江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)261
レジャーが少なくなる昭和十九年九月十月
レジャーに関する記事だけでなく、市民生活の状況も少なくなる中で、当時の状況を探るには古川ロッパの日記を頼らざるを得ない。
九月二日、「馬鹿な役人が、マイクロフォン使用を禁じたので、先月あたりから、東京だけは、一切使用してゐない。今日久しぶりで、マイクなしで歌ってみたが、返って、心持よし、よく動けて快い。これでこそ、ほんとうの歌だといふ気がした。」
九月九日、「今日きいて、つくづくもう情けなくなったことは、糞尿汲取り人夫がゐなくなり、各家庭で糞尿の始末をすることになったといふこと。もう、此処迄来ては、ああ戦争は勝ちたいもの。」
九月十四日、「女房と子供二人は、熱海へ一晩泊まりで出掛けた。・・・東横へ行く。此処は、客がいゝが、江東へ移ったらひどいだろう。・・・」
九月十六日、「清水金一々座の石井敏が来ての話に、シミ金は目下技芸証を警視庁に取上げられて休んでいるといふ、而も、新宿松竹座出演の二日目に、見に来た警視庁の元吉といふ役人(保安課検閲係)が、清水金一を、座の表に呼び、脚本をまるめて、それで顔を打ちたる由。義憤を感ず。小役人ども、のぼせてやがるな、しゃくにさはる。」(注:清水金一 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E9%87%91%E4%B8%80
九月三十日、「・・・大宮島の玉砕ニュースが発表された由。夜の客は大満員。ニュースのことまだ知らぬのであらう、よく笑ひ、喚声をあげる。・・・玉砕ニュースが発表されたときいてから、芝居をしてゝも、そのことばかり思われて、全くやってる気がしない。一方又、父島や硫黄島へも敵機しきりに来襲するらしく、不安つのる。全く、玉砕する人の気持も、人ごとではなく思ってみる。日本よ! 起きて!」
十月一日、「江東劇場千秋楽。・・・今日はヘンな千秋楽で、昼のみ興行して夜は休み、といふ申し合せの由、座に着くと、何と大行列、こんな日でも大満員だ。フィナーレで、全員に起立して貰ひ、黙祷を捧げませうと僕。『海行かば』をボックスでやらせる。」
十月二日、「・・・芝浦の陸軍兵器本廠へ慰問、芝浦埋立地。ウィスキーを一罎呉れたが、カラフト製の『オアシス』といふイカものなので、がっかり。食堂で豚カツ等で御馳走。五時半から倉庫の中で何千人かの前で始まる。帰りに、車で築地に出て、(陸軍のガソリン車)ビールを御馳走になり・・・」
十月七日、「・・・新宿第一劇場、初日だが、何しろ宣伝不足だ、入り悪し、打込みで六七分の入り、クサる。一時開演、でもどんどん入って、軽く満員、大分立っている客もある。雨が激しく、舞台にポトポト雨漏りがする・・・」
十月九日、「・・・庭の防空壕を水浸しにしてしまひ、殆んど天井に届かん・・・二時開演、猛烈な行列・・・警視庁連見物・・・」
十月十四日、ロッパは、陸軍の慰問で歌舞伎座へ。映画漫談一席、山根寿子と愛国行進曲を合唱して、サントリー七年二本と菓子一箱の礼。新宿第一劇場に戻ると満員。「新聞に、悪い戦果のでた日は、入りが悪く、いいニュースのでた日は、入りがいゝ╶─╴一般にそういうことは言えると思う」と日記にあるが、台湾沖の大戦果は誤報。フィリピン沖の戦果も誤報、連合艦隊の壊滅的な敗北であった。
十月十七日、「十二時前に出る。座は、もう大行列の大満員・・・廊下に『中日に近くなると舞台での行儀が悪くなり、袖や裏のオシャベリが盛んになるといふ劇団があるさうです、うちのことことぢゃああるまいな』と書いて掲示。二回目の『兵隊』のあたまで、又出た小戦果、万歳三唱。客も戦果に馴れたか、あんまり喜びもしない。
十月二十四日、「今日は防訓で、晴れたから都内は急しい、芝居も昼だけで、夜は休み。・・・ラヂオは盛んに、『訓練空襲警報』と叫んでゐる。飛行機しきりに飛ぶ。ラヂオ又叫ぶ『訓練空襲警報解除』、訓練でも解除は気持ちがいゝ。」
十月二十六日、「・・・今昼は徴用戦士招待で、(座の方は一回分損するわけ)一般客を入れない。・・・夜の部、大満員・・・」
以上、古川ロッパの日記から見ると、東京への空襲が始まっていないことから、制約された中で市民が遊んでいる。ただ、身の危険が徐々に迫っていることは感じられる。市民が楽しめる場所は監視された劇場位しかなくなり、それでも公演している劇場は、どこも盛況であることも確かである。
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昭和十九年(1944年)九月、旅行証明書廃止①、美術展覧会中止(28)、後楽園で戦中最後の野球が行われ、また、市民のレジャーが少なくなる。
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9月日11 A「買出し、大口へくだす鉄槌」、特殊方面への大口買出しを認める
16日A 大勝館「日本の河童」他満員御礼
21日Y 日本野球最後の野球、後楽園で阪神産業3A対2巨人朝日
21日Y 連休日に東鉄の旅行制限
23日A 東横映画劇場「山雀物語」大好評
28日A 超高速でお芝居や音楽、新橋運輸部から芸能隊繰出す
29日Y 繰り出す火叩き、中野区八幡神社決戦秋祭
十九日、古川ロッパは江東劇場に初日出演のため、十時過ぎに省線に乗ったが本も読めないほどの混雑。錦糸町駅を出ると、客が劇場に向かって列をなしていた。夜には防訓があるので早めに開演しようとした時、サイレンが鳴り公演中止。すぐに客を帰して、押しつぶされそうな電車にまた乗って帰宅。『波止場』『宝船』などの演し物は、翌日から千秋楽までほぼ満員であった。また、東横映画劇場のエノケン一座による『山雀物語』も大好評。大勝館も満員御礼の広告を出している。
二十五日、ロッパの近所でお祭があった。神輿を担ぐ掛け声が「ワッショイ」ではなく「ヨイサヨイサ」と海軍式で、これが「癪にさわる」と拘っている。中野区八幡神社でも秋祭、まだ地域の祭は続いている。
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昭和十九年(1944年)十月、レイテ沖海戦失敗(24)、市民は誤報とも知らず、戦果に浮かれレジャー気運を高めていた。
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10月4日A 新橋演舞場「船弁慶」大好評
6日A 邦楽座「女の子いる波止場」大好評
6日A 日比谷公会堂で東響演奏会「ブラームスピアノ協奏曲第一番」
8日A 「旅客よ、もっと自粛しよう」
21日Y 「一億憤激米英撃摧国民大会」日比谷で開催
24日A 靖国神社秋季例祭「一億官民の神社参拝を」
26日Y 中野区の町会で追撃旗行列
外国映画『帰郷』が日比谷映画・人形町松竹・辰巳松竹で上映日の広告A①。まだ外国映画を見ることができ、十四日付Aには評論も出ている。新橋演舞場の『船弁慶』が大好評、邦楽座の『女の子いる波止場』大好評と日比谷公会堂で東響演奏会の『ブラームスピアノ協奏曲第1番』と続く。
新宿第一劇場ロッパの『おばあさん』と『歌と兵隊』は、初日満員、以後も満員が続く。また、三日から八日まで、軍人とその家族への労をねぎらう軍人援護強化運動で、献金芸能大会が催された。