大正二年は不景気、でも娯楽はそれなりに

江戸・東京庶民の楽しみ 148

大正二年は不景気でも娯楽はそれなりに
 大正二年の事件としては、二月に護憲派の民衆が議会を取り巻き、桂首相は内閣を総辞職する。この総辞職は「大正の政変」とされ、藩閥政治がおわり、あらたな政治の始まりを期待させた。しかし、政局は不安定で、政費削減が進められたものの、景気は改善しなかった。
 東京では、二月に神田で大火があり3千8百戸が焼失。不況が続くことから、明治天皇崩御の暗さを引きずったままで、市民のレジャーも停滞していた。この年流行したのは、ローラースケート、女優まげ(前髪を七三に分ける)などがある。人気スターは松井須磨子、歌は「早春賦」「鯉のぼり」などが流行した。上野動物園の入場料、大人5銭、小人3銭。入園者数68万人。
・一月「待ち兼ねた藪入」「大繁盛の浅草公園」十六日付東朝
 元日といっても喪中という意識があるせいか、人出はどこも多くなかった。新聞にも正月気分を感じさせる記事は少なく、せいぜいかるた会が盛んに行われているという話題くらい。それでも、上野動物園には元日に、3千人を超える入場者があった。また、市内の市電の乗降客数は、三箇日ともほぼ同じくらいで約64万人である。前年に路線が増加していることを考えれば、この数字は多くない。新橋駅の元日の乗客数は、理由はよく分からないが、前年と比べ三分の一近くも減少している。
 十日は亀戸天神の初卯に当たり、早朝から大勢の参拝客が詰めかけた。大相撲も初日から、正午までに桟敷や土間なども埋まるほどの盛況で、その後も大入りが続いたもよう。
 十五日の藪入は、「新しい鳥打ち帽に双子の筒袖」という御定まりの格好をした小僧さんや絹のハンカチを首に巻いた女中さんたちが、浅草に向かう市電に大勢乗り込んだ。ただし、芝公園や赤羽橋の様子を見る限りでは、露店が50軒余、見世物が4軒と以前ほどの賑わいはなかったようだ。
・二月「成田山の大雑沓  参詣人二万以上」「川崎大師の大混乱」四日付東朝
 二月に入り節分、浅草観音亀戸天神下谷鷲神社の豆撒きでは、子供が気絶したという記事が見られる。もっとも、喪に服していたためか、追儺式はいたって控えめであった。東京は、レジャー活動より政治活動の方が活発で、一月に新富座で憲政擁護連合大演説会が開催されていた。十日には護憲派の民衆デモが議会を取巻いて、政府系新聞社や警察を襲撃、派出所や市電も襲い、とうとう軍隊まで出動した。そしてそれ以後も、集会やデモは市内を騒がせた。また、二十日には神田で大火があり3千8百戸も焼失、市民のレジャー機運はさらに沈滞した。
・三月、芸能はいずれも好況(十五日付東朝)他
 蒲田の梅屋敷の入園料が5銭だとか、越谷にすばらしい樹があるとか、ウメの便りが頻繁になっている。彼岸には六阿弥陀詣でにぎわう亀戸が紹介される中、二十日付で、百花園が売却されるという記事がある。百花園は明治年間に洪水のために何度も復旧工事を余儀なくされたが、そのために莫大な借金が残ってしまった。江戸時代からの茶代や今土焼などの販売だけでの経営では行き詰まった。それで、年頭から大人5銭・小人3銭の入園料を徴収するようになったが、それでも効果がなく、このような話がささやかれるようになった。
 芸能では、有楽座は豊竹呂昇の義太夫、浅草国技館で奇術や喜劇、富士館の映画「三日月」など、いずれも好況。中でも、森鴎外が初日の二十七日、長女の茉莉を連れて出かけた、帝国劇場の「ファウスト」公演は特筆もの。これは翻訳劇としては、異例の初日から大入りを記録している。
・四月「お花見大雑閙(ザットウ)」、「飲めや唄への上野」四日付東朝
 四月と言えば何をおいても花見。当然のように連日、花見関連の記事が写真入りで掲載されている。六日付の新聞(東朝)は、墨田堤で見事に咲いた桜の写真が三面トップの三段抜きで、花見の俗化などを書いている。墨田堤の土手に乞食の一団がたむろし、それでも堤の花の下には大勢の人が集い、そこを自動車で走ろうとする輩が花見客に怒鳴られたりしている。土手下の午の御前境内では、放下師(大道芸人)や猿廻し一団と口笛の芸当が行われていた。
