大正十一年前期 不景気で不安な庶民娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 170

大正十一年前期 不景気で不安な庶民娯楽
 大正十一年、高橋是清首相は緊縮財政策を目指したが、内閣を統率できず総辞職。他方、野党が提出した普通選挙法案は、三度も否決された。政局が混迷する中、政党外の軍人が首班となり、軍部・官僚・貴族等による内閣が成立した。
 不景気で節約ムードが浸透するも、三月からの平和博覧会が開催されるや、一千百万人を超える入場者を記録した。ビッグイベントがあると市民のレジャー熱は、誘発される傾向があり、映画や演劇なども前年よりも多くなっている。また、夏は暑かったらしく海や山へ出かける市民が増え、特に日帰りの避暑が流行した。この年の流行歌には、「流浪の旅」「馬賊の唄」「ピエロの唄」などがある。大衆タバコが値下げ、ゴールデンバット(10本)が7銭から6銭、なでしこ(40匁)が30銭から28銭。上野動物園値上げ、大人5銭から10銭。雑誌の創刊が続く、『週刊朝日』、『サンデー毎日』、『令女界』、『前衛』など。
・一月「二日も多い 神宮参拝」三日付讀賣

           「大隅候の国民葬」十八日付東朝
 元日は初雪、それでも明治神宮参拝には多くの人が出かけ5万人。二日は好天気で暖かく14万人もの人出。市内寺社で最も賑わったのがここで、お賽銭も明治神宮が一番。元日の市電車は、増発されたにもかかわらず乗客が約10万人と極端に少なかった。二日は各電車が混雑し、「鈴成り有様」であった。一方省線も少なく、新年の旅行者は減少した。二日の特急車は不景気を反映してか、一等車に乗客が全くいないような有様であった。「淋しい初荷 大抵は空景気」「江戸の名残の初荷も年毎に廃れて来た」、初荷の小旗を立てて市中を練った車があるが、それもせいぜい旧習を忘れずにすむ程度のものであった。
 市民のレジャー気運が冷えている中で、十四日の「大相撲二日目、今日も中々景気が良い」(以下東朝)、「雪で寂れた日曜、藪入りの浅草、大相撲は大入」と、大相撲は例外的に盛況である。十七日、「法被、前垂、丸髷と 参拝者は数十万 飛ぶ飛行機、流れる群衆」と、大隈重信国民葬日比谷公園で催された。生前の人気を反映してか大勢の人が出たものと思われるが、最大でも東京朝日新聞に書いていた20万人程度だろう。時ならぬ人出に喜んだのは日比谷から銀座の飲食店で、「盆と正月が一所に来た様な大繁盛」であった。
・二月「普選断行の熱叫、芝公園の民衆数万」六日付東朝、

