それでもレジャーを求める市民・昭和十九年五月六月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)259
それでもレジャーを求める市民・昭和十九年五月六月
 市民への制約や禁止などが続々と続いていても、楽しむところがあちこちに残っており、東京は魅力ある街であった。特にレジャーは、制約が厳しくなればなったで、市民は順応し、買出しまでも楽しみにしてしまう強かさを持っていた。なぜ戦況に関心を向けなかったのであろうか。それは、朝日新聞の五月の一面に記された戦闘に関する見出しを読めば、無理もないと思われる。
五月一日には、「パレル北方進出 敵背後を脅威 戦車隊も敵陣深く突入」。
  二日、「寡勢、敵艦隊を撃破 バリ島沖 ソロモン等に偉動」。
  三日、「空母一を撃破 敵の卅数機を撃墜」。
  四日、「鄭州許昌攻略」「潁上も奇襲占領」。
  五日、「河南の大殲滅戦 敵六万を蹂躙」。
  六日、「仇敵撃滅に邁進」「臨汝、郟県を攻略」。
  七日、「戦区の強化に狂奔 華北奪還の夢」。
  八日、「登封県城に進出 敵七万を包囲」。
  九日、「防衛陣地を突破 洛陽の外郭へ」。
  十日、「陸海軍、四月中の航空戦果 屠る七一六機」。
 十一日、「登封を占領 一部は伊陽に到達」。
 十二日、「伏牛山脈中に完封 十個師殲滅」。
 十三日、「京漢全線の打通成る」「湯軍の主力潰滅」。
 十四日、「中支軍、猛進撃 第五戦区深く突入」。
 十五日、「洛陽八キロに迫る」。
 十六日、「荒鷲、遂川飛行場を猛攻 四十五機以上屠る」。
 十七日、「魚雷艇群へ突撃 必殺の先制、六隻を屠る」。
 十八日、「嚴たりラバウル要塞 不動の堅陣錬磨の精鋭」。
 十九日、「パレル飛行場砲撃 空陸一斉に急進撃開始」。
 二十日、「白兵戦で猛攻撃」「南に北に精鋭の奮戦 囮で敵機を翻弄」。
二十一日、「ウラウ(ニューギニア)上陸の 敵に潰滅的打撃」。
二十二日、「重砲パレル猛撃」「一斉攻撃の火蓋」。
二十三日、「敵機動部隊 南鳥島を空襲 卅二機以上を撃墜す」。
二十四日、「パレル周辺敵廿師 全くの潰滅状態 死傷八千、我が鹵獲莫大」。
二十五日、「洛陽全く孤立す 敵屍、俘虜四万四千余」。
二十六日、「洛陽城を完全占領 敵屍、俘虜六以上」。
二十七日、「大鳥島に空襲 卅機撃墜、二機撃破」。
二十八日、「河南の戦果に栄光 俘虜六千二百卅 貴き犠牲、我戦死八十名」。
二十九日、「パレル残存陣地 最高点制圧」「ビアク島空襲頻り 三日間に延二百十余機」。
 三十日、「北方戦線 荒天狙ふ執拗の敵機」
三十一日、「コマヒ激闘再開 敵の反撃を悉く粉碎」。
 以上の見出しからわかることは、揺るぎない攻勢の戦果を伝えており、それゆえ、市民は戦争を身に迫るものと感じていない。なお、月末の方になると潮目の変わり始めることを感じる記述が出てくる。六月には、ノルマンディ上陸成功とドイツの劣勢が明らかになる。日本も、マリアナ沖開戦で空母と飛行機の大半を失う等、苦境に入るが、国民には事実が伝えられていない。

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昭和十九年(1944年)五月、国民酒場開設⑤、大相撲は後楽園スタンドをはみ出しすほどの大入り。
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5月1日Y 鉄獅子部隊、帝都行進、五百輌の大戦車部隊
  1日A 料理店の「夕食は4円まで」、2円以下であったものが実情を促して
  2日A 体育も、空の決戦へ備え野球・庭球を返上
  8日A 大相撲夏場所初日、満員の後楽園
  13日ro 「『芝居道』は・・各館共大満員・・芝居も、前売・指定席制度・・格座とも好成績」
  15日A 夏場所、日曜日は5万人を容れる大スタンドがはみ出し初日以来の大入
  16日A 料理店の等級実施(一から四等まで)
  19日A 「工場娯楽は裃を抜いて」「名指しを待つ芸能人」
  24日Y 千秋楽、国技館時代より多い十日間で四十万
  29日A 外苑競技場で航空体育大会、観覧席に輝く母の瞳、観戦部隊十万

