諒闇でも盛んな市民のレジャー熱

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)190
諒闇でも盛んな市民のレジャー熱・昭和二年四月~六月
 市民のレジャーが盛んなことはき確かだが、騒ぎを伝えることが強調されているようで、人々がいかに楽しんでいたかという様子がよく見えない。記事からは、おおらかな遊びの雰囲気を伝えようとする感じがない。特に花見の時期は、誰もが浮かれ楽しみ、それを盛り上げるような紙面構成が大正時代には感じられた。それが昭和に入ってからは、殺伐とした世相も記事にしている。四月十二日の東京朝日新聞朝刊で目についたのは、スリと自殺の記事である。スリの被害が17件も被害者氏名と被害金額が列挙されている。スリの被害者も加害者も下層階級であることはいうまでもない。また、自殺は、花見で幸福そうな家族を見て、自分の孤独を悲観し、ねこいらず(殺鼠剤)を飲んだ22才の女中で、その生い立ちなども記されている。このような記事は、大正時代の新聞にはなかったと思われ、下層階級の人々がこれからさらに厳しくなる雰囲気が漂いはじめている。
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昭和二年(1927年)四月、諒闇ではあるが市民の花見は盛り上がる・・若槻内閣総辞職
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4月3日読朝 「満員続きの日光博」
  4日読朝 「散策日和で、押した凄じい人波」
  9日朝夕 「花祭り 日比谷の賑わい」
  10日荷風 飛鳥山に花を見んとて行く人織るが如し
  11日朝朝 「花さいて始めて出た人の潮 ざっと百五十万!」鉄道乗客百一万人、収入40万円超える
  19日朝夕 「レコード破り 人出百三十万」新宿駅乗降客九万三千、東京駅四万四千、上野駅二万六千など
  20日朝朝 東京遊覧乗合自動車、案内付き大人3円50銭・子供2円50銭、毎朝八時と九時出発
  21日朝朝 新橋演舞場で天勝一座の大魔術
  24日朝朝 六大学リーグ戦、明治対立教で開幕
  25日朝朝 東京対抗陸上競技関東代表予選会、神宮競技場のメーンスタジアム満員(会員券50銭)
  26日荷風 帝国劇場に赴く、露西亜オペラ比夜より十日間興行する由
  30日朝朝 「三日続きのお休みに 押出したり新緑の郊外へ」
  30日朝朝 朝日新聞社講堂のベートーヴェン百年祭、前夜にまさる大盛況
 
 大正五年の調査(郵便報知四月十四日付)では、東京府内に7万本(市内に5万本)のサクラの木があった。それが約十年で五割以上増え、「東京にさく さくら十一万五千本」朝朝④となった。十日の日曜日は、開花を待ちわびた人出「ざっと百五十万!」人、諒闇とはいうものの市民の花見は止められない。
 花見鉄橋の開通した飛鳥山では、仮装御法度にもかかわらず、白粉に赤手拭いの出で立ち、中には威勢よく踊る人もいた。上野は家族連れが多く、「人出四五十万は下るまい」と。迷子は上野・飛鳥山で136人、喧嘩乱暴は19件と、警察が眼を光らせていたこともあって比較的少なかった。十一日も昭憲皇太后祭の明治神宮は賑わい、市民のレジャーは盛り上がりはじめた。
 そして十七日、春の行楽は本番に入って「レコード破りの人出」、新宿駅の乗降客9万3千人をはじめ、東鉄管内合わせて132万余人を記録。その後のレジャー関連の記事を示すと、東京遊覧乗合自動車の広告、新橋演舞場で天勝一座の大魔術。東京対抗陸上競技関東代表予選会は、好天に恵まれメインスタジアムは満員、等々。さらに、天長節靖国神社の大祭・日曜日の三連休に、「新緑の郊外へ」出かける市内の各駅は大混雑であった。

