江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)221
好景気につられて盛り上がる十年冬のレジャー
東京は暮れから続いて正月の人出が目に付き、景気が上向いているらしい。市民が浮かれている間に、日本の侵略戦争は進んでいる。国内の政治は、軍部の影響力が強く、岡田内閣は安泰である。二月に「天皇機関説」が国会で問題化したが、市民の多くはどのようなことなのかがわからないだけに、関心を示さなかったようだ。
「天皇機関説」は、現在でも、このことを論ずるのはなかなか難しいと感じ、その注釈を考えているうちに時間が経ってしまった。機会があれば、再度試みたいが、たぶん無理であろう。参考になればと(https://nihonsi-jiten.com/tennou-kikansetu/)を示すことにした。
「天皇機関説」は軍部内の勢力争いに利用され、八月、軍部の内部対立から陸軍軍務局長永田少将刺殺される。
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昭和十年(1935年)一月、関東軍、熱河・チャハル省境で宋哲元軍と交戦(23)、正月の人出多く、興行も盛況
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1月1日A 尾張の国から千名の「笑の使者」入京
1日ka 尾久停車場の近くに大なる神社あり。参詣の人雑遝せり
3日A 日本劇場「パンテージ・ショウ」連日満員
3日A 帝国劇場等「クレオパトラ」他満員御礼
5日a 「どっと出たり 年末年始 鉄道の客」、明治神宮初詣、元日七十五万、三箇日で百十万
6日y 初水天宮、陣羽織姿の異形参詣団
7日a 出初式、七千名の消防組員の分列・木遣行列など宮城前に堂々、非常時消防陣
7日a 日比谷の広場で凧揚げ大会、50枚の大凧
9日y 浅草帝国館「退屈男」他と林長二郎実演舞踏、満員御礼 11日a スキー列車増発上野から2本新宿から1本
12日a 春場所初日、大衆デー超満員
21日a 川崎大師、赤痢禍解消の霊験、参道にあふれる人波例年に変わらぬ賑わい
22日A 大相撲昭和に入って新記録的盛況の春場所
24日a 東京館「ロイドの大勝利」他連日満員
31日Y 両国国技館で東洋拳闘争覇行われる
「祝いこみまァす」「ハァ五万歳」「春はァまたァ・・目出たくもお家様へ七福神が・・ポンポン、ポン、がァ参るウー」とはじまる、『尾張万歳』、正月を目指して「約千人」入京。「ヘエお目出とう御座います」と万歳下駄というほゝ歯の高下駄の音をたてゝ門松をくぐる、縁起もので、正月には欠かせぬ風物詩として生きている。
この年の恵方は、丹那トンネル開通を反映して、東京から熱海や伊豆方面の温泉へ出かける人が増加、特に西伊豆はホクホクの新春景気となった。市内では、明治神宮の初詣が元日「七十五万」、代々木・原宿駅の午後二時から三時までに降車客が2万人を突破した。国鉄から見た年末年始の人出は、昭和三・四年以来のもので黒字の新記録だという。
荷風は二日、銀座の不二氷菓店に夕食に入ったが「大入にて空席殆無し」の状況。また、六日も銀座は、「人出おびたゞしく百貨店の入り口あたりは押返さるるほど」であった。正月の人出は多く、「映画館、寄席なども元旦、二日は超満員」、劇場では前年に切符が売り切れたところもあるほど、「ここ数年来みられない景気」。
中でも、日本劇場の『パンテージ・ショウ』は連日満員御礼、正月以後も「好評につき二の替わり」A⑮の広告が出ている。ただ、興行面でのトラブルが何度もあって延期や中止もあったが、二月になっても人気は落ちなかった。
また、大相撲も、初日から盛況で「好取組みに大入」A⑭、「九時には既に木戸止めの盛況」a(21)、昭和に入って新記録的盛況とまで書かれている。一月は、映画や演劇なども満員の広告が多く、市民レジャーは活況を呈していた。
