『花壇綱目』
★解読花壇綱目の刊行
早いもので、『江戸の園芸』(ちくま新書)を刊行して20年経ちました。終活として、集めた資料をそろそろ廃棄しようと見直しました。すると、あちこちに首を突っ込んだまま、整理しかけの一覧表や書きかけの原稿がいくつも出てきました。
その一つが『花壇綱目』の植物名の解析で、こんなことに時間をかけていたのかと懐かしい思いにとらわれました。主な植物名200程を見ると、その7割以上を自庭に栽培していました。さらに、『花壇綱目』の著者・水野元勝の好みと私の好きな植物とは、かなり似ているのではという親近感をいだきました。
そこで再度、『花壇綱目』の植物名の解析をすることにしました。園芸書の解読は、気になる植物を実際に育て、確認することが必要です。文献を頼りにすると、植物の実態よりそれを取りまくことに関心が高まり、それを園芸書の実態とする傾向があります。さらには、当時の植物の考察に触れずに、周辺状況を園芸文化にすり替え、あたかも江戸時代の園芸書を理解したような見せかけが目につきます。園芸書の本体は植物自体であり、たとえ図化されたものでも、疑問があれば再度検証する必要があります。年を取るに従ってそのような危機感を感じ、もう一度残骸の資料をもとに再考しようとの思いでこの書をまとめました。
50年以上の植物栽培の経験は、『花壇綱目』の植物名を同定する上からも助けとなり、字面からでは得られない情報を得ることができました。と同時に、文献だけを頼りにすると、実態と合わないことを見逃してしまうことも実感しました。
そして、何よりも役立ったのが、学生時代から親しんでいた牧野富太郎氏の『牧野新日本植物図鑑』です。多少偏りはありますが、江戸時代の植物に精通している氏の見識は、解明へと導いてくれました。そのため、基本となるデータは20年以上前のもので、『牧野新日本植物図鑑』などをベースとするため、科名などに問題があることをお断りしておきます。
もちろん、拙著『解読花壇綱目』は、水野元勝には及びませんが、彼にならって取り組んだつもりです。それも、勝元が楽しみながら『花壇綱目』を綴っていたのと同じように楽しみながらまとめました。
さて出版となりますと、出版不況は大きな問題です。まして、多数の読者を期待できる娯楽書であれば引き受け手はありますが、教養書となりますと大変です。そのような昨今の状況の中、環境緑化新聞発行人・井上元氏の口添え、株式会社創森社・相場博也氏のおかげで刊行に相成りました。なお、小生の力不足により、刊行後早々誤植が見つかり、以下の赤字のように訂正いたします。
★解読花壇綱目の刊行
早いもので、『江戸の園芸』(ちくま新書)を刊行して20年経ちました。終活として、集めた資料をそろそろ廃棄しようと見直しました。すると、あちこちに首を突っ込んだまま、整理しかけの一覧表や書きかけの原稿がいくつも出てきました。
その一つが『花壇綱目』の植物名の解析で、こんなことに時間をかけていたのかと懐かしい思いにとらわれました。主な植物名200程を見ると、その7割以上を自庭に栽培していました。さらに、『花壇綱目』の著者・水野元勝の好みと私の好きな植物とは、かなり似ているのではという親近感をいだきました。
そこで再度、『花壇綱目』の植物名の解析をすることにしました。園芸書の解読は、気になる植物を実際に育て、確認することが必要です。文献を頼りにすると、植物の実態よりそれを取りまくことに関心が高まり、それを園芸書の実態とする傾向があります。さらには、当時の植物の考察に触れずに、周辺状況を園芸文化にすり替え、あたかも江戸時代の園芸書を理解したような見せかけが目につきます。園芸書の本体は植物自体であり、たとえ図化されたものでも、疑問があれば再度検証する必要があります。年を取るに従ってそのような危機感を感じ、もう一度残骸の資料をもとに再考しようとの思いでこの書をまとめました。
50年以上の植物栽培の経験は、『花壇綱目』の植物名を同定する上からも助けとなり、字面からでは得られない情報を得ることができました。と同時に、文献だけを頼りにすると、実態と合わないことを見逃してしまうことも実感しました。
そして、何よりも役立ったのが、学生時代から親しんでいた牧野富太郎氏の『牧野新日本植物図鑑』です。多少偏りはありますが、江戸時代の植物に精通している氏の見識は、解明へと導いてくれました。そのため、基本となるデータは20年以上前のもので、『牧野新日本植物図鑑』などをベースとするため、科名などに問題があることをお断りしておきます。
