大正九年前期 不景気であるが庶民は遊ぶ

江戸・東京庶民の楽しみ 164

大正九年前期 不景気であるが庶民は遊ぶ
 戦争による好景気も九年までで、三月の株式の大暴落と、不況が始まった。不況による労働争議は多発し、官憲による弾圧が厳しさを増していった。「平民宰相」原は、普通選挙法案審議を拒否し、衆議院を解散した。結果、政界はまた元の政友会に握られてしまった。この年、第一回のメーデー、「繰出した三千余名」と参加者は市民のほんの一部であった。十一月に催された明治神宮鎮座祭の参拝客の人数とは比べようもない。
 市内のレジャーは、不景気ではあるが必ずしも低調ではない。成金の姿は影をひそめたが、映画や寄席等の安価なレジャーは健在であった。この年の流行した歌は、「鴨緑江節」「安来節」等。靴下の値段、7・80銭~3・4円。上野の茶屋のお休み料、桜餅四つ付いて20銭だが、四月には値上げの予定。
・一月「二年振りで蓋を開けた国技館」十七日付讀賣
 元日の市内は、好天に誘われてどこも活況。なかでも上野公園から田原町・雷門まではまるで「人の海」というような状態。六区の活動写真館から歌劇、劇場などの好景気は言うまでもなく、元旦の飲食店は軍人や店員連中が店一杯に占拠して大騒ぎという有様。また、川崎大師には30万余人もの参詣者が殺到、その混雑で2名の死者を出し、電車に飛び乗り損なうなどの事故も起きている。
 四日付(万朝)には「六十一年目庚申の年の庚申の日の柴又帝釈天の凄まじい人出」と長い見出しが出ている。もよりの押上駅では押し寄せる人で臨時切符売り場や手摺りが破壊され、数百人が線路内に落ちるという騒ぎ。やむを得ず、婦人子供や年寄は他の駅に向かった。この日は、午前十時頃までに開運守り2万・御供物50万・開帳札2万・風封お守り30万を売り尽くすという。帝釈天始まって以来の人出であった。
 昨今、紳士学生の乗馬が盛んになり、婦人や令嬢達も内緒で練習という。その記事によると漱石の息子たちも練習中だとか。
 火事騒ぎのあと、二年五場所ぶりでもとの両国に戻り、周辺の商人たちの喜びは一通りではなかった。注目の十五日の初日は、満員の盛況で相撲協会は万歳。ところが七日目に事件が起こった。番狂わせの度に茶碗やミカンが投げられ、他の観客に当たり頭部打裂症、ビール瓶で頭を七針も縫う重傷を負った。
 二十三日の新聞(讀賣)には、神田青年会館に普通選挙無産者大演説会が開かれ、時節から満員の盛況とある。もっとも開始直後、50名の警官を引き連れた所長が中止を命令、「決議も演説も悉く禁止」という。これを無視した労働者は連行されたが、その時「巡査四名に咬付き警部を殴る」というような滅茶滅茶な騒ぎとなった。
・二月「壇上相次いで熱弁を揮う 普選の叫び」二日付万朝
 この頃になると普通選挙権の獲得のための運動が盛んになっていった。一日の国技館は土間も二階も悉く人で埋まり、その数2万余人。さらに演説終了後は大示威運動として提灯行列を行い、旗を先頭に楽隊の演奏につれて両国橋を渡り須田町・日比谷・二重橋前へ。主催者は、この日の催しを「模範的の示威運動 更に静粛に熱烈に二回三回挙行する」と語った。十二日付の新聞(万朝)には「普選促進大示威運動 人に埋まった上野の集合場」「示威行列数十町 芝公園から繰り出した」と書かれた。上野には50団体、芝に12団体と、警視庁は千人もの警官を出動させ警戒したが、大した混乱はなかった。二十三日付でも「芝公園を埋める68団体普選促進全国連合大懇親会」と連日のように関連記事が紙面を賑わした。
・三月「梅日和、人出に賑わう各公園」八日付万朝
 三月、株式市場の大暴落に始まり、米や生糸相場なども下落、工場の廃業が続発、第一次世界大戦による好景気もこの頃まで。しかし、市民の行楽はまだ影響はないようで、七日の日曜には、市内や郊外も梅見の人が出た。彼岸には祭日(春季皇霊際)と日曜日が重なって、麗らかな春日和に行楽の人がどっと繰り出した。また同じ日に六十八団体が芝公園に集まって普選連合大会を行い、日比谷公園や上野公園でも集会や宣伝活動が行われていた。また、芝浦では埋立地で罷工の示威行列が芝公園から以下蔵方面へと流れた。市内は緊張とくつろいだムードが同居していた。
 上野界隈の宿は、宿泊料を前年より三割以上も値上げしたにもかかわらず、三月の末でも宿泊の申し込みが続いた。まだ地方の景気は良く、東京見物に続々と人々が押し寄せ、花が咲く四月上旬から中旬頃の市内の旅館はすべて満員になった。事実、四月四日付(讀賣)の新聞に「雨の祭日、地方の観光団 活動芝居大当」と、地方の景気は悪化していないらしい。
