遊びに明治の色彩が強くなる明治十六年

江戸・東京庶民の楽しみ 113
遊びに明治の色彩が強くなる明治十六年
四月新聞紙条例改正/七月教科書採択の認可制度実施/十一月鹿鳴館会館会館

鹿鳴館で連夜の舞踏会
 一月、明治会堂では初の西洋風舞踏会が開催された。七月、麹町内山下町に鹿鳴館が落成、十一月に開館した。昼間から花火が30本、夜に77本に加えて、同館御用達方の23本が打ち揚げられ、皇族、大臣、参議をはじめ各国の公使ら600人が招かれた。招待者である当時の外務大臣井上馨は、開館式の饗宴の席で、日本が文明国の仲間入りをするために、社交場となる舞踏会場の必要性を述べている。以後、庶民にとってまったく無縁の鹿鳴館では、毎晩のように舞踏会が催された。
 一方、市民のレジャーは、文明国にふさわしいものにしようとする政府から干渉を受けていた。一月に、東京府は、露天、屋台の出店を規制する布達を出す。また、新聞も四月に、向島のの掛け茶屋が見苦しいので、もっときれいにならないかと批判。四月の浅草奥山では、大女の見世物が評判をとったが、芸がなく裸を見せるだけということで営業中止になり、足芸に限り許可された。それにしても、浅草奥山大目鏡場に吉原の人気娼妓の肖像画を展示することは許されるのに、ちょっと肌がみえた程度で即禁止。こんなことは江戸時代でもなかった。幕末に浴衣姿の大女の見世物が人気を呼んだ時も、庶民は別に大女にエロチズムを求めて見に行ったのではなかった。が、そんなことがお上に通用するはずもなく、庶民の遊びは次々に奪われていった。
 五月、日本橋区の大鉄という寄席が、不景気にもかかわらず毎晩の大入り。女子供は日の暮れぬうちから高座に近くに詰めかけていた。カッポレの茶番は、出演者が大勢で、芝居よりも面白いと、客席はぎっしりと詰まっていた。ところがカッポレが演劇に類似している理由から、公演中に突然中止になった。観客はわけがわからないから、喧嘩でも起きたのかと総立ちの大騒ぎになった。その混乱した様子が新聞に載っているが、カッポレは以後も人気が衰えなかったとみえて、三年後の一月、新富座の初春興行において、団十郎率いる一座が踊っている。
東京大学予備門で運動会
 六月、東京大学予備門(明治19年、第一高等中学校と改称)の陸上運動会が開催された。外人教師ストレンジャーの指導の下、100ヤード競争、クリケットボール投げ、走幅とび、走高とび、砲丸投げハンマー投げ、220ヤード競争、440ヤード競争、880ヤード競争などで、メートルとヤードの違いを除けば現代の陸上競技大会とさして変わらぬ内容。ただ、ハードルレースでは、ハードルそのものがまだ日本にはなかったようで、腰掛けをハードル代わりに利用したという面白い記録が残っている。ちなみにこの時、優勝者に与えられた賞品は洋書だった。いかにもエリートたちの運動会という印象をうける。
 また同じ月に、戸山学校競馬場で天覧競馬が開催された。その数日後には、興農競馬会社の春期第七次大競馬に天皇御臨幸、勝者には紅白の縮緬二反を賜り、競技の間には曲馬が演じられた。十一月には、体操伝習所で、スポーツ振興を目的とした東京遊戯会の発会式が行われた。十二月、鹿鳴館では、宮内大輔主催の忘年会などが頻繁に催された。新聞紙上を賑わすレジャーに関する情報から、新しい明治の流れがハッキリと感じられる。
・旧来の楽しみも盛ん
 その一方で、二月には、南葛飾の農村で歌祭文が流行した。四月の浅草では、竹沢藤治が奥山で独楽の妙技見せ、花屋敷で草花細工の九尾の狐などが上出来だと。七月、芝宮本町で子供相撲。馬喰町でも子供相撲が催され、八日間で2千人を超える観客と124円余の収入があった。八月の町々では、辻相撲が流行し、芝や浅草まで広がり若者たちが熱中した。現代の暴走族のような大騒ぎをしたので、近所の住民は迷惑顔との記事がある。大多数を占める庶民には、新しいスポーツがほとんど浸透していないことがわかる。
 八月、庶民は、夕涼みに出かけ、近年にない人出と。この年の祭礼は、どこも大張りきりと。九月になっても、春日神社では、町内は軒提灯をだし、揃いの浴衣を着て仁和加踊りや山車を曳き出した。向島牛島神社も各町が出し物に趣向を凝らした。白山神社は、花山車や地踊り、テコ舞など。江戸時代の祭礼を楽しんでいる。西川伊三郎は、操り人形を再興して浅草奥山で八月に興行をはじめ、十月になっても「人形芝居が大流行」との記事がある。十一月の菊人形は、根津が「曾我の夜討ち」、団子坂が「奈良の大仏」の造り菊、浅草は二丈五尺の文覚の滝を造り無料で見せている。一の酉、浅草大鷲神社は快晴で大賑わい。二の酉も人出があって、初酉の倍近い売上げがあったと。