 また、江戸川(この江戸川は、東京都と千葉県の境を流れる江戸川ではなく、玉川上水から続く飯田橋近くの外堀に流れ、墨田川に合流する川である)に目を移すと、船上や川岸からサクラを眺めようという風流な一群がいた。路面電車の音さえ気にしなければ、かなりオツな気分の水上花見。もっとも、一時間5銭の乗合船でそこいらを乗り回るような連中は、棹をぶつけ合い、泥酔した挙げく川に落ち、またそれを橋上の上から面白がって見て万歳と叫んで大騒ぎするなど、花見そっちのけで大騒ぎに興じる様子が描かれている。
 翌日の新聞(東朝)では「花の日曜日」「人の山人の海」「無礼講飛鳥山」と五日の花見の喧噪を載せている。特に飛鳥山では、「・・・義太夫を唸る、鬼ごっこをはじめる、綱引きをやる等上野の紳士的なるに引きかえて大の無礼講狂宴乱舞が打ち続く、通りがかりの女の袖いて其女やらぬと芝居がかるもあれば、方々でケンカが持ち上るやら・・・打倒れて前後も知らず寝て居る者は数えるにいとまもないほど・・・」という有り様。このように花見が盛んになる一方で、荒川・向島のサクラは古木になり枯れはじめていた。二十五日付(讀賣)で「花見は尽きない」との見出しで、亀戸の町は四方を工場に囲まれ、空は真っ黒に濁っている。名所も終には破壊されるのか、と危惧している。
・五月「行楽今や酣(たけなわ)」五日付讀賣
 四日は行楽シーズン中の日曜日とあって、東京の名所はどこも大賑わい。各々催事にも工夫を凝らしていたようで、例えば、日比谷公園では、ツツジ園に雪洞がつくられ、グランドでは錦城中学と星電気の野球試合、芝生では幼稚園や小学校の機械体操が行われ、この日一日だけで1万人を超える人出。
 また、十五日付新聞(讀賣)によると、小石川植物園では温室の脇に、ボルネオからやってきたオラウータンが置かれ、それを目当てに平日で5~6百人、休日には2千人もの来園があったとか。森鴎外も六月に入って、娘たち(杏奴と類)といっしょに出かけている。鴎外の関心はオラウータンより植物の方にあっただろう。同年の彼の日記を読むと、「福寿草開く」「芍薬の芽出ず」などの記述とともに、「園を治す」つまり庭をいじるという記述も数回登場する。作業内容など詳しいことはわからないが、なかには「終日園を治す」という日もあり、鴎外のガーデニングはなかなか気合が入っていたと思われる。
・六月「国技館の花菖蒲」二日付讀賣
 六月三日付の新聞(東朝)に「蒲田の菖蒲」の写真。花菖蒲の見ごろを迎え、あちこちの菖蒲園がオープン、なかでも両国国技館の花菖蒲は10万本と壮観で、おまけに菖蒲人形も展示されている。入場料は、大人が15銭、小人が10銭でちょっと高め。玉川の菖蒲も真っ盛り、こちらは無料。
 芝居は、帝国劇場に注目が集まった。「トスカ」「シーザー」と話題を提供。
 前月からの続き物としてスケート巡り(2)の記事(讀賣)がある、麻布・古川に臨んだスケート場が紹介されている。広さは休憩所を除いて36坪(約120㎡)。料金はスケートの善し悪しで、一時間20銭・15銭・10銭と掲示されているが、当分の間半額となっていた。涼みがてら訪れる人が多く、利用者は学生と商人・職人が半分づつ。慶応・麻布・芝中などの学生よりも職人たちの方が上手だったらしい。またこの年、ローラースケートが流行したとみえて、十二月にも盛況ぶりが記事となっている。
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  大正二年(1913年)・・・2月大正の政変
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1月2読 七福神参り・恵方参り、参詣者少なし
  5万 演技座、三箇日は40銭均一で一杯
  6読 かるた会、盛んなる
  8森 鴎外、残雪、銀座を散歩す