もちろん、拙著『解読花壇綱目』は、水野元勝には及びませんが、彼にならって取り組んだつもりです。それも、勝元が楽しみながら『花壇綱目』を綴っていたのと同じように楽しみながらまとめました。
さて出版となりますと、出版不況は大きな問題です。まして、多数の読者を期待できる娯楽書であれば引き受け手はありますが、教養書となりますと大変です。そのような昨今の状況の中、環境緑化新聞発行人・井上元氏の口添え、株式会社創森社・相場博也氏のおかげで刊行に相成りました。なお、小生の力不足により、刊行後早々誤植が見つかり、以下の赤字のように訂正いたします。
★はじめに
四季折々に花を眺めて楽しむ、そうした日本ならではの自然特性を生かしたガーデニングについて記したのが『花壇綱目』である。
『花壇綱目』は、庭の意匠を記した『作庭記』(平安後期頃とされる)と並んで、植栽技術を総合的に解説した世界最初のガーデニング書と言っていいだろう。と言うのは、イギリスをはじめとして西欧は緯度が高いので生育する植物数が少なく、美しい花を数多く栽培していなかった。総合的な技術書が記されたのは、十八世紀に入ってプラントハンターが世界中の植物を集めてからである。
また、中国では、本草書や菊や牡丹などの専門書は『花壇綱目』以前にも刊行されていたが、総合的なガーデニング技術書は作成されていなかった。中国の王路による『花史左編』(1618年)は、栽培法にも触れているが技術書より文学書の色彩が強い。陳淏子(陳淏)の『花鏡(秘伝花鏡)』(1688年)は,『花壇綱目』より20年遅れている。
『花壇綱目』がどれほど人気があったかは、寛文四年(1664)に水野元勝によって作成されて以降、延宝九年(1681)、元禄四年(1691)、享保元年(1716)と三度も刊行されていることを見ればすぐわかる。
なお、この本の刊行以前にも寛文四年、五年の写本があり、『花壇綱目』は注目されていた。『花壇綱目』の延宝九年版(松井頼母編)と元禄四年版は(本書の古文、および古文のふりがなは当版による)は、同じ版が使用され、奥付の年号が変えられただけである。享保元年版は改刻され、内容は前書とほとんど同じで、書体も酷似している。なお、享保元年版上巻に、柳と桜を描いた中央に「華壇綱目」とある図(本書のカバー裏などに使用)が載っている。
『花壇綱目』に記された植物名は600以上、そのうち184種について詳細な説明が記されている。記された植物は、すべて著者・水野元勝が実際に栽培していたと思われる。 その内容は、趣味のレベルを超え、専門家にも匹敵するものである。ただ、水野元勝については、植物栽培に精通していたことは確かだが、あいにく経歴や人物像はわかっていない。
本書は、350年前の『花壇綱目』を現代(二十一世紀初頭)の視点から再読したもので、特に植物名に注目し、現代名と対照させようと試みたものである。
そのため、当時の植物名の記された書『花譜』や『花壇地錦抄』、さらには花伝書や茶書(茶会記)などをも参考にしながら進めた。当時の名称と現代名との整合性を探るうちに、『花壇綱目』だけでなく十七世紀に記された植物名に関心が広がった。そこで、『解読花壇綱目』を書名として『花壇綱目』の本文に加えて当時の植物名などについても考察した。
近年、江戸時代が見直されるなかで、特に注目を集めているものに江戸のガーデニングがある。大名庭園から庶民が庭先で鉢植えを育てるという文化、ガーデニングへの関心の高さは、江戸の景観にも反映されていた。江戸が世界一の庭園都市となりえたのは、こうした身分の上下、貧富に関わらず植物に愛情を持っていたからである。
そのようなガーデニングを展開させる下支えとなるのがガーデニング書で、江戸時代には百冊以上著作されており、これも世界一である。江戸のガーデニング、その礎となる植栽技術を最初に刊行したのが『花壇綱目』になる。以後のガーデニング書に与えた影響は計り知れず、古典中の古典としてのその価値は永遠に変わらないだろう。
ただどのような理由かわからないが、『花壇綱目』を含めて『花壇地錦抄』などについての本格的な解説書は刊行されていない。本当の価値を知るためにも、当時の植物や植栽技術を検証し、ガーデニングの成り立ち、発展を知るためにも解説書の公刊の必要がある。そのような試みの初めとして、本書『解読花壇綱目』を著すことにした。そもそもの日本の風土に根ざしたガーデニングの楽しさ、奥深さの手がかりをつかんでいただければ幸いである。