 七日、高見順は、「大森の疎開の様子を見に行く・・・惨憺たり。商店街へ出る。理髪店、古本屋、映画館のほかは、閉店。開けているところも、品物がなく閉店と同じ。惨憺たり」と。市内のかつての商店街は、疎開させられどこも廃墟のようになっていた。
 七日は大相撲夏場所初日、後楽園は満員。十四日の日曜日は、5万人を収容するという大スタンドがあふれるほど、初日以来の大入り。この相撲人気は、他に楽しめるレジャーが少なくなったためである。なおそれなのに、「きのふも千秋楽休場 大相撲夏場所千秋楽の取り組みは十八日も中止となった。」A⑲と、相撲も大幅に制限された。では力士はどうしたか、「夏場所千秋楽とともに二葉山、玉の海一門の力士は・・・造船所に・・・勤労奉仕」A⑲などと、力士たちはあちこちに勤労奉仕出向いていた。
 この月の市民が参加できたレジャー的な大きなイベントは、他に二十八日の航空体育大会ぐらいしかない。ただ、このイベントも動員された人がおり、外苑競技場の「観覧席に輝く母の瞳 観戦部隊十万」も集まったとされている。
 「ガラ空き列車」A⑩と、旅行制限が徹底したらしたのは結構だが、少なくなれば良いというものではないとの記事。それでいて、三日も駅に並んだが切符が買えずに用事を断念したとの声A⑨もある。
 厳しい制限が進むなか、レジャーがストレスを増すような例も報告されている。ある工場娯楽の会場では、最前列の女工さんたちが漫才師が一言しゃべることに笑うのを、後に座っている工場長や幹部が「おかしくもないことをそんなに笑うな」と釘を刺す。そのうち笑いが途切れ、途中から静まってしまう例を、「工場娯楽は裃ぬいで」と指摘する。せっかくのレジャーが逆効果、かえって欲求不満になりそうだ。

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昭和十九年(1944年)六月、ノルマンディ上陸成功⑥、マリアナ沖開戦で空母と飛行機の大半を失う⑲、ロッパの十八日の日記によれば「この頃の市民は、おもしろいことに飢えている」。
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6月9日A 浅草松竹 榎本健一「突貫駅長・明日赤飯(あしたのおまんま)」3.4円、1.58円
  11日A 激増する定期旅客、東京では四人に一人は必ず省線に乗る
  12日Y 神田の町会で防空体育会
  13日A プール8カ所開場(九時~十八時、十八時以降は団体専用、一人10銭)、ボート場3カ所開場
  13日Y 「戦意昂揚 まず明るい配給」夏祭も復活
  18日ro 「銀座へ出る。実に何もない。開いている店の方が珍しい
  21日A 日比谷公会堂の日独交換大音楽会、入場券売切
  24日A 「“ウイスキーの国民酒場”新設」来月一日開館、国民酒場は158軒
  26日A 神宮プール開き

 日本人は出歩きが多すぎる、特に東京では毎日、四人に一人は必ず省線に乗ると。四月から旅行制限したものの、定期券利用者が増えて効果があがらないらしい。千葉県の買出し取締りによれば、まだ一日1万貫(37.5トン)を下らぬジャガイモが都内に入っている。買出しは依然続いており、買出しの食料は摘発されたジャガイモだけでない。
 十日に生ビール専門の15軒を含む、23軒の国民酒場が増設された。七月一日からウイスキー専門の国民酒場32軒が新設される。ウイスキー1杯60CCの値段は1円、一店一日250人までしか飲めない。市内の国民酒場は、合わせて158軒となる。なお、酒場利用者は一日約6万人もいて、いつも行列をしなければならなかった。そこで、行列しなくても飲めるように、八月には「国民酒場に“切符制”」が導入される。が、あまり効果はなかったようだ。