東京庶民の明治二十一年の楽しみ

江戸・東京庶民の楽しみ 118
東京庶民の明治二十一年の楽しみ
四月市制・町村制公布/十一月メキシコとの通商条約調印(初の対等条約)
・花見に臨時列車が運行
 正月は天気もよく、浅草には大勢の人出があった。当時の行楽は、正午から午後2~3時頃が最も人出が多く、特に観音様から仲見世あたりが混雑した。藪入りには、登山料5銭の富士山めがけて小僧さんたちが押し寄せ、午前八時頃から大入り。そのため、1銭の仁王門楼上見物は上がったりであった。また、写真屋は、小僧たちを待ち構えていて、5・6人ひとまとめで写し、一枚6銭で売り、次から次へと客が絶え間なかった。浅草にはこの年も、新たな名所・五階建ての「奥山閣」ができ、人工富士の頂上に電灯がつくなど、市民の遊び場として充実していった。
 一月の水天宮初縁日は、表門から裏門まで約1~2町の間、あふれるばかりの参詣人であった。初卯の亀戸天神も朝詣での人も多く、一時に天神橋車止め、三時頃がピークで大変な賑わいであった。なお、賑わいの割には売上げは伸びなかったらしい。二月には、まだ早い観梅に人出と、行楽の足は絶えない。三月になると、東京各地の梅園に人出があり、特に彼岸には多かった。四月、上野から王子(飛鳥山)へと花見の臨時列車が運行、墨堤では花見のため諸車通行禁止、向島では混雑して渡しの桟橋が落ちる騒ぎもあった。五月には、小梅村の長春園では数百種のバラ園の便り。六月にもハナショウブの便り。七月の本郷・菊坂下の釣り堀では、数万匹のホタルが放たれた。猛暑であったことから、納涼場はどこも大繁盛で、花火もたびたび催された。
 六月の氷川神社祭礼は、神輿が町内を練り歩き、新しい山車を含めて30余両が踊屋台などとともに出て、近年にない賑わいとなった。浅草公園不動堂大行院で京都広隆寺聖徳太子が開帳。賑わいは開帳より聖徳太子の出迎えの方が大きかった。旗や山車などの他、石工職人約千名が大旗を押し立て、吹き流しや馬鹿囃子などを伴って、本願寺から銀座通りをぬけ浅草公園までの沿道は非常に混雑し盛大であった。
・新顔の幻灯と手妻(マジック)が人気
 三月、木挽町厚生開館にて、婦人矯風会が主催する「酒の害」を幻灯でわかり易く説明する幻灯会が三日間開かれた。また、900余名を集めた大幻灯会も催された。この幻灯会は内外の勝景の紹介が中心となっていた。幻灯は普及しはじめていたのだろう、八月に浅草でも大噴火したばかりの磐梯山を写した幻灯会が行われた。
 これまで特別注目されていなかった「手妻(テヅマ)」が欧米のマジックとして興行させれ、手品・奇術に人気があった。三月、千歳座でノアトン一座の奇術手品が行われたが、人々は、西欧マジックに驚嘆し大入りとなった。翌月には、成功の余勢をかって新富座でも興行。それに対抗するように、ジャグラー操一と名のる日本人が文楽座で、東洋奇術を演じた。両者の違いは、入場料から違っていてノアトンが最上等1円(大衆席は20銭)だったのに対し、宗一は50銭で、腕前の方もマジックの方が勝っていた。十一月には浅草文楽座で、松旭斎天一が万国第一等手品の興行を48日つとめた。なお、松旭斎天一の場合は一般劇場の使用が認められず、文楽座を寄席文楽座と改称して興行したという奇妙な話が残っている。十二月にはアメリカのマダムコーラが浅草中村座で奇術を興行している。
上野動物園「シフゾウ」目当てで来訪者急増
 春の行楽シーズンに合わせるかのように四月、上野動物園に門外不出の珍獣との呼び声の高い、シフゾウ(四不像)が清国から寄贈され公開された。シフゾウとは、「尾はロバに、蹄はウシに、頸はラクダに、角はシカにそれぞれ似ていて、そのどれでもないところから四不像という」という中国の故事にならって命名されたもの。五月には、シャム(ミャンマー)からゾウが送られてきた。これらを一目見ようと、上野動物園を訪れる人は急増した。
 上野動物園の入園者数は、開園した明治十五年が二百日程度で20万人を超えたものの、その後は三百日程度開園しても20万人を超えることはなかった。それが前年、二十年に入園者数は急に増えて24万人になった。増加の理由は、その前の年に来たチャリネ曲馬団の公演中に生まれたトラの子2頭を入手、それが秋葉原で生まれたということで「神田っ子虎」として一躍有名になったためである。二十一年は、シフゾウなどの新しい動物を見ようと、さらに10万人以上も来訪者が増え35万人となった。
