花壇綱目 序

花壇綱目 序
 『花壇綱目』は、国立国会図書館デジタル資料に、以下のように公開されている。
1 花壇綱目 3巻 【全号まとめ】  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野元勝 [著][他] (河内屋太助, [1---])   
2 花壇綱目 3巻. [1]  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野元勝 [著][他] (河内屋太助, [1---])   
3 花壇綱目 3巻. [2]  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野元勝 [著][他] (河内屋太助, [1---])    
4 花壇綱目 3巻. [3]  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野元勝 [著][他] (河内屋太助, [1---])   
5花壇綱目  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野, 元勝[他] (白井礫水写, 昭和3)
6花壇綱目  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野, 元勝[他] (白井光太郎写, 大正13)
7花壇綱目 3巻  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野, 元勝[他] (山本八兵衛[ほか1名], 延宝9)
8花段綱目  古典籍資料(貴重書等)/その他 
水野, 元勝[他] (山本八兵衛[ほか2名], 元禄4) 

序の解説
 この書のなかで、唯一、著者の趣向や感情が記されているのが序文である。技術書であるから当然ではあるが、無味乾燥と言ってもよいくらいである。その点、貝原益軒『花譜』は、技術論の中に古今東西の歌や由緒などを織りまぜて記している。中には「愛すべし」などの言葉を使い解説している。どちらが親しみやすいかといえば、益軒の方が味があるように感じる。なお、伊藤伊兵衛の『花壇地錦抄』も『花壇綱目』同様、技術論に特化し、感情的な記述は見受けられない。
 『花壇綱目』の著者・水野元勝についての経歴や人物像は、ほとんど知られていないなかで、序の記述に心境や意向が示され、彼の一面を見ることができる。
 それは先ず、「意訳」(以下参照)から示すと。故人(経験を積んだ老大家)が云うに、「隠者の三支」とは、一に書、二に茶、三に花である。しかるに書は、聖人を師として幅広い知識や道理を得ることで、それは本当に楽しいことだ。茶は気分をさわやかにし、眼を覚醒し、風味は素晴らしく、精神を養うものである。祖師は是れを愛し、習慣として嗜む人が多い。花は、四季の風物として、自然に趣を興すものである。また庭に移植し、籬に巡らし花が咲くのを待つことは、心の支えとなる。この三つは何れも捨てがたいものである。
 ここに言う「隠者」とは、金銭欲や出世欲などの世間の世俗から離れて生きる人のこと。とは言っても人との繋がりを捨て、隠れて生活するとまでは言ってないと推測する。その理由として、記されている植物は、園芸種などを含め600程の名があり、それを把握するには、人との繋がりがなければ不可能と思われるからである。
 次に、元勝の学識について、知恵浅く学問もあまりないので文学の道に向かおうとするのは眼が渋る、と述べている。しかし、放翁や王荊公、李白、陶潜、周茂叔、黒主の名を出して心境を綴っている。そのことから、前記以外の人が記した書も当然読んでいるものと思われる。彼が当時の知識階級であったことは確かで、どうも、かなり謙遜しているように感じる。特に、本書に登場する植物名を見ると、植物に関連する書籍をかなり読んでいなければ書くことはできないと推測される。全く文献なしで600程の名前を把握することは、不可能ではなかろうか。なお、どのような書を見たのか、是非とも知りたいのであるがそれは叶わない。非常に残念であり、今後の研究の課題でもあろう。記されてはいないが、『本草綱目』は読んでいたものと推測する。
 彼の年齢は示されていないものの、流行りの芸事や好色・美食を避けており、かなり高齢になっていると思われる。そして、決定的なのが、蹴鞠もまた疾走するから息苦しい、と述べており、体力も壮年時からは衰えているだろう。それでも、ガーデニングを楽しむ気力と体力はあった。逆に、ガーデニングをすることによって生きる力を養っていたと言えそうだ。いつの時代になっても、日本人のガーデニング好きは変わることがないことを示している。
 さて、序文のなかで、、最後まで迷った文字の解釈は、「」か「」のどちらかということである。意味としては、どちらでも通じるもので、大意は違わないと思われる。しかし、活字とする段になると決めなければならない。当初は、「友」としていたが、良く見ると「友」の右上に点が記されている。誤植かと見て行くと全てに振られている。そこで、異体字: 支 (u652f)[異體字(民國教育部)]を見て、「」であると判断した。なお、一部に修正ミス(『解読 花壇綱目』6頁上段8行目)が残っている。