・四月「花浮れた満都の人」「青菜に塩の株屋町」十二日付讀賣
 三月の末から花見の記事が出ている。上野公園のヒガンザクラは蕾が赤くなっている程度、飛鳥山のサクラはまだ芽が出始めたくらいだというのに、ポカポカとした花見日和に誘われてたくさんの人出があったという。その上、上野行きの電車は鈴なりで、家族連れは1・2台待っても乗れないありさまだった。飛鳥山でも、花見茶屋は2軒ほどしか開いていないのに、遊山の人はかなりいたらしい。飛鳥山の花の見は、一重のサクラが終わると八重ザクラが続くようになった。そのため新聞は、10軒ある茶店には、花見の期間に45万円のお金が落ちるだろうと予測している。
 四月に入ると相も変わらず新聞紙上は、「花浮れた満都の人」「仮装と乱舞の飛鳥山」「隅田川は錦絵の様な鴎と花見船」・・・と。お花見関連の記事が満載。中でも人気の飛鳥山への電車の利用客は、12・3万人という。市電車に乗った人も24万人。一方、同じ紙面に、株の大暴落を報じ、さらに下がれば縊死や夜逃で花見どころではないような、先行きの暗い記事も。中旬には飛鳥山で、花火に楽隊650人もの仮装、踊りの師匠連が弟子の芸比べ・・・と非常に盛り上がった。この年の花見は、「喧嘩の仕方題」と書かれるなど警察はいたって寛大であったとか。
 さて、サクラの次は、市民は一斉に潮干狩り、大師の縁日へ参詣方々、品川や羽田の海岸へ船や電車でたくさん繰出した。もっとも、人出の多い割りには事故がなかった。同じ紙面に「期米続いて激落」、「綿糸も同様底知らずの形勢」と景気の後退は続いている。また、総選挙が始まり(五月十一日投票)、市民の関心を集めようと新聞も報道に力を入れはじめた。
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大正九年(1920年)前期のレジャー関連事象・・・一月国際連盟発足
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1月2読 元旦の市中、初詣で賑わう         
  2読 川崎大師、30万余人の大混雑で死者2名  
    3永 市中電車雑踏甚しく容易に乗るべからず  
  4万 庚申の日の柴又帝釈天凄まじい人出、御供物50万、風封じお守り30万
  4読 紳士間に乗馬熱、漱石の令息も練習
  17読 二年ぶりの国技館、初日満員の盛況
  18万 三友館「梅咲く宿」大入り満員
  21万 浅草吾妻座隣地のローヤル・イタリアンサーカス連日満員の盛況 
  24時 劇場・寄席での喫煙禁止を警視庁通達
  23読 神田青年館で普通選挙無産者大演説会満員
  29読 深川初不動、雑踏を極む
2月2万 国技館で普選の叫び、2万余人       
    4万 明治座「生命の冠」他満員御礼       
  5万 追儺式、深川不動・成田不動・川崎大師などは賑わう 
  5万 新富座曽我廼家五郎初日以来満員
  12万 上野公園で普選促進大示威運動2~3万人  
  13読 箱根駅伝日比谷公園から14日スタート  
  23万 芝公園を埋めた68団体普選促進全国連合大懇親会 
  24読 上野みやこ座「若き血潮」他大好評
  24読 高島屋の売出しに入場14万人
  29永 荷風、午後雪解の町散歩す
3月2万 一高三十年記念祭、夜は寮庭に一大不夜城
    5万 明治座「国光」他好評満員   
  8万 梅日和、人出に賑わう各公園、京浜電車は満員続き
  11万 御国座「伽羅千代萩」他連日満員御礼        
  14万 本郷座「白鳥の歌」他初日満員御礼
  17万 新富座で当彌生興行連日大入り、23日に荷風、立見 
  20万 公園劇場「野崎村」他連日大満員日延べ
  21万 演技座「引貫筒真田入場」他満員御礼
  21森 鴎外、杏奴・類と伊豆栄で昼食、動物園へ
  22万 芝公園に普選連合大会、日比谷公園等でも集会
  22万 麗らかな春日和、上野も浅草も人の山
  29都 花見日和に上野・飛鳥山に人出
4月4読 雨の祭日、地方の観光団、活動芝居大当り
  8万 明治座「遠山桜天保日記」他満員御礼    
  9読 日比谷の花祭り 好晴の賑わい       
  11万 本郷座若手歌舞伎「新古劇八番内佐倉宗吾」他連日満員
  11森 鴎外、桜花盛開、妻子と出門、至日暮里   
  12読 花に浮かれた満都の人、仮装と乱舞の飛鳥山    
    18永 荷風、日曜日なり、快晴、夜銀座を歩む
  19万 飛鳥山底抜騒ぎ、警官は寛大喧嘩の仕方題
  22万 品川羽田の海岸は潮干狩で大賑わい