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昭和十年(1935年)二月、築地に東京中央卸売市場完成⑪、天皇機関説問題化⑱、景気を反映して追儺式盛大
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2月1日ka この頃銀座辺の飲食店は大小善悪の別なく繁盛する
5日a 節分列車、成田へ五十四本、四・五万人で満員
5日A 豆まきの新風景、紅毛追儺合戦で盛り上がる、人出は吉原神社五万、浅草観音三万五千、深川八幡三万二千、目黒不動三万、鬼子母神二万三千、増上寺二万二千、その他西新井薬師等の合計三十二万八千人
9日ka 広小路点灯頃の雑沓銀座通に劣らず
11日a 芝浦スケート場、銀盤の女王フリツチ・ブルガーに陶酔、観客の大部分は学生
12日a 力強い建国の行進 帝都を練る赤誠十万
16日A 日比谷公会堂で児童合唱団を加えてマーラーの大曲初演
17日a 浅草電気館・新宿帝国館、入江たか子主演「貞操問答大会」満員御礼
20日Y 東京劇場「勧進帳」他満員日延べ
20日Y 日比谷映画劇場「私と女王様」他好評続映
景気が上向いているのだろう、追儺式に活気がある。恒例化した俳優や力士の年男に変わって、パンテージ・ショウの美女6名を引っぱり出したのは両国の回向院。護国寺では、アメリカ大使館やニューヨークタイムス特派員が年男。「鬼も笑わせる 稀な楽しいお祭騒ぎ」となった。主な寺社の人出は、警視庁の報告で32万8千人。これらに成田山や川崎大師などの人出を合わせると50万人を優に超す。
「建国祭は、十年の歳月を送って遂に我等日本人をあげての年中行事となった」。市内では明治神宮、靖国神社など8ヶ所で催され、上野公園には「在郷軍人、青少年団のカーキ色の服、学生の金ボタン、エプロン姿の国防婦人会」等々「あらゆる階級を網羅した日本人」が割り込む隙間もないくらい押し寄せた。式後、落語家ら芸人3百名を含む1万人は、ラッパ隊を先頭に上野の山を下り宮城へと向かった。この光景を撮影しようと外国トーキー班が飛び回っていた。
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昭和十年(1935年)三月、東京発声映画製作所設立(21)、衆議院天皇機関説排撃の国体明徴を決議(23)、花見を前にレジャー気運を規制
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3月3日A 浅草松竹「母の愛」他満員御礼
9日A 渋谷駅の名物忠犬ハチ公13歳で死去
11日a 日露戦争三十周年祝賀式、宮城前に晴れやかな雑踏
12日a 花見の取締り方針を示達
12日a 米穀自治管理法案、賛否両大会会場超満員
15日A 神宮競技場で全米学生対抗アメリカンフットボール初開催
20日a 松竹経営映画館で総罷業決行
20日a 飲酒「一石二鳥」と女給に禁止命令
31日A 高島屋で開催中の「大山元帥展」人気白熱につき日延べ
十日、荷風は、「日露戦役記念祭挙行の由。近隣の家人皆出払いて門巷却て閑静なり」と日記に書いている。陸軍記念日の日露戦争三十周年祝賀式は、九段下から陸軍軍楽隊の行進などが催され、市内の人出は賑やかであった。天候に恵まれていたのはその頃までで、お彼岸に入ると雪が降るなど行楽の勢いにブレーキがかかった。
また、警視庁は花見を前にして、早くも取締り方針を示達。団体の仮装、トラックによる人の輸送、山車、踊屋台及び道路上の囃子や楽隊等々いずれも御法度、取締りを徹底させようと各署に通牒を発した。中でも、カフェーやバーで花見気分を味わうこと「絶対にまかりならぬ」と、現代ではわけのわからぬものもある。
松竹経営映画館で総罷業決行、「トーキーに追われる楽士 いよいよ背水の陣」である。東京発声映画製作所が設立され、観客も新しい映画を望んだ。そして、アメリカ漫画映画「ポパイ」が上映され人気を呼ぶなど、人々の嗜好の変化が見られた。