 シフゾウの人気は、現代のパンダといったら言いすぎかもしれないが、当時の人々はかなり関心があったとみえて入園者の増加は、翌年も続く。上野動物園の一日の平均入園者数は、二年前までの約600人から倍増して、二十、二十一年の二年間で74万人になった。東京市の人口が約130万人であることから、市民の半数程度の人々がシフゾウを見に行ったと言えそうである。なお、シフゾウの写真を見ると、貧相なウマといった程度の動物で、どこがそんなに人々を魅了したのか理解に苦しむ。
 上野動物園の利用者が増加したのは、上野公園への来訪者が増加したためと、入園料が大人・日曜2銭、平日1銭、子供は半額という安価であったことがかなり影響していた。さらに言えば、東京市民の行楽活動が活発化していたからでもある。上野や浅草公園をはじめとして、東京の行楽地全体に多くの人々が訪れ活況を呈していたものと考えられる。東京市内の遊技場の営業件数を見ると、上野公園の入園者数とほぼ同じ割合で増加している。東京の庶民には、レジャーを楽しむだけのゆとりが生まれていたものと考えてよいだろう。  
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明治二十一年(1888年)主なレジャー関連の事象
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1月H川崎大師への鉄道利用、一日千八百人余/郵便報知
1月H水天宮初縁日、表門から裏門まであふれるばかりの参詣者、人力車通行止め
1月H初卯、亀戸天神妙義神社、朝詣で多く一時に天神橋車止め、三時頃群集最大の賑わい
1月H藪入り、浅草は木造富士は8時から大入り、1枚6銭の写真5・6人づつの客絶え間なし
1月Y回向院の大相撲、一月は4,442円85銭の売上げ/読売
2月H木挽町厚生館で各国公使らによる音楽会、会費一名8円
2月Yまだ早い観梅に人出
3月H川崎大師大祭、鉄道利用一日二千七百余、552円の売上げ
3月Yアメリカの奇術師ノアトン一座興行、翌月も新富座で興行
3月T木挽町厚生開館にて、九百名出席の大幻灯会開催/東京日日
3月Y彼岸、好天で各地の梅園が観梅客で賑わう
4月U上野動物園に珍獣、四不像が清国から寄贈、人気を博す/毎日+上野動物園百年史
4月Hジャクラー操一が浅草猿若町文楽座で奇術興行、特別椅子附50銭上等桟敷30銭平土間10銭
4月Y上野・王子間、お花見臨時列車がでる
4月H向島は近年に珍しい賑わい、違警罪で289名拘引⑰
4月Y向島の堤は、混雑のため車馬通行止め
4月 西洋風にコーヒーをのませる店新設
5月Y鉄道開通で江ノ島が大賑わい
5月Y浅草花屋敷の奥山閣(五階建)落成
5月H芝烏森神社大祭、神輿が練り歩き獅子頭・稚児行列などで賑わう
5月H上野不忍の競馬、場内は賭の外国人程度、場外の立ち見多く、露店・見世物・飲食店等潤う
6月Y浅草公園吾妻座、大入りに付き日延べ
6月H浅草神社大祭、山車14両、ビンザサラの古式を演じすこぶる賑わう
6月H氷川神社大祭、神輿が練り歩き、新しい山車を含め30両余、踊り屋台もでて近年にない賑わい
6月H浅草公園不動堂大行院で京都広隆寺聖徳太子開帳、旗や山車等での出迎え、沿道は非常な賑わい
7月Y本郷菊坂下の釣堀、数万匹のホタルを放つ
7月H川開き、盂蘭盆に日曜で、日没までに数万集まり非常の賑わい
7月Y市村座若手俳優による安料金興行が大当たり
8月G浅草公園、お富士さんの頂上に電気灯点火⑥/時事
8月Y浅草などで、大噴火した磐梯山の幻灯会が行われる
8月Y大橋中州でゾウの見世物興行、11月には浅草でも
8月H第二の川開き、前回よりは少ないが相応の来客あり
8月Y猛暑で納涼場はどこも大繁盛
8月T上野不忍池、早朝よりハスの見物で賑わう
9月H根津から移転した深川の州崎遊廓が花火900本揚げて開業する
9月Y浅草公園池の端で、磐梯山噴火の模型の見世物
10月Y回向院でオーストリアの大曲馬、手に汗握る軽業で大入
10月H浅草花屋敷の菊細工、安本亀八の人形による興行中評判の左団次や団十郎の立回りなど
10月Y西洋手品や面被り義太夫は特定の場所を決めて許可、他劇場等では禁止
11月Y女義太夫、大阪より上京し両国新柳亭に出演
11月H浅草酉の市、好天気で菊人形見物かたがた非常な賑わい
11月Y松旭斎天一が浅草文楽座で万国第一等手品を興行、特別一円、上等30銭~下等10銭
11月Y団子坂の造り菊、見世物が多すぎ、天候不順で利益少なし
11月H新嘗祭の賑わい、王子滝野川紅葉狩り飛鳥山では運動遊技も
12月Y浅草、歳の市は先ず中位の景況、深川八幡は洲崎遊廓できて好景気
12月Yアメリカのマダムコーラ、奇術を浅草中村座で興行、不入り
12月H芝愛宕の歳の市、好天気で日曜で諸品ともよく売れ大当たり
12月 飯田町の富士見楼(貸席、湯滝等)落成