十六世紀後半の茶花の捕捉

茶花    11 茶花の種類その8
十六世紀後半の茶花の捕捉
  十六世紀後半の茶会を記した茶会記について、これまで示したものの他にも茶花を記した茶会記があるかを調べてみた。『茶会記の研究』(谷晃)よれば、十六世紀には「松屋会記(856)(数字は記された茶会数)」「天王寺屋会記・自会記(1500)」「天王寺屋会記・他会記(1292)」「今井宗久茶湯日記抜書(84)」などの茶会記以外にも10以上の茶会記が記されている。
 その中でこれまで触れなかった茶会記の中で、茶花を統計的に検討できそうな茶会記として、「旁救茶会記(607)」「草間直方筆写茶会記(453)」「古今茶湯集(559)」「茶道四祖伝書(112)」「利休百会記(93)」「南方録会(56)」がある。そこで、これらについて検討することにした。
  まず、「旁救茶会記」は、『茶会記の研究』によれば607の茶会があるとされている。しかし、茶会記の取り扱いについて、同書には史料として利用するには注意が必要と記されている。またその茶会は、十六世紀後半のものは少なく、大半が十七世紀のもので、その中には、小堀遠州の茶会が110会、古田織部片桐石州などの茶会も数多く含まれていると記されている。そのため、これまでに示した茶会と重複する茶会がたくさんあるため、その個々の茶会記(たとえば『小堀遠州茶会記集成』)を検討することにする。「旁救茶会記」は、十六世紀後半の茶花を見るにはもちろん、以後の茶会記についても統計的に検討するに値しないと判断した。
 次に、「草間直方筆写茶会記」は、文政十年に完成された『茶器名物図彙』のなかに記されており、453の茶会があるとされている。そこで、『茶器名物図彙』を見ると、まとまった茶会記として記されているのは、「古代茶会記」「仙叟会記」「利休居士百五十回忌追悼如口心斎百会記」「川上不白利休二百回忌茶会記」などである。十六世紀後半の茶会記が記されているのは「古代茶会記」であるが、『松屋会記』などの引用であり、茶会数も少ない。そのため、十六世紀後半の茶会記としては、茶花を検討する史料としての価値はないと判断した。
 「古今茶湯集」は、茶会記が編年ではなく日付順ということ、また、出典を明示しておらず、その多くを「旁救茶会記」に負っている。そのため、559会の茶会が記されているが、茶花を検討するに値しないと判断した。
 「利休百会記」「南方録会」などは、茶会記として信頼性に疑問があり、現時点では検討しても意味がないと判断した。
  またその他の茶会記は、茶会数が百に満たないものが大半である。したがって、これも茶花を検討するには適していないと判断した。
 さらに茶会記の見落としがないか調べたところと、『兼見卿記』が存在することがわかった。『兼見卿記』には元亀三年(1571)から天正十二年(1584)まで、127会の茶会が記されている(『公家茶道の研究』谷端昭夫)とある。そこで、『資料纂集 兼見卿記  第一・二』(校訂・斎木一馬、染谷光弘)を見ると、その茶会と思われる記述には、いわゆる茶の湯の道具立ての一覧はなく、あっても「一軸・茶壺・茶碗各見之(天正九年二月十六日)」程度の記述である。茶花については、私の見る限り確認することができなかった。
イメージ 1  以上から、十六世紀後半の茶花を「松屋会記(『茶道古典全集〈第9巻〉松屋会記』)」「天王寺屋会記・他会記(『茶道古典全集〈第7巻〉』)」「天王寺屋会記・自会記(『茶道古典全集〈第8巻〉』)」「宗湛日記」『茶道古典全集〈第6巻〉)」『古田織部茶書(茶湯古典叢書)』から解析した。これらの茶会記のなかには、茶花が活けられていても記載されていない茶会記もあるだろう、また、十六世紀後半にはこれら以外にも茶花が活けられた茶会があったことは言うまでもない。したがって、解析は、十六世紀後半の茶花の一部であり完全なものではないが、大まかな趨勢を示すものとは言えると確信している。
  対象とした茶花のある茶会記は、約七百会。出現する茶花の種類64種、新たな茶会記が見つかれば70種くらいまで増加するがかもしれないが、80種には届かないだろう。最も多く使用された茶花は、ツバキで25%、ウメ19%、キク11%、スイセン8%、ヤナギ4%の順になっている。この順番も上位3位までは、新たな茶会記が出現しても変わることはないだろう。ちなみに、『今井宗久茶湯書伐』(静嘉堂文庫所蔵本)の茶会記を加えても順位は変わらず、割合もほとんど変わらない。