  11朝 亀戸天神初卯、朝より参詣者夥しく電車満員  
  11朝 大相撲初日、正午には桟敷・土間も埋まり盛況 
  16朝 待ち兼ねた藪入り、大繁盛の浅草公園
  16朝 大相撲、藪入り連大入りで正午頃に満員
  17読 芝公園と赤羽橋の閻魔、露店50余見世物4 軒で非常に賑わう
  17読 大川、吾妻橋で寒中水泳、見物人堵をなす
  20読 大相撲、千秋楽も満員
  22都 川崎大師の初大師、近年にない賑わい    
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2月2万 オペラ館「絶壁の秘密」好評
  4朝 追儺式、成田山・川崎大師・浅草観音などで催され混雑
  10万 両国国技館で連合大演説会観衆2万5千
  11万 憲政擁護騒擾事件、交番76・市電26両等が襲われる
  13読 深川八幡祈年祭
  14読 国技館で闘牛、大入り満員
  23朝 東西合併大相撲、二・三・四・七日目大入り満員
  21万 富士館「佐倉義民伝」上映、大好評
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3月10読 麗らかな春の光、蒲田の梅屋敷、5銭
  15万 浅草国技館新馬鹿」奇術・奇劇・音楽で満員 
  15朝 呂昇の初日、有楽座の場内を真黒に埋める
  21万 富士館「三日月」連日大入り
  23森 妻、茉莉、杏奴の三人で有楽座に往く
  25読 潮干狩り、大伝馬3円50銭・小荷足1円50銭
  26読 不忍池で自転車大競争会
  27森 鴎外、茉莉を伴い帝国劇場に往く
  28朝 帝劇「ファウスト」初日、新芝居にしては珍しい程の入り
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4月3読 浅草ルナパーク、木馬・汽車活動など一新し盛況
  3森 鴎外、終日園を治す
  6読 上野精養軒でニャーニャー展覧会
  6読 芝の苔香園で小品盆栽
  7読 花の日曜日、電車は花見で満員     
  15読 三越で児童博覧会
  16朝 本郷座の曽我廼家、初日から大入り
  18読 行く春の花、大久保躑躅園・四つ目牡丹・亀戸藤
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5月1読 靖国神社例祭、雑踏を極めたる九段、遊就館に未曽有の大入り
  1読 有楽座でイプセンの「鴨」上演
  3朝 歌舞伎座、雲右衛門の浪花節大入り
  5読 晴れた日曜日、各所の行楽今や酣(タケナワ)    
   12読 太刀山鳳主催の力士運動会
   15読 小石川植物園に猩々(オランウータン)来る
  16朝 宮松亭の落語研究会、相変わらずの一杯
  16朝 全比対明大野球第一戦、入場者2千人
  18森 鴎外、茉莉らを伴い回向院の相撲を見る
  19朝 大相撲三日目、日曜日で昼前満員売切れ
  27読 渋谷に宮益スケート場、すこぶる繁盛
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6月1森 鴎外、園を治す。妻と子供は三越に往く
  2読 国技館の菖蒲、10万本、大人15銭     
  2朝 帝劇「トスカ」初日、梅幸幸四郎で大入り
  2朝 日米野球戦、慶応猛打で再びス軍を破る、観客5千人
  7都 大勝館「銚子の五郎蔵」他大入り御礼
  8森 鴎外、杏奴と類を連れて植物園に往く
  9朝 「これも御時節」講談の席28軒130人に減少
  19都 真砂座「弘法大治郎」大入り日延べ
  23読 古川のスケート場、涼みがてらの利用
  25朝 明治記念博覧会、上野不忍池畔で開館、大人平日10銭休日20銭
  27朝 帝劇「シーザー」初日から大入り
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