★花壇綱目序文「意訳」
 故人(経験を積んだ老大家)が云うに、「隠者の三支」とは、一に書、二に茶、三に花である。しかるに書は、聖人を師として幅広い知識や道理を得ることで、それは本当に楽しいことだ。茶は気分をさわやかにし、眼を覚醒し、風味は素晴らしく、精神を養うものである。祖師は是れを愛し、習慣として嗜む人が多い。花は、四季の風物として、自然に趣を興すものである。また庭に移植し、籬に巡らし花が咲くのを待つことは、心の支えとなる。この三つは何れも捨てがたいものである。
 されば、色々な花の中で、梅は香りの良い筆頭であるから、人気の花として中国でも日本でも愛好者が多い。世に云う放翁①が詩歌を吟じる羅浮林(梅の名所)で、春に遊ぶ人もあり、また西の台で昔の月を慕うときも、花をいとしむものである。桜は、我国の愛でる花であり、王荊公③の歌にも詠まれている。牡丹は、花の王者として最も優れ、馥郁高き香りを愛し、しかも李白④は「清平調」の詩で謡っている。菊は、隠逸の景気を醸し、陶潜⑤が弄び愛好した。蓮は、花の君子と褒めたたえられて、周茂叔⑥が詩に詠んでいる。千紫万紅色とりどりに咲く花は愛さずにいられない
 このほか世の中には、様々な楽しみや遊びを好む所で、気晴らしをしている。そうではあるが、琴を奏で詩を吟じ酒を嗜む。この三つで、琴は在野の身には相応しくない、詩は詠む才能がなく恥ずかしい、酒は限度があるものの好きなだけに飲みすぎ乱れてしまう。好色と美食は、とりわけ害多く身を滅ぼす。豪邸や華美な服薫香も身分不相応、歌や舞・鼓・尺八は心を慰めるといえるが、昼夜やっていれば、隣人には迷惑がかかる。囲碁双六は人の競争心を煽るので難しい。蹴鞠もまた疾走するから息苦しい。
 したがって楽しむには、書か茶か花か。思うに、書は最も望ましいと云えど、知恵浅く学問もあまりないので文学の道に向かおうとするのは眼が渋る。茶は器具の使い方が難しくて、この道に疎い。そうなるとただ一つ心の支となるのは花のみか、中でも花木は植え込む前栽への移植が難しく人に頼むのは心苦しく、なお痛み枯れる心配がある。私に合うものは草花が一番である。折に触れてながめ、面白みが勝っている。春に二葉が出るころから、夏は夕立が去った後にさわやかな色を残し、秋には夕方の露に虫の声が添えられる、冬は霜や雪にすがすがしい清らかな詩をなす。
 尋ねてくる人との仲立ちともなり、青葉は心を救い、眼を明らかにし、白花は気力をみなぎらせ、赤花は気持ちを養うということで老いの身を助ける。余分な葉を摘み、枝を透かし、暇のない気分になれば、俗事を取り払い、朝夕に安らかに座り、他意なければ塵を掃き、露を垣根にそそぎて花の姿に安らえば、あの黒主⑦のような素晴らしい様子を思い浮かべることができる。このように愛好するものとして花の種を蒔く時期をたどるゆえ、草花の数々を四季に分けて記し『花壇綱目』という。もし重ねて、私と同じような人のためにもなればと思う心だけである。
★注・・・以下参照
放翁①南宋の睦游の号、通常は「陸放翁」の名で呼ばれる。文学者・詩人、 史学家。
羅浮林②広東省増城にある山、梅の名所。
王荊公③王安石と呼ばれ、北宋の政治家・思想家・文学者。
李白④唐代の詩人。
陶潜⑤陶淵明東晋・宋の詩人。菊を愛し句を作る。
周茂叔⑥宋の儒学者
黒主⑦大伴黒主六歌仙の一人。