「熱狂的好景気」の大正八年前期の庶民娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 161

「熱狂的好景気」の大正八年前期の庶民娯楽
 原内閣が有効な経済施策を打たない中、「熱狂的好景気」といわれる実体の伴わない、いわゆるバブル景気が始まった。東京市内の物価は上がり、例えば、かけそばやもりうどんが日を追って7銭・8銭・9銭・10銭と値上がりした。そのため、下層階級の生活は苦しくなり、労働運動や労働争議が増えていった。
 市民レジャーは、好景気の余韻を受けて盛況である。特に演劇は、史上最高ともいえる観客数になった。まだ世相に暗さがないためか、「東京節(パイノパイ)」「デモクラシー節」「浜千鳥」などが流行した。
・一月「須磨子自殺す」六日付東朝
 上野動物園の新しい門が元旦から開かれた。元旦の夜は土砂降りであったが明けた二日、森鴎外は子供等を引き連れて、動物園を訪れている。新聞は、年始の挨拶まわりや初荷など目出たい記事で埋めていた。まだ、正月気分の六日、超人気スター松井須磨子の自殺の記事が紙面を大きく裂いた。あまりにも突然なので、多くの市民が驚いた。驚くと言えば、六日未明、市内に六ヶ所ある消防署から一斉に警鐘が打たれ、突如、眠りを破られた市民は驚いた。この日は、上野不忍池畔で恒例の消防出初式。開場には、手押ポンプ120余台・蒸気ポンプなどに加え外国から新たに購入した自動車ポンプ12台がお目見え、1600人の消防夫らも整列した。江戸の面影を残す威勢のよい梯子乗りを見ようとする人で、寒風吹く上野の山は身動きもできぬ盛況であった。消火演習を行い、木遣行列を最後に各消防署ごとに纏を打ち振り管内をまわって、梯子乗りの芸当は市中を賑わせた。
 藪入り、景気はまだ良いようで新聞(報知)には、小僧さんたちは懐が暖かいと見えて、浅草をはじめ、東京から江の島・鎌倉へ、また女中さんたちも穴守や川崎大師、鶴見へと向かった様子が書かれている。
・二月「きのう紀元節の佳き日に春光の下、憲法発布三十年の祝賀会は挙げらる」十二日付讀賣
 二月に入り二日から四日まで雪が降る。風邪が流行っていた、市内の全校が休校かといわれる中、この年の節分は「泥濘の為か例年よりは淋しかりき」とある。それでも、川崎大師の豆撒きは、午後九時の三番鐘を合図に始まり、豆を拾う参詣者人のどよめきが全山に響きわたるほどであったとか。境内には花火・活動・太神楽等の余興があって中々の賑やかさであった。このような記事から推測すると、各所の豆撒きはそれなりに賑わったであろう。
 十一日、憲法発布三十年の祝賀会が催された。十年前の憲法発布二十年祝賀会は盛大を極め、日比谷公園に十万人余、山車や仮装行列、住吉踊りや娘手踊りなどが出て非常に賑わった。それに対し、三十年記念祝賀会は青山権田原の憲法記念館で、国会議員など一千余名による式典と規模がかなり縮小された。一般市民にいたっては、「午前九時ごろから早くも残んの雪に彩られた権田原を三々五々老若男女が泥濘を蹴って今日の盛儀を見んと会場目掛けて詰め掛ける」というように、会場周辺で参加者を出迎えるだけであった。一方日比谷公園では、十時過ぎから帝大・早大・明大、その他大学生が続々と押しかけて、日本最初の普通選挙示威運動を起こそうと意気軒昂であった。警視庁からは数十人の警官が万一を警戒し音楽堂内に集まった。集まった2千人近い学生たちは、宣言後は、静粛に行列運動を開始。全群集は、隊を整えて衆議院に向かった。
・三月「畜産工芸博いよいよ開場」十九日付讀賣
 一日、奇抜なことで有名な一高の向陵祭。呼び物は仮装行列、風邪退治には風呂敷を背負った青鬼をかついだ万年床男、これに対するアンチビリン将軍はボール紙製のシルクハットに燕尾服を着け、赤銅眼鏡、付け髭、山高帽子のドクトル等を引き連れて意気揚々と行進、これに“百鬼夜行”などが続く。場内は立錐の余地なき有様で、入場者は3万人以上もあったと。また同じ日、神田駅の横の空き地で、東海道線と中央線の連絡運転開始を祝して、開通祝賀会が催された。式場界隈は万国旗などで飾られ、掛小屋での海老一大神楽剣舞・滑稽劇など集まった観客を喜ばせた。式が終わると芸者連による越後獅子や元禄花見踊りが催され、余興は夕方まで続いた。
