊を祀る招魂社の造営がはじまった。ところが、周辺の飯田町富士見町の住民は、氏子のように浮かれて、踊り練物等を催し賑わった。閏十月には、外神田火除地で鎮火社鎮座があり、大祓大殿祭が催され、奏楽・神楽もあって多くの人が参詣した。
・菊人形も復活
 この年は、庶民の花見が盛況で、それに花火も盛んになり、祭礼の山車も続々復活している。庶民は、江戸時代のレジャーを取り戻そうとしているかのようである。特に、秋に入って巣鴨の「菊の造り物」が13箇所も復活したことは、以前にも増して遊んでやろうという庶民の心意気を反映しているようである。ただ、この時期に、東京の庶民がどうしてこんなに楽天的に遊んでいられたか、いささか不思議である。なぜなら、東京の米価は前年から引き続き、異常な値上がりを見せ、庶民の生活はどん底の状況だったと思われるからだ。
 明治になって、諸国の武士が江戸から国元へもどり、東京、つまり以前の江戸朱引き内の人口は、50万人程度に減少した。そのため、東京の街はその大半が江戸時代から住んでいる町人によって占められた。もつとも、その町人も、「椋鳥」と呼ばれる農村から出稼ぎに来ていた人や地方に帰ることのできた人たちは、東京から出ていった。したがって、残った人々は、東京をふるさとと自認し、江戸への愛着も強く、自分たちの手で街の活気を取りもどそうとする気概が強かった。事実、士族となった元武士は権威も勢いも失い、東京の街では影がうすくなっていた。江戸時代裕福だった町人の羽振りも衰え、街の生業は今や元気の良い庶民によって支えられていたと言ってもよいだろう。
 官軍がわがもの顔で市中を歩いていたのも一時で、街は再び落ち着きを取り戻した。六月には、木戸の廃止に続いて、江戸城周辺の5つの門の通行が許可され、より自由に出歩くことができるようになった。庶民は、当然それまで自分たちを押さえていた「箍」が消えていくのを感じただろう。新政府は、東京市民を懐柔する必要があったから、たくさんの祭や開帳を許し、あまり取締りも加えず、庶民の遊びに寛大な姿勢を示した。庶民は、あいかわらずその日暮らしで、貧しいままであったが、十分に遊びに興じることができたのである。つまり、彼らが生活する上で生きがいは、贅沢な衣食住ではなく、毎日を面白くしてくれる遊びなのであった。
                                                  ─────────────────────────────────────────────╴ 
明治三年(1870年)の主なレジャー関連の事象
─────────────────────────────────────────────╴ 
1月B3日神祇官に於いて御親祭が催され、昨年どおり士民、平民の参詣が許される/武江年表
1月○東京・大阪間の定期航路が開通
2月B上野山内清水堂周辺に葦簾張りの茶店・飲食店多数出店、花見客群集し喧嘩多数起きる
2月B芝神明宮境内で芝居が催される
3月B新島原、根津門前、猿若町往還の中央へ桜を多数植栽
3月B亀戸天満宮臨時祭
3月B浅草観世音開帳
3月○人力車の営業を許可
4月B両国橋際の拍戸で声妓清元房八が書画会を催す
4月B御蔵前大護院で観世宝生の二氏が能狂言を興行
4月B駒場野の練兵、天覧あり、群集して拝する
4月B浅草寺中念仏堂の辺で能狂言が興行される
4月B吉原町娼楼で遊女の踊が流行、錦絵が多数印刷・発行
4月○玉川上水羽村・新宿間が通船
5月B招魂社祭礼、太々神楽・祝砲・花火・相撲あり、見物群集
5月B両国川通り花火上げ初め(その夜、本所尾上町より出火し元町、駒場橋に至る)
5月B花火制限(捻花火、鼠花火は許可、火玉の高く上がるもの、竹筒の花火は禁止)
夏頃○三輪車・自転車出現
6月B日枝大神祭礼、神輿、山車が出る
6月○東京府、男女混浴厳禁の布達
6月○東京府、寄席で浄瑠璃人形を交えたり、男女いり交じっての物まねを禁じる
6月B両国橋辺川通りに、十二軒の大茶船に客を入れ料理を出す
6月○皇居の5門の通行が許可される
8月B富ヶ岡八幡宮祭礼、山車・伎踊台など出て賑わう
9月B神田大明神祭礼、神輿・山車・伎踊があって賑わう
9月B巣鴨に菊の造り物、13箇所程度出来る
10月B招魂社新たに造営開始、飯田町富士見町の者が浮かれて伎踊練物等催して賑わう
閏10B外神田火除地で鎮火社鎮座、大祓大殿祭、酒饌下賜され奏楽・神楽あり参詣群衆あり
閏10○外国人の遊歩規定、金町・千住より朱引線に沿って日野の渡し場より玉川口までとする