           「暖かな梅日和」十三日付東朝
 二月に入って、一月三十一日付(讀賣)「穴守の豆撒き」について予告はあったが、人出については特別多くはなかったとみえて記事にはならなかった。六日付「我に選挙権を 与えよの熱叫 盛んなりし普選デー 会衆数万に上る」と、芝公園で開かれた集会に紙面が割かれている。普選デー閉会後、民衆の大部分は会場にとどまっていた、するとアルコールの入った労働者が壇上に上がり、野次を飛ばし『これから高橋首相を訪問するが誰も従いてはならぬ』と言い捨て電車通りにでた。野次馬はこれを取り巻き、場内からは群衆が雪崩出て電車を止める大混乱となった。しかし、警戒にあたっていた警官隊が整理にでると、「煙のように消えた民衆」とある。
 九日、山形有明国葬が「勅使御使の代表文武官の礼拝に 場内粛然として哀調いとも悲しく」(東朝)日比谷斎場で営まれた。日比谷をはじめ護国寺などの沿道には多くの人が集まったが、「楽の音も湿やかに 淋しかった国葬」であった。同じ紙面に、「之に反し国民葬の隈候に盛んな人気」と葬式以後も参拝者が引きも切らず「三十一日目の此頃も二千人の参詣人」と報じている。国葬日に劇場などの興行物を、休業にすべきか否かが論議されたが、浅草などは人出がなく閑散としていた。
 十二日付(讀賣)「芝山内を揺がす 国民の熱叫 紀元節の佳辰を卜して 普選要求の真剣な叫に 集う数万の群衆」。芝公園で第二回全国普選デーが開催された。また、小石川護国寺で失業救済の集会が「婦人連も交って 昨日の示威行列 労働歌を高唱し三千余 護国寺から飛鳥山まで」。二十三日、永井荷風虎ノ門日比谷周辺で普通選挙示威運動にぶつかり「雑踏甚し」と日記に書いている。二月にしては戸外に人が出ている。市内で行動していたのは労働界だけでなく、運動界も、日比谷で蹴球大会の第一日、2万人のファンが集まった。行楽では小石川植物園の梅見に2千人が散策していた。十三日付の新聞(東朝)には「暖かな梅日和」との見出しで、まだ三分咲きの植物園に前日よりも多い3千人が詰めかけ、日比谷公園芝公園、上野公園などかなりの人が出た。また、大森と羽田の海苔拾いは「遊山の人で埋まったのも見物であった」、「鈴成り電車 京王は五割多く 新宿は倍の大汗」など郊外へも行楽にでたことを報じている。
・三月「雨の昨日平和博開かる」十一日付讀賣
 三月、新聞は十日から始まる平和記念東京博覧会の話題で持切り。呼び物は平和塔や水上飛行など、建設工事は遅れ気味であったが、市民は二月頃から下見に訪れている。開催期間は三月十日から七月三十一日までの百四十四日間。入場料大人平日60銭・休日80銭、夜間20銭。その他場内には有料施設がいくつもあり、例えば、演芸館が大人1円、平和塔20銭、水上飛行1円、等々、すべてを見ようとすれば6円を超え、さらに飲食代を加えるとかなりの額になった。
 平和博の初日、十日はあいにくの雨、「一万六千の来賓は乾杯の酒に酔う」(以下東朝)だが「昨日の入場者は少く」と順調な出だしとは言えなかった。十一日、「天気は晴れたが不景気な第二日の平和博」と約4万4千人の入場者。十四日付「お高い料理 平和博の売店」など評判はあまりよくない。十九日は、「日曜日の大賑い 一分間に150人の入場」と平和博の入場者は増えていった。二十五日、「朝日デーの入場者 十万人を突破せん」と。二十八日付(以下讀賣)「夜間開場を繰り上げて一日から 昼の入場券で引続き見物出来る」と、来訪者を増やすために臨時に夜間開場を行った。それが功を奏してか、4月に入ると市民はどっと平和博に押し寄せ、一日は「夢の世界でも見る様な観衆、入りも入ったり夜だけで10万」。二日も「余興館も客止で開場以来の盛況」になった。
・四月「花に酔った昨日の人出」「余興館も客止め・・・昨日の平和博」(三日付讀賣
 花見は、彼岸の三月二十二日付(以下東朝)「パッと開いた彼岸桜」と上野の写真を掲載。三日付(讀賣)「花に酔った 昨日の人出 どの電車も鈴成り 飛鳥山だけでも六七万」、四日付(東朝)「観楽の春に酔う けふの人出二百万人濃化粧した花の山も、汐干も郊外も素晴らしい人出、市電は既に昨年の記録を突破」「崩れそうな飛鳥山の大混雑・・・朝の中十四五万」等々サクラの記事が満載。神武天皇大祭日は、平和博をはじめ花見や潮干狩りなど市内はもとより郊外にまで、東京の人々の半数以上が行楽に出かけたもよう。
 四月の人出は花見までのようだ。二十二日付の新聞(讀賣)には「少ない入場者に じれ気味の平博当局」。十一日が6万7千、十二日が7万1千、十三日が8万1千、十四日が2万4千、サクラが散ってしまったら平和博の入場者が減少。一日平均10万人の入場を見込んでいたらしいのに、三割程度足りない。五月になったら福引きを催し来訪をうながそうという狙いだが、「明日より靖国神社春季大祭、人気は上野を去りて九段へ」(二十八日付)と先行きは厳しい。一度見物した客を再び平和博に呼び寄せるには、魅力不足なのは歴然としていた。
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大正十一年(1922年)前期の主なレジャー関連事象・・・2月ワシントン条約締結/3月全国水平社創立
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1月3朝 お賽銭は明治神宮が一番、元旦5万人、二日14万人
  3読 新年の旅行者少なく、二日の特急一等車乗客なし
  4永 荷風、寒気地中より湧くが如し、銀座通も人影なし日比谷を歩みて帰る
  6朝 初水天宮の賑わい例年より参詣少ない
  7朝 日比谷の出初式、波のような人出
  15朝 大相撲二日目中々景気が良い
  16朝 藪入りの日曜、雪で浅草寂れ、大相撲は大入り
  18朝 大隈侯の国民葬、日比谷に渦巻く民衆の大波
  21朝 ジョッフル元帥歓迎大万灯を先頭に2千人の提灯行列
    26読 金竜館・常盤座・東京倶楽部の開館式、喜劇や歌劇で大賑わい
2月5朝 本郷座「海の極みまで」初日満員御礼
  6朝 普選断行の熱叫、芝公園の民衆数万
  10朝 山県公の国葬儀で日比谷葬場外の雑踏、浅草は閑散
  12朝 日比谷の蹴球大会第一日、2万のファン雲集 
  20読 春暖かな日曜日、準備中の平和博見物などで上野賑わう
  20永 荷風、銀座に往き食事をなす。帰途日比谷公園を歩みて樹下に憩う
  23永 普通選挙示威運動にて虎の門日比谷の辺雑踏甚だし
3月6永 上野に博覧会開かるるが故にや銀座通人出いつもより多し
  11読 上野で平和記念東京博覧会開催、雨の中来賓1万6千は乾杯の酒に酔う
  11読 三友館「松風村雨」大入り日延べ 
  11永 荷風、亀戸の菅廟に詣で、茶屋に憩う
  12読 天気は晴れたが不景気な平和博第二日目4万4千人
  18日 有楽座「研漠新舞踏研発表会」満員御礼
  20朝 日曜日の平和博、一分間に150人入場の大賑わい
  26朝 平和博の朝日デー、入場者10万人を突破
     27読 金竜館「カルメン」他連日満員
  27読 稲門接戦で三田に勝つ、観衆1万に満つ
4月2読 平和博、夢の世界でも見る様な観衆、夜だけで10万人入る
  3日 芝浦球場で大毎又勝つ、観衆頗る大入り
  3読 花に酔った人出 飛鳥山だけでも6~7万
  4読 20万人近い人が渦巻く、乱舞の飛鳥山
  12永 英国皇太子来朝の由、市中は歓迎の民衆
  14読 目黒の春季競馬
  15永 銀座通この夜人出おびただし
  19永 銀座通花電車の通過を見んとするもの堵の如し
  27日 地震で平和博の陳列棚は総倒れ、入園者45,648人
  23読 早稲田軍インディアナに大勝観衆1万余 
  28読 靖国神社春季大祭、人気は上野から九段へ  
  29読 潮干狩り船は約定済み、晴天なら大変な賑わい