大正十二年前期 庶民は花見に盛り上がるが停滞

江戸・東京庶民の楽しみ 173

大正十二年前期 庶民は花見に盛り上がるが停滞
 大正十二年九月に関東大震災が発生、東京は焦土と化した。震災による混乱で物資は不足し、失業者があふれ、150万人以上の市民が東京から焼きだされた。市民の間に、「朝鮮人暴動」「戒厳令」「流言蜚語」「自警団」「震災前」「この際だから」などの言葉が流行り、直後にあんみつ・やきとり・釜めしが出現した。そうした中、復興にあたって交通機関として自動車が普及。市民レジャーは、市民に希望を与えるものとして注目された。十二月に「虎ノ門事件」(摂政宮が狙撃される)がおこり、内閣は引責総辞職。街の流行歌は、「復興節」「籠の鳥」など。
・一月、大相撲「雪の中にまた太鼓を回し 今日から返り初日」二十六日付讀賣
 明治神宮は、この年から除夜の鐘と共に開門、初詣ができるようになった。参道には前夜から大篝火が焚かれ、回廊には数多の灯火が点けられ参拝者を迎えた。参拝者は「午前中十数万人を越え神符も売高も数万を数えた」(二日付讀賣)とある。なお、元日は小雪が散らつくような天気で、市内の初詣は例年ほどの人出はないものの、浅草の芝居や映画などは午後から賑わった。初詣をお賽銭で見ると、浅草観音が最も多く、次いで深川の不動、水天宮の順であった。浅草観音の十日間のお賽銭は3千2百円、一人平均1銭にしても32万人程度の人が初詣に訪れたことになる。なお、この額は前年よりも456円も多く、「世間が不景気だと神仏の力に縋ろうとする為かお賽銭も多いという事になるのは妙である」と新聞(十八日付讀賣)は報じている。
 また相撲協会のゴタゴタが再発した。「春日野 警視庁に出頭」「ぞくぞく破門」「角界の争議」「力士脱走事件」(以下讀賣)と内輪もめが続いている様子。「紛擾のまま開かれた大相撲春場所初日、四分の入りとは」、観覧料を三分の一に値下げして客を引き寄せようしたのに、蓋を開けてみると惨憺たる入りだった。十六日の五日目は「藪入りで四階まで賑わう」と持ち直すかと思われたが、二十六日付には「雪の中にまた太鼓を回し 今日から返り初日」と、再度初日から取り直すことになった。二十九日は「一層淋しい月曜 四日目の三、四階は三、四分の入」、六日目も五分の入り、千秋楽だけはさすがに満員になった。大相撲の混乱は、不景気で入りが良くないこともあるが、旧習にとらわれ抜本的な改革をできない内部体質にあったことは言うまでもない。
・二月「霜枯れの二月に 新庁令のお蔭で各座とも大入り」二十六日付讀賣
 一月末日付で「弊害の多かった出方を全廃」(以下讀賣)、「芝居の出方制度についてはいろいろ弊害の多いことは芝居を見に行く者の誰でも認めている所で今の警視庁の芝居改善に際しても是非ともこの出方制度の改良されることを一般に望んで居たが今回愈々松竹の新富座明治座、本郷座の各座は二月興行から出方を全廃することになりこれをすべて案内人と云う事にして祝儀を廃止し座の方で月給で働かすことになったと云う、従って今まで飲食物なども出方がもうけて居たがこれも全然無くなる訳である。・・・その他旧来の『附込制度』を改良して切符の前売も配達もする事になったと云うが兎に角大に改善されたのは結構である。」。二月一日、芝居改善の第一日は、例えば市村座では「六時間を厳守するので道具方も俳優も大汗であった・・・おかげで幕間の早いのに大喜び、ただ飲食店には多少影響は免れないらしい。」と、いうような状況であった。
 二月興行への影響(二十六日付)は、「初めに心配して居たのとは大いに相違して一般に異常な好成績であった・・・近来にない大入りに近く当たり祝までやることになっている・・・今度の問題が芝居そのものゝためにいい宣伝になったのであろう。」「花柳界の客が減って 山の手の家族連れが激増╶╴連中制度改善と前売切符が出来た結果か」と。芝居の観客層にも変化が現われ始めた。
 演劇や映画などは活気があったが、不景気を反映してか全般に行楽に関する記事は少ない。市内の目ぼしいイベントは衛生展覧会くらい、節分等の恒例行事も行われていると思われるが賑わいの程はわからない。レジャーとは言えないが芝公園から銀座へと、「普選断行」を叫ぶ「歌高く堂々五万人」の「模範的な大示威」が行われた。「沿道に十重二十重と押重なった群衆は到る処に万雷の様な激励の言葉を浴びせ掛ける」と。
・三月「行楽の春を 悲痛な叫び 芝公園の失業防止大会」十九日付東朝
 三月になっても市民のレジャー気運は冷えたままである。「花は咲くが座敷はガラガラ」(十八日付東朝)と不景気を嘆く記事。それでも十八日は「ぽかつく日曜に梅の名所大賑い」、この春久しぶりに郊外へ人が繰り出し、どこの停車場も記録破りとなったが、同紙面に芝公園の失業防止大会の記事がある。「失業防止の叫び」と題された写真には、行楽どころではない切羽詰まった市民が芝公園銅像前広場を埋めつくした。
 三十一日付(東朝)「飛鳥山は露店禁止・・・飲料の定価も指定す」、伝染病防止や不良品販売防止と共に、暴利を取り締まるため「正宗四合九十五銭、同二合五十銭、ビール四十五銭、三矢、金線は二十五銭、並のサイダー二十銭以上は取ってはならぬ」とのお達し。しかも、それまで長い間黙認されていた露店は、「一切相成らぬと」という厳しさ。『仮装など絶対に禁ずる事は不可能故飛鳥山の園内だけ大目に見る』と少しだけ手綱をゆるめつつも、『他人に迷惑をかけるような行為は寸毛も仮借しない』と、3百人以上の巡査を派遣して花見を取り締まることになった。
・四月「昨日の人出 二百万を越ゆ よく出るも出たもの」十七日付東朝
 四月に入ると一日は日曜、絶好の遊覧日和につられていたるところに、行楽の人がドッと出た。「花の季節に昨夜雪降る」(六日付東朝)とあるが、七日の日曜も「満山悉く花と人 乱咲く飛鳥山に上野に 仮装御免てみな大浮れ」。さらに十六日付「お花見に汐干狩に郊外へけふの人出、この春一ばん雑沓」、飛鳥山には昼までに10万人の人出、迷子も21人でた。十七日付では、市内の人出が二百万人を超えたと報じられた。東京駅の乗降客は6万余、上野駅が23万余、市電乗客数が178万余、鉄道利用のすべてがレジャーではないが非常に多くの市民が出歩いたことは確かだ。「飛鳥山花見の総決算」(二十日付東朝)では、遺失物201点、遺失現金604円余(拾得189円余)、喧嘩863件、迷子213人、スリの検挙19件などが示された。東京の花見は、上野より飛鳥山の方が盛大で、相当混雑したと思われる。
 花見のあとは、州崎埋立地で催された自動車大競争会が話題となった。世界的選手の飛込み参加や一等賞金の3千円という額など注目され、2万人が集まったという。靖国神社大祭、浅草観音堂の野外劇などの記事からある程度の人出が推測されるが、レジャーの盛り上がりは急速に冷めたようだ。
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大正十二年(1923年)前期の主なレジャー関連事象・・・3月中国で排日運動拡大
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1月2読 明治神宮、除夜の鐘とともに開扉で賑わう
  13読 福引き付で洲崎で競馬大会
  13読 紛擾のまま開かれた大相撲春場所初日、四分の入り
  17読 常盤館「夜討曾我」満員御礼
  17読 大相撲五日目、藪入りで一息の入り
  18読 浅草観音、正月十日間でお賽銭3千2百円、東京で一番
  24読 三越で第八回漫画展覧会
  26永 伊太利亜歌劇此夜より十日間丸の内にて興行
  26読 大相撲春場所、太鼓を回して返り初日
  28永 荷風、帝国劇場でトスカを聴く
  30読 大相撲春場所、一層淋しい月曜の入り