 

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明治十六年(1883年)の主なレジャー関連の事象
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1月Y各地の閻魔堂が賑わう/読売
1月Y春場所相撲、十日間、19,401人、上がり高 777円40銭
1月 明治会堂で初の西洋風舞踏会
1月○東京府、露店、屋台の出店につき布達
2月H南葛飾の農村で歌祭文が流行する/郵便報知
2月T向島環翠園開園/東京日日
3月Y上野公園で、第一回水産博覧会開催、日曜に4525人入場
3月Y新富座の公演、大入りで日延べ
3月Y小向・蒲田のウメ満開、客足は小向
4月T向島の掛け茶屋をもっときれいにとの記事
4月Y潮干狩り、品川から大森の海岸が賑わう
4月C浅草奥山大目鏡場に吉原の有名娼妓の肖像画が飾られる/朝野
4月Y竹沢藤治が浅草奥山で、曲独楽を興行、妙技に初日から大入り
4月Y品川天王社内の花園で草花の造り人形展
5月Y亀戸天神、フジ花盛りで参詣者多数
5月Y浅草奥山で大女の見世物、評判であったが芸がなく裸体を見せるため営業中止
5月Y浅草花屋敷、草花細工やシャクヤク等を催す
6月 寄席のカッポレ、演劇類似で禁止
6月Y王子道上駒込の百色牡丹見ごろ
6月 東京大学予備門、陸上運動会開催
6月T戸山学校競馬場で天覧競馬開催
6月Y薬師如来の縁日に痴漢出没、6人ケガ
6月Y日枝神社の大祭、山鉾花山車手踊り等十数両以上の盛大、見物人山をなす
7月Y馬喰町の子供相撲、八日間で2千人を超える観客
7月Y川開きに吉原の芸者、大茶船で影芝居催す
7月Q深川八幡宮の祭礼、久しぶりに復興/東京横浜毎日
8月Y辻相撲が流行、芝や浅草まで広がり若者熱中、近所の住民は迷惑顔
8月Y夕涼み客で近年にない人出
8月Y今年の祭礼はどこも大張りきり
8月Y西川伊三郎の操人形、再興して浅草で興行し大人気
9月Y春日神社祭礼、にわか踊りや山車・軒提灯に揃いの浴衣
9月Y向島牛島神社、各町も出し物に趣向をこらす
9月Y白山神社の祭礼、花山車・地踊り・テコ舞などが出る
9月 川上音二郎に政治演説が一年間禁止される
10月Y根津が曾我の夜討ち、団子坂が奈良の大仏の造り菊開園
10月 墨堤に、成島柳北らがサクラ1000本を増植する
10月Y桐座の興行連日大入り、新富座が初日から大人気
10月Y浅草奥山の花屋敷で造り菊無料開園、二丈五尺の文覚滝
10月 川施餓鬼執行や水上神興巡行等を届ける布達
11月 体操伝習所で、スポーツ振興を目的とした東京遊戯会の発会式が行われる
11月Y酉の市は快晴、浅草鷲神社は大賑わい
11月Y紀尾井町の清寧館で剣道や弓道の天覧試合
11月H麹町内山下町に鹿鳴館が開館、開館式には千名を超える来会
11月Y二の酉、かなりの人出で売上げは初酉の倍近く
12月Y鹿鳴館、宮内大輔主催の忘年会など頻繁に饗宴
12月Y三田興農競馬二日目、天気よく日曜日で観客が前日の倍増