『花暦』5

森鷗外ガーデニング  13
『花暦』5

 鷗外の『花暦』には、二月十五日から九月十五日までの期間に咲いた68種の植物が登場する。三百坪を超える庭に、サクラを除く、67種の花が記されているが、その他にも数多くの花が咲いたと思われる。『花暦』の花を草と木に分けると、草本が39種(名前の確定できない植物を含めると43種)、木本が24種と、圧倒的に草花の方が多い。このことから日当たりがよく、明るい庭であることがわかる。残念ながら、名前を確定できなかった花が4つある。植物名を確定するにあたって、難しいのは、漢字で書いてあっても、必ずしもそれが漢名とは言えないこと。漢名なのか和名であるのか迷うことが、意外に多かった。なお、花の名前については、当時は正式な植物名にこだわっていないようだ。もっとも鷗外は、他人に見せることなど考えず、自分でわかればそれで良いと思って書いていたのだろう。
イメージ 1 鷗外の好みを、外来種と在来種の別で見ると、外来種三十五種に対し在来種二十八種で、外来種の方が多い。ただ、外来種の中には、ウメやテッセンなど江戸時代以前に渡来した植物が多く含まれている。江戸時代以降に渡来した植物は、十六種と多くはない(『明治前園芸植物渡来年表』磯野直秀・より)。幕末に入ってきた植物は多少あるものの、全体として旧来の植物といえる。それでも、明治三十年当時としては、かなりハイカラな花を咲かせていたと思われる。
イメージ 2 『阿部一族』『高瀬舟』などの小説を通して感じるイメージからすると、ちょっと意外である。鷗外は、もっと渋い感じの花を好んだのでは、と思う人が多いのではないだろうか。彼の花の好みは、花色では赤(紅)系の花が多く、黄系の花もかなり入っている。花形も大きく、派手な花が多いような気がする。鷗外の風貌からしても、もっと地味な花を好んだのではと連想しそうなものだが。
 鷗外の庭の花は、花畑を造りはじめた頃はドイツ留学を思い出させるような、色とりどりの花を植えていた。確かに、当時としては斬新で華やかであったが、それらは明治時代以前に渡来した花であった。だが、明治から大正時代になると、花の色や形は江戸時代に渡来した植物より派手な西欧の園芸植物が入ってきて、公園や庭園を彩った。それに対し、鷗外の花の好みはあまり変わらず、大正時代には逆に時代後れを感じさせるようになった。たとえば、牡丹をイメージさせる天竺牡丹(ダリア)は嫌っていなかったが、改良の重ねられた派手なダリアはあまり好きになれなかったようだ。事実、花畑にはチューリップやバラなどが植えられた形跡はない。彼の嗜好は、斬新な花を選んでいたのではなく、外来種であっても江戸時代に馴染んだ花への郷愁を求めていたように感じられる。
 鷗外は、西洋花を積極的に入れようとは思っていなかったようだ。そのことについては、『田樂豆腐』を読むとよくわかる。この小説には、鷗外を思わせる登場人物・木村に関する記述がある。
 「毎年草花の市が立つと、木村は温室に入れずに育てられるような草を選んで、買つて末て植ゑてゐた。そのうち市では、一年増に西洋種の花が多くなつて、今年は殆皆西洋種になってしまった。毬のやうな花の咲< 天竺牡丹を買はうと思っても、花瓣の長い、平たい花の咲< ダアリアしか無い。石竹を買はうと思って見れば、カアネエションが並べてある。花隠元を誂えて置いて取りに往くと、スウィイト・ピイをくれる。とうとう木村の庭でも、黄いろいダアリアを始として、いろんな西洋花が咲くやうになった。」と当時の園芸事情に批判的であった。
 『田楽豆腐』には、鷗外のガーデニング方法にも触れている。「木村は僅か百坪ばかりの庭に草花を造つてゐる。造ると云つても、世間の園藝のやうに、大きい花や變つた花を咲かせようとしてゐるのではない。なる丈種類の多い草花が交つて、自然らしく咲くやうにと心掛けて、寒い時から氣を附けて、間々の雑草を抜いて、宿根のあるものが芽を出したり、去年の飜れ種が生えたりする度に、それをあちこちに植ゑ替えるに過ぎない。動坂にゐる長原と云う友達の持って末てくれた月草までが植ゑてある。俗にいう露草である。木村の知ってゐる限りでは、こんな風に自然らしく草花を造つてゐるものは、麹町にゐる友達の黒田しか無い。黒田はそこで寫生をするのである。併し黒田は別に温室なんぞも拵えてゐて、抵抗力の弱い花をも育てる。木村は打ち遣つて置いても咲く花しか造らない。」とある。
 とはいえ、全く手を入れないわけではない。では、どのように管理していたか、「木村は初め雜草ばかり抜く積りでゐた。しかし草花の中にも生存競争があつて、優勝者は必ずしも優美ではない。暴力のある、野蠻な奴があたりを侵略してしまふやうになり易い。今年なんぞは月見ぐさが庭一面に蔓りさうになつたので、隅の方に二三本残して置いて、跡は皆平げてしまつた。二三年前には葉鶏頭が澤山出来たのを、余り憎くもない草だと思つて其儘にして置くと、それ切り絶えてしまつた。」と、失敗談も加えている。
 さらに、鷗外の好きな花と思われるガンピについても書かれている。「中には弱そうに見えないのは弱くて、年々どの草かに壓倒せされて、絶えそうで絶えずに、いつも方蔭に小さくなって咲いてゐるのがある。木村の好きな雁皮の樺色の花なんぞがそれで、近所の雑草を抜こうとして手が觸れると、折角莟を持つてゐる莖が節の所から脆く折れてしまふ。」とある。ガンピという花、最近はあまり人目に触れないが、江戸時代には持て囃されたセンノウの仲間の草花である。色は、濃いオレンジで艶やかな花である。鷗外はその花が気に入っていたらしく、雑草を抜く際に気を使ったのであろう。