 三日、朝鮮の李太王葬儀に対し敬弔の意を表すため休日、市内は桃の節句にもかかわらず人出はさして多くない。ただし、浅草だけは別格で、興行者も節句を当て込み、楽隊も一層の景気を付けて人を呼んでいた。活動写真はもちろん歌劇や芝居もすべて満員。
 陽気が春めいて来ると、東北地方の米成金などが続々と上野駅へ。一日の乗降客が3万人を超えた。駅周辺の宿屋・下宿屋70軒が満員客止めのうれしい悲鳴。雨上がりの九日、水戸の観梅列車は振るわなかったが市内の日比谷・芝・上野公園にはかなり人出があり、浅草は押すな押すなの騒ぎ。十七日付「梅の日曜」の記事(讀賣)には、市川付近の国府台や中山、花月園や穴守などへと、行楽の人がさらに増加している様子を伝えている。
 我が国初の試み、畜産工芸博覧会は、上野不忍池畔で三月十八日から五月末日まで催された。ハンブルグ門を真似た正門の会場には大仕掛けの牧場や十万点以上の畜産工芸品が展示された。牧場は二つに分かれ、左手に牛馬、右手に綿羊、背後には牧場の絵が描かれていた。また、約11mの櫓に風車を仕掛け、飲料水を吸い上げる池にはガチョウやシャモなどを放ち、リスや黒狐なども展示。余興館はもちろん、羊などの料理を味わう店もあった。
・四月「三日の汐干狩 二十年来の盛観」四日付讀賣

   「花見姿の品定め」四日付東朝
 三月の末から“気早連のお花見”というわけで、満開を待てない市民のお花見騒ぎが始まった。四日付(東朝)で、上野の「花見姿の品定め」を特集している。「出たり出たり春の老若男女、鳥打帽子に桜の花を差して萬筋の着物に角帯キチンとしめた小僧さん、友禅メリンスの対の着物に羽織お下げ姿の姉妹、可愛げ盛りの洋服着せた兄弟の手を引いたお父さん、遉(さすが)に皆春らしく垢のつかないものに更へて足はまづ上野に向ふ」と、混雑した花見客の服装について、春の流行を競っていると記している。また飛鳥山では、ばい煙で花の色がどうなろうと、そんなことはおかまいなしに、1枚10銭~15銭の筵を借り、サクラの下で手弁当を開いて楽しむ連中が多いことを紹介。
 六日付(以下東朝)には、同日、上野公園と飛鳥山で大演説会、また、向島から荒川迄が花の見頃という案内。七日付の見出しは「花に最後の日曜」、昨日の飛鳥山は16万人もの人出、迷子63人、喧嘩117件、怪我人20人、泥酔保護者が19人と、賑わいの総決算ともいえる報告をしている。もっも花見は、上野や飛鳥山をはじめ、江戸時代から続く名所や近所の寺社などでも広く行われていた。市民にとって花見は、自分の懐具合と余暇時間に応じて、気兼ねなく楽しめる格好のレジャーであった。そして花見がこのような東京の春の一大イベントになったのは、新聞による連日の報道が功を奏したのと同時に、警察の取締りが非常に緩やかだったからであろう。
 春の行楽は花見だけでなく、潮干狩りも盛んだった。四日付(讀賣)で「八千の舟に埋まる品川沖 三日の汐干狩 二十年来の盛観」と紹介されている。午前九時には神田・深川方面から五色の旗を翻して、鐘や太鼓の鳴り物入りで繰り出す団体もあった。品川沖だけでも8千余隻の船が出て大変な人出となり、泥酔して溺死した人が1名・迷子52名・喧嘩20組、それでもこのくらいのことは珍しくないものか、“さしたる出来事はなかった”と書いている。なお、貸船の相場(三月十五日付讀賣)は、船頭二人付大伝馬船が10~12円、中伝馬船が9~10円、一人付大荷足り船が5・6円、中荷足り船が4・5円見当だった。
