鷗外百花譜
津和野町立森鷗外記念館は、平成二十七年(2015年)に開館二十周年を迎えました。その開館二十周年記念事業の一つとして、図録「鷗外百花譜」が刊行されました。
「鷗外百花譜」は、鷗外の文学作品に登場した植物や自宅・観潮樓の庭に生育した植物の中から選ばれた花を紹介しています。記された百の花の写真には、登場した作品名などの解説が記されています。写真等の作成は、記念館副館長・齋藤道夫氏があたりました。
「鷗外百花譜」の序章は、森鷗外記念館館長・山崎一穎氏が綴られ、次いで小生の「鷗外の愛した四季の花」が続いており、以下に紹介します。
「鷗外百花譜」は、鷗外の文学作品に登場した植物や自宅・観潮樓の庭に生育した植物の中から選ばれた花を紹介しています。記された百の花の写真には、登場した作品名などの解説が記されています。写真等の作成は、記念館副館長・齋藤道夫氏があたりました。
「鷗外百花譜」の序章は、森鷗外記念館館長・山崎一穎氏が綴られ、次いで小生の「鷗外の愛した四季の花」が続いており、以下に紹介します。
「鷗外百花譜 ― 鷗外の愛した四季の花 ―」
森鷗外の趣味がガーデニングであったことは、ほとんど知られていない。だが、彼の小説や戯曲などを読むと、花が大好きであったことに気づく。さらに、彼が遺した日記を見て、ガーデニングに熱中する姿を確認し、私は確信した。
たとえば、明治三十一年の日記には、植物に関連した記述が実に四十五日分も残されている。その三十五日は、鷗外の庭に咲いた花の記述である。庭作業についても、花の種を蒔くとか、花壇を広げるなどの記載が四日に及ぶ。この庭作業は、片手間ではなく、その日の大半を費やす大仕事である。その他軽微な作業は、日記に描かなくても行なっていた。また、『阿部一族』『佐橋甚五郎』、『ファウスト』『マクベス』などを次々に刊行するなど、多忙を極めた大正二年にも、三月十六日から実に四週連続で日曜日に庭の手入れを行っている。これは、よほどのガーデニング好きでなければできない所業である。
さらに、何と言っても極め付きなのは、年代は不明であるが二月から九月まで、庭の開花を記した花暦を書き遺したことである。鷗外の庭には、日記などから推測すれば、100種を優に超える植物が生育していた。多作を持って知られる鷗外の著作にざっと目を通してみたところ、なんと350種以上もの植物が記されていた。このような数多くの植物を小説などに書き入れた作家は、他にいるだろうか。
しかも、それらの植物は正確な知識をもとに登場させていた。鷗外の植物への見識は、薬草についてはもちろん、その他の植物にも専門的なレベルに達していた。彼の卓越した能力は、単なる花好きに留まらず、庭づくりの域を超え、ランドスケープという視点をも踏まえていた。その原点はドイツ留学中にあり、旅先で見た庭園や景色などに啓発されたのだろう。鷗外は、当時の先端的な造園・園芸の資料を取得し、理解している。
『Lehrbuch der Gartenkunst(庭園術の教科書)』
『Lehrbuch der schönen Gartenkunst,2 Edit(美しい庭園技術の2版)』
『Die schöne Gartenkunst(庭園美)』、『Théorie der jardins(庭園の理論)』
『Geschichischen der italienischen Renaissancegärten(イタリアルネッサンス庭園史)』
『Der Garten,seine Kunst und Geschichte(庭園技術と歴史)』、『Forstästhetik(森林美)』
また、国内の資料についても、園芸書(本草書)類としては、『草譜』『本草藥名備考和訓鈔』『木曾本草網目啓蒙』『用藥須知』『岩倉本啓』『用藥』『平枚方本草紀聞』『大和本草』『古名録』『百花培養録』『地錦抄附禄』などを読んでいたことが日記からわかる。さらに、『作庭記』『山水秘伝抄』『築山庭造伝』『石組園生八重垣伝』『都林泉名所図絵』『築山庭作伝』『園芸考』『江戸名園記』などを読んでいる。『園治』(中国の造園書)は借りて読んだとあるから、その他は所有していたものと思われる。
察するに、鷗外作品の特徴の一つは、植物にこだわりを持って書くということであろう。そのような視点で彼の作品を読むと、『伊澤蘭軒』には100種を超える植物名が登場する。『伊澤蘭軒』は長編小説であるが、いくら長いといっても100種を超える植物名を記した小説が他にあるだろうか。それも、誤りのないように細心の注意を払って書き入れている。
また、原作がある作品に、原作にない植物が登場させることがある。たとえば『山椒太夫』では、伝説『説経集』にはない「スミレ」などが登場する。その場面は、安寿と厨子王の最後の別れで、安寿はスミレの花を指さし、「御覧。もう春になるね」と話す。スミレの開花は、読者にこれからの展開に希望を予感させる。鷗外はスミレを際立たせるため、冬の名残を示す「枯葦」を直前前に登場させている。『山椒太夫』には植物の名が少なく、咲いた花はスミレだけに印象強く感じさせる。物語の前半にも、花の咲いている記述があってもよさそうだが、鷗外は、あえて書いていない。
そのような鷗外ならではの記述が目につくのは、私だけかもしれないが、そこが何よりの魅力でもある。私は文学者ではないので、小説家や軍医としての鷗外より、園芸愛好者ならではの姿が好きである。そして、私が鷗外に近親感を感じたのは、観潮樓の庭に植えていた植物の7割が私の庭に生育していたからである。偶然ではあるが、好きな花も共通しており、赤の他人ではないような気にさえなった。特に、植物への接し方が私と同じであること。それは、植物を自分の意のままに取り扱わないようにすることである。植物と対峙する姿勢も、植物から得る自然の感性にも強く共感した。私は、何か運命的な結びつきさえ意識せざるをえなくなり、鷗外のガーデニングを紹介することに駆り立てられた。
鷗外が花や樹木を心から愛していたことは、彼の人生を豊かにしたことは間違いないだろう。今でいうところのマルチな才能にあふれた鷗外にとっても、多忙な日々のストレスとは無縁であったはず。そのような時に、花を通しての家族とのふれあいは、彼にひとときの安らぎ、生き甲斐になっていただろう。それゆえ、鷗外を知る上で欠くことのできない花、「鷗外の愛した四季の花」に注目するのである。