世知辛い遊び方が増えた五年秋

 江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)204
世知辛い遊び方が増えた五年秋
 娯楽を求める人々の数はあまり減らないものの、世知辛い遊び方をする人たちが目に付く。十一月の初め頃までは、遊びの賑わいは前年と同じようであったが、浜口首相が東京駅で右翼に狙撃されると、一気に萎れてしまった。菓子やタクシー料金などの値下げが顕著になり、前年にも増してデフレムードが漂った。また、賭博や「エロ・グロ・ナンセンス」が流行するなど、社会の暗さが目に付く。その一方で、歳末の商売では高級品の売れ行きが増したとか。貧富の差が広がって行くようで、社会の不満は、以後も少しずつ増大して行く。不景気を反映してのことであろうが、社会のゆとりが無くなっていく。
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昭和五年(1930年)十月、第三回国勢調査①、不景気を反映するレジャー風景
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10月2日Y 国技館の「日露戦役二十五周年記念」菊大会、開館
  13日Y お会式の人出 三十五万人、賽銭泥棒3百余人
  17日A 「帝展不景気混雑記」1枚の招待券で六十人入場など午前中に六千人突破
  17日A 「近郊各地の紅葉便り 臨時列車が増発」
  19日A 「早慶戦始まる」粉擾の解決未だし
  20日y 中山競馬三日目天気に恵まれ大入り
  23日ki 靖国神社大祭へ・・すこぶる賑わっていた
  30日A 明治神宮鎮座祭体育大会始まる
  31日A 明治神宮賑わう
                                                
 市民レジャーも不景気を反映する記事が多い。十二日の池上のお会式は、「三十五万人」の人出。迷子は三十五人、スリは1人と少なかったが、賽銭泥棒が三百人以上も検挙された。「帝展不景気混雑記」では、初日の入場者が午前中に6千人を突破するが、1枚の招待券で60人が入場する世知辛い人々による賑わい。十八日から早慶戦が始まる。入場券の分配数について早大生が騒いでいる。これも転売して利益を得ようとする者がいるためである。
 靖国神社の大祭、綺堂は、二十二日に花火の音を聞き翌日の午後に足を運んだ。天気もよく、神社内外ともたくさんの人出。荷風も番町まで出かけた際に、周辺の賑わっているのを見ている。二十九日から明治神宮鎮座祭体育大会が始まり、以後も神宮周辺の混雑は続く。

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昭和五年(1930年)十一月、浜口首相が東京駅で狙撃される⑭、明治神宮鎮座十年祭で湧き返る
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11月2日A 明治神宮鎮座十年祭「花電車に賑わう夜」
  2日ki 明治座は初日満員。第一「義士忠録」他
  4日a 参拝者百万 明治神宮空前の人出
  8日A 「お天気に賑わう浅草の酉の市」
  9日A 東京劇場「富士に題す」連日満員御礼
  10日y 根岸競馬最終日 入場者二万人
  11日A 銀座の新露店街開店「発明品市場」
  19日A 「ふえる一方の競馬賭博」
  21日A 歌舞伎座仮名手本忠臣蔵」初日以来完全に売り切れ
  23日A 上野動物園「動物祭」

 明治神宮鎮座十年祭は、花電車が出て前夜からごった返した。三日は、未明から参拝者が訪れ「明治神宮空前の人出 参拝者百万」の勢い。市中は銀座や新宿を中心に活気を呈し、浅草なども素晴らしい人出で、各館とも早々と「大入御礼」の看板を出していた。祭三日間の人出は、市電乗車客が452万人、バス59万人、省電乗車客125万人であった。なお、新聞は、夕刊一面の大半を割く記事としている。
 お祭騒ぎの人出は、七日の浅草酉の市まで続いた。十四日に浜口首相が東京駅で狙撃されると、レジャームードは一転。不景気を反映するような記事、「ふえる一方の競馬賭博」などに市民の関心が移っった。荷風の九日の日記に、「市中一般餅菓子も一銭値下げせし由、自動車は是まで市内一円の定めなりしがこの春五十銭となり今は三十銭となる」とある。
 一日、浅草玉木座で清水金太郎・榎本健一淡谷のり子らが「プペ・ダンサント」を旗揚げする。翌月『西遊記』で大当たり。五日付aで、「際限なきエロ的所作の発散に 警視庁もあきれて」ということで「レビュー団に警告」が出された。その内容は、
一、舞踏、手踊等にして腰部を前後左右に振る運勣を主とするものは禁止すること
二、舞踏、手踊等にしてまた観客の方に向け継続的に露出するものは禁止すること
三、ズロース(猿又)はまた下二寸位のものを使用せしむるを、ズロースは肉色(桃色)を禁ず
四、背部は上体の半分以上を露出せしめざると
五、前身は乳房以下を露出せしめざると
六、肉じゅばんを着し服物と称し曲線部を表すものは腰部を必ず覆はしむると
七、照明にして着衣、服装を肉色に表すものは禁止す
八、日本服の踊は膝より上のズロースを用ふること
とある。
 劇場の入りが悪くなりそうになると、上演すれば必ず当たる『忠臣蔵』を出したが、どうも関係なさそうであった。翌月からの出し物も、入りはかなり良さそうである。
   
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昭和五年(1930年)十二月、上野帝室博物館再現⑯、銀座通りに「押し出た人波 すごい売行」
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12月12日A 東京劇場「松竹レビュー第二回公演」満員御礼
  21日A 銀座の発明露店「士族の商法大当たり」
  22日Y 歌舞伎座「荒木又右衛門」他大入御礼
  25日A スキー列車初運転
  26日A 「越年の頭痛も けし飛ぶ勢い」「出て来た客脚 浅草興行街」
  27日ki 銀座の大通りは賑わっていたが、商人達は一向に不景気

 「松竹レビュー第二回公演」の満員御礼の広告がある。警視庁が取締りを強化したことによって、レビューは逆に市民の関心を高めている。事実、「エロ・グロ・ナンセンス」が流行語になり、さらにエスカレートしていくことになる。
 不景気は、綺堂の日記にも度々でてきて、十九日に「多摩川園も今年は非常に不成績であった」、二十五日散歩に出て「靖国神社付近の大通りもあまり賑わっていない」、二十七日には「銀座の大通りは賑わっていたが、商人達は一向に不景気であると呟いていた」と記している。その一方で新聞Aは「三越談 二十五日の来客はザット十五万人です昨年に比し三割方多い、商品の売上高も一割位の増加」と。「予想が外れ高級品が飛ぶ如く」のように、金持ちの懐は持ち直し、増えてきたのではなかろうか。

 新聞は、「景気は街頭から?」と題して、「押し出た人波 すごい売行」、「夜間営業を延長」、「大物がどしどしはける」羽子板の景気、などと景気を煽るように見える。