  十九日付の新聞(東朝)に「職工の休日を改めよ」という見出しがある。これは東京府下の一流企業(石川島造船、森永製菓、鐘ケ淵紡績、大日本麦酒など)の代表者四十余名と府知事等の間で、共済組合の普及と従業員の生活状況調査や保育所の設置などについて協議会が初めて持たれたもの。そのなかで、休日を「一日十五日の旧習を破って以後日曜日に」しようという提案がだされた。詳細を読むと、それまでのように一日と十五日の休みでは子供の学校の休日と一致せず、家族そろっての楽しめない、これは家庭の団らんを軽視したものであると書いてある。そのため、月の第一日曜日と第三日曜日を休みにすることが必要。さらに、やがては毎週日曜日を休みにしてなどと、休日の決定権をもつ事業主にしてはまるで他人事のような調子で申し訳程度にに付け加えている。このように大正時代の半ばになっても、大企業の代表者は、労働者が月二回の休日を当然のことと考え、週一の割合で休日を取るのはかなり先のことと、悠長に構えていた。もっとも、八月十七日付(讀賣)「下駄屋の休日」の記事のように、京橋区内百余軒の下駄屋が他区に率先して第三日曜日を公休日として休業するというような動きも僅かながら出てきている。こうした労働者の休日への関心は、第一回国際労働会議(ILO)が開催されたことなどを反映したものであろう。
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大正八年(1919年)前期╶╴ジャー関連事象・・・三月朝鮮で三・一事件
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1月2森 鴎外、杏奴・類を率い動物園に往く
  3朝 元旦の市電客百十万、昨年より十五万人の増加 
    7読 出初式、山上山下は身動きならぬ盛況     
  9読 初庚申、電車増発し非常な賑わい       
  11万 三友館の東屋楽燕、空前の盛況        
  13朝 大相撲、客止めの初日            
  17万 日本晴れの藪入り日 前日に倍する雑踏    
  18万 大相撲、床屋の藪入りで六日目満員      
  23万 初大師雑踏を極め、川崎駅で死者2名     
2月4永 荷風、桜木に往き追儺の豆撒きをなす  
  5読 豆撒き、川崎大など各所ともに賑わう     
    6朝 有楽座の松旭斎天華一座連日満員大好評    
  9朝 新富座曽我廼家五郎一座「御前角力」連日満員
  12読 青山権田原で憲法発布三十年祝賀会      
    17万 明治座「路傍の花」他昨日満員御礼      
  27読 春のながれ 日に増さる市中の賑わい     
  28読 有楽座のベーリンデー「カルメン劇」     
3月2読 向陵祭、一高式飾り物、入場者3万人と
  2万 日比谷公園普通選挙促進の大示威運動参加者1万人を超え
    2読 有楽座「肉屋とカルメン」初日満員
  3読 東海道線と中央線の開通祝賀会、神田駅賑わう   
  4読 李太王葬儀、弔旗で市中寂し、浅草は別     
    10読 上野駅は一日乗降三万人、田舎客春の都へ   
  15読 明治座「羅馬の使者」他満員         
  17読 梅の日曜、初観梅列車など、行楽の人出    
  19万 上野で畜産工芸博覧会の開会式        
  28読 浅草寺開帳30日間(四月一日より)     
  30永 荷風築地本願寺の桜花を観る       
  31読 好晴れの日曜日 各所雑踏            
4月4読 花の旗日 満都浮かれて上野・浅草素晴らしい人出 
  4読 品川沖の潮干狩り、二十年来の盛観      
  5読 千代田館「八犬伝」大好評          
  6万 球界興味の一高対三高、観衆2万5千人    
  9読 盛大な花祭り                
  10読 御国座「博多仁輪賀」盛況           
  12森 鴎外、妻子を率い鶴見花月園に往く 
  13永 銀座に出でて見るに、花見帰りの男女雑踏
  14万 荒川堤と小金井、花も見頃人も出盛り
  18読 花見客の総勘定 次第に地味な気分が増す
  18読 新富座乳姉妹」満員盛況