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昭和二年(1927年)五月、大相撲夏場所十一日間連続満員の盛況・・第一次山東出兵、東洋モスリン亀戸工場五千人スト
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5月2日読朝 目黒競馬第二日、観衆三万余人
  2日朝朝 神宮競技場で朝日新聞社主催の東西対抗陸上競技、観客は場内を埋め尽くす
  2日朝朝 メーデー、芝の有馬ケ原に26団体62組合労働者約二万人、「平穏に」検束144人
  4日荷風 銀座を歩む、路傍の夜市五月人形を陳列す是震災後に到って始めて見る所なり
  5日朝朝 歌舞伎座「春色男女道成寺」連日満員御礼
  9日読朝 慶明戦、春シーズン第一の人出で二万五千

  11日朝朝 日比谷音楽堂で「ベートーヴェン百年祭および記念音楽会」に一万人の観衆
  13日朝朝 国技館の大相撲、民衆デーに賑わう初日、二階三階は早朝から満員
  23日朝朝 日本大相撲協会、十一日間満員で御礼広告
  24日読朝 邦楽座「ブロードウェイフォーリス大歌劇団」連日満員御礼
  25日綺堂 平河天神の縁日、なかなか繁盛
  28日読朝 本郷座「新宿夜話」他連日大入り満員
  30日読朝 神宮球場、加州大対慶大、観衆二万五千人

  31日朝朝 堀切のショウブ、潮干狩りの谷津・稲毛、玉川プール等々の広告
                                                
 目黒競馬がはじまり、「目の色を変えるファン 観衆すこぶる多く」朝朝①と、前月に引続き市民レジャーは活発である。神宮競技場では、朝日新聞社主催東西対抗陸上競技で「場内うめつくす」混雑。神宮球技場の明法戦は「今春随一の盛況」朝朝②、延長戦となり7対7の熱戦で引き分け、観衆の興奮が納まらず「未曽有の熱狂」により第二回戦は当分延期となった。
 歌舞伎座が『春色男女道成寺』連日満員御礼の広告。十日の『ベートーヴェン百年祭および記念音楽会』は五日前に切符売り切れ。大相撲夏場所初日は、民衆デー50銭ということで、国技館の二階三階は早朝(相撲は朝六時に始めて夜九時に打ちだし)から満員。好取組みが続いたかと思えば、そうでもないらしく「やけ気味の大入、面白い相撲がないのに」朝朝⑳とある。それでも十一日間も満員が続き「十五万人」読朝もの観客。日本大相撲協会は御礼広告を出した。
 市民のレジャー気運は、盛り上がっていたのだろう。岡本綺堂は、二十五日に混雑した平河天神の縁日に出かけ、ハゲイトウの苗を買った。三十一日付の新聞朝朝 には、行楽へと誘う「堀切のショウブ」「潮干狩りの谷津・稲毛」「玉川プール」等々の広告が出されいた。

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昭和二年(1927年)六月、梅雨に入ってもなかなか盛んな市民レジャー・・立憲民政党結成大会①
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6月2日朝朝 「多摩川べりへ六千人の太公望」郊外電車満員
  6日朝朝 歌舞伎座「水野十郎左衛門」他、初日以来悉く売切御礼
  6日朝朝 本郷座「柴田勝家」他連日満員御礼
  11日読朝 新橋演舞場「妹背山」他満員御礼
  13日朝朝 上野の明治大正名作展「参観実に一万三千名人気高潮」
  13日読朝 「泳ぎ場」の許可願、水上署に殺到
  29日荷風 三十間堀地蔵尊の縁日を看
                                                
 六月に入り鮎の解禁、「多摩川べりへ六千人の太公望」と、郊外電車は満員であった。行楽だけでなく、綺堂の見た歌舞伎座や本郷座などの劇場も大入り。三日から始まった上野の明治大正名作展は、十二日に1万3千人の入場者があるなど、市民レジャーは六月に入っても落ち込みが少ないようだ。なお、明治大正名作展は30日間で17万8千人の入場があった。また、国技館でも「朝鮮博覧会」が七日から開催されている。
 

凡例
新聞は発行日。日記は記載日・○( )の数字は日にち。
朝朝は東京朝日新聞朝刊・朝夕は夕刊
読朝は読売新聞朝刊・読夕は夕刊
日朝は東京日日新聞朝刊・日夕は夕刊
・新聞以外の資料として、次の作家の日記を引用した。
綺堂は岡本綺堂の日記  
高見は高見順の日記
荷風永井荷風の日記
古川は古川ロッパの日記