2月1永 荷風、帝国劇場にファーストを聴く
  2読 芝居改善の第一日、観客は幕間が早く大喜び
  2読 大相撲春場所七日目、初日以来の大入り満員御礼
  2読 公園劇場「大菩薩峠沢田正二郎新国劇
  4読 キネマ倶楽部が国活俳優による豆撒き
  15朝 伏見元帥宮国葬「街路樹にも、交番の屋根にも礼」拝観の人だかり
  24読 普選断行を叫んで芝公園から銀座へ模範的な大示威5万人
  26読 新庁令のお蔭で各座とも大入り
  28読 有楽座、吉田奈良丸等、満員、退京御礼
3月2朝 富士館「豊公一代記」満員御礼
  2読 京浜競馬大会
  5読 芝浦球場で初試合、湊が天勝に6対4
  5朝 水天館「懐かしの我家」満員御礼
  9読 公園劇場「次郎吉懺悔」連日満員
  15朝 金竜館「オセロ」満員御礼
  19朝 ぽかつく日曜に梅の名所大賑わい
  20読 発明博覧会が不忍池畔で開催
  22永 荷風、帝国劇場を観る
  26朝 日曜の動物園はもうめっきり春らしい、入園者一万を超過
  26読 実業野球大会の入場式と紅白試合、絶好の野球日和で大盛況
4月2読 おついたちで日曜、遊覧日和に到る処人の山
  9朝 満山悉く花と人 乱れ咲く飛鳥山に上野に 仮装御免とみな大浮かれ
  11読 市主催、自由労働者のための運動会
  11朝 松竹館「噫無情」大入り日延べ
  16読 動物園は正午迄に1万人、大当たりの日曜
  16朝 お花見に汐干狩りに郊外へ、この春一番の雑沓
  22永 荷風、九段の花を観る
  24朝 洲崎埋立地で自動車大競争会一等賞金3千円、2万人が集まる
  26読 春の靖国神社大祭
  29読 浅草観音堂の野外劇、開演前から押すな押すなの賑わい
  30朝 水天館「欧州大戦争」満員御礼

 

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