江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)223
天候不順でレジャー熱が冷えた十年夏
先月までの市民のレジャー気運は、川開きで一区切りという感じ。新聞紙面は盛況な様子を伝えるものの、天候不順で盛り上がらす。特に八月は涼しく、雨(0㎜以上)が20日、「どこへ行った“夏”まるで梅雨型の変態気圧」とある。日米対抗水上競技大会「水の世界王者争覇戦」と大々的に取り上げ、満員の神宮プールの写真が掲示されている。初日(十七日)の気温は24℃、一般市民が大挙して観戦しているようには見えない。こんな処にも、新聞は、日米の対抗意識させる書き方で、「千五百に日本全勝 堂々七点リード」と優越感を誘っている。
八月の末からは、台風で江東方面は1万6千戸が浸水。さらに九月は、雨(0㎜以上)が23日と八月より悪化した。二十四日には、市内で5万余戸も水浸する。二十六日はさらに、利根川が氾濫し近県は大被害となった。天候不順で野菜か値上がり、家計も苦しくなり、市民はレジャーどころではなくなったようだ。
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昭和十年(1935年)七月、東京朝日新聞など八社の日曜夕刊廃止⑦、東海道線「特急富士にお風呂列車」運転⑮、夏を向けてレジャーを盛り上げようとする新聞
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7月2日A 川開きのトップ、六郷の花火
5日a 映画説明者に認可制度撤廃、警視庁
7日y 歌舞伎座「坊ちゃん」他初日から超満員
15日A お盆レビュー、浅草で上演中発火大騒ぎ
18日a 浅草帝都館「かごや判官」他満員御礼
18日a 浅草松竹館「雪之丞変化」他満員御礼
22日A 飛び出した都人、海へ山への第一日
22日y 鎌倉由比ヶ浜の名物謝肉祭、仮装行列
27日Y 村山貯水池畔の花火大会
川開きのトップは多摩川下流の六郷、花火の種類も豊富でなかなかの賑わい。八時頃には橋も広い両岸も水上も、夕涼みがてらの見物人で押すな押すなの盛況。新しい、気軽な感じの花火大会ということで、「近代川開き風景」とある。それに対し両国の川開きは、「不夜城の大川端」とスケールの大きさ、豪華さを見せつけ「五十万の群集」を魅惑した。なお、人出の割には熱気が感じられず、事件は迷子3件・スリ検挙1件・救済9件・交通事故1件と少なかった。
お盆のレビュー上演中に発火、浅草六区が大騒ぎになった記事がある。市内の興行は盛んであるが、新聞は藪入りの風景を取り上げなくなった。街に小僧さんたちの姿は少ないようで、目につくのは「この夜銀座表通のみならず裏通にも制服の学生泥酔放歌して歩むもの多く裏通の小料理屋の二階にも学生乱酔して喧嘩するものあり」と、荷風は十日の日記に書いている。
夏休みに入って最初の日曜は、市民が海へ山へどっと出かけた。東京駅からは、横須賀行きの省線が23本増発され、海水浴場は賑わった。鎌倉由比ヶ浜では、「名物謝肉祭」、賑やかな囃子・鳴り物・仮装行列が練り歩き、「万余の浴客は歓呼でむかへて夜更けるのもしらずに踊り狂った」。一方山へは、北アルプスに「千二百名」の登山者が向かった。
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昭和十年(1935年)八月、永田軍務局長相沢中佐に刺殺される⑫、日米対抗水上競技会で世界新記録続出⑰、「暑い夏はいつ来る」とレジャー気運衰退
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8月2日A 日比谷音楽堂卅周年記念祭、超満員
3日a 浅草電気館等「太閤記」他満員御礼
6日A 神宮プールの日米水上予選第三日、二百メートル平泳ぎで世界新記録、観衆一万数千
8日a 佃島の住吉さんの八角神輿が五年ぶりに海中渡御
13日A 神宮プール日米水上第一戦、観衆一万二千
20日y 国技館の水中レビュー、山田五十鈴・夏川大三郎・及川道子の三大スターのサイン会
25日a 国技館の水中レビュー、好評のためお土産デー、入場料40銭
29日A 日本劇場、崔承喜特別公演、連日超満員
八月に入り最初の日曜をめがけて、私鉄各社は行楽地の広告(3日付読売)、池袋から奥武蔵高原へ(貸切テント1円50銭・テント一泊30銭・無料浴場等)・石神井プール(入場券付往復割引30銭)、渋谷から玉川プール(入場券付往復割引32銭)、錦糸町から砂町海水浴(入場券付往復18銭)・浦安海楽園(往復40銭)、新宿から京王閣(入場券付往復割引60銭)などがある。しかし、人出は期待したほど出なかった。
この年の夏は、「どこへ行った“夏”まるで梅雨型の変態気圧」y⑭、「暑い夏はいつ来る」y⑯と、避暑など必要ない日が続いた。神宮プールの日米水上競技に学生などが関心を向けたのを除くと、市民のレジャー気運は盛り上がらなかった。月末には台風による江東方面で1万6千戸の浸水などが発生、夏らしいレジャーが紙上を占めることなく八月は終わった。
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昭和十年(1935年)九月、第一回芥川賞決まる①、暴風雨で関東中心に被害甚大(26)、天候に恵まれず市民レジャーは沈滞
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9月1日a 浅草電気館等「股旅新八景」他満員御礼
2日A 関東大震災十三回忌、廿万人記念堂参拝
8日a 空も野球晴れ、六大学リーグ戦開く
15日y 日比谷公会堂のモダン日本アーベント「モナリザの失踪」他超満員御礼
16日Y 巨人軍対川崎戦勝利、横浜球場観衆一万二千
18日y 日本劇場「歌う弥次喜多」他満員続き
18日y 日比谷映画劇場「虚栄の市」他連日満員
20日ka 三十軒堀地蔵尊近所の空地に幽霊の見世物あり。見に行くもの多しと云う
21日a 列車風呂店じまい
雨ではじまった九月。六大学野球リーグ戦のはじまった頃は、どうにか試合が出来たが、前年と同じように「今日もまた雨、呪わしい雨・雨・雨・・・」a(25)で、「試合は延期また延期」。また、「“澄む秋”よ・居所知らせ 市民」とまで書かれている。長雨で野菜の値段は上がり、「お台所・算盤大狂い」、レジャー気運は沈滞。二十四日には、市内で5万余戸も水浸し、さらに、二十六日、利根川が氾濫し近県は大被害となった。
この夏、七月十五日から営業した東海道線特急「富士」の「列車風呂」が二十日に終了。一等車を2千円もかけて改造したもので、増収になるものと期待されたが、売上げはたったの75円。料金は石鹸とタオルが付いて30銭、七月の一日当たりの利用者が12人、八月が7人、九月は3人。見出しに「列車風呂の破産」とあるが、当局区は「今年は涼しいからで 来年は床屋」という話もあるらしい。