十七世紀の園芸植物分類

十七世紀の園芸植物分類
植物名を知る
 花材や茶花の名前をどのようにして知ったのか。現代であれば、植物図鑑やインターネットで容易に調べることができる。十六世紀に生きた人たちは、わかりやすい植物図鑑や書籍を見ることはできなかった。植物の名は、周りの人から教えてもらうことが多かったものと思われる。
 それでも、植物名を知る方法としては、絵巻物や文献の記載を頼りにすることもできただろう。なかでも、絵巻物には植物が描かれていることが多く、最古の絵巻物とされている『絵因果経』(奈良時代に制作)にも竹や樹木が描かれている。だが、植物を名前がわかる程度まで正確には描いていない。絵を見て植物の名前がわかるように描いた絵巻物としては、『源氏物語絵巻』が最初ではなかろうか。「東屋2」のオミナエシなどは、花の特徴をよく表現している。ただ、植物の登場する絵は少なく、植物図鑑の替わりに見るというものではない。
 文献としては、『新撰字鏡』(平安時代に編纂)に多くの植物名が記されている。植物名を知るという観点からは、『新撰字鏡』より『本草和名』の方が詳しく記されている。ただ、これらが植物名を知る上でどのくらい役に立っていたか、使用できる人が大勢いたか。その点については推測の域でしかないが、かなり限られていただろう。
 普及という視点では、その後の『庭訓往来』(室町時代初期成立か)などの往来物から植物名を知る上で役立っていたものと思われる。『尺素往来』『古本節用集』『新撰類聚往来』は、十六世紀当時の人々にとって植物名を知る手がかりになっていただろう。『尺素往来』『古本節用集』『新撰類聚往来』の3書に花材や茶花がどのくらい含まれているかを調べると、花材は77%、茶花は89%である。花材や茶花が3書に数多く記されていることは、それぞれの書の植物名の信頼性を高めることとなる。また、3書が当時の人々の植物名を教授し、普及させることに役立っていたと考えられる。
 十七世紀に入ると、花材や茶花の植物名はさらに多くなり、広く社会に浸透する。十七世紀の花伝書として花材を調べたのは、『花傳集』『替花傳秘書』『立花大全』『佛花抄』『立花正道集』『立花初心抄』『抛入花傳書』『立花指南』『立花秘傳抄』『立花便覧』『當流茶之湯流傳集』『立花訓蒙図彙』『古今茶道全書二』『華道全書』『花の巻』『立花聞書集』『立花草木集』『立華極秘口傳抄』の18書である。記された花材の種類は383である。なお、十六世紀までの花伝書を含めると395になる。                          
 記された花材の種類は、十六世紀までの約3倍に増加している。これら花材の植物名は、何を頼りにして知り得たのであろうか。また、当時の社会にどの程度浸透していただろうか。十七世紀に登場した書籍には、植物名を記した本草書や園芸書などが刊行され、十六世紀より植物名が社会に知られるようになっていた。本草書では、1596年に明で刊行された『本草綱目』が、慶長九年(1604年)には日本に輸入されていたとされている。そして、寛永十四年(1637年)に和刻本が刊行された。ただ、『本草綱目』に記された植物は日本の植物ではなく、植物名も和名ではない。
 園芸書では、寛文四年(1664年)水野元勝によって『花壇綱目』著され、天和元年(1681年)に刊行された。次いで、元禄七年(1694)に貝原益軒が『花譜』を刊行。さらに元禄八年(1695年刊行)、伊藤伊兵衛が『花壇地錦抄』を刊行する。十七世紀になると、植物名に関する書がぞくぞくと刊行される中で、花材や茶花の名前が増えていったのであろう。興味深いのは、花伝書の大半を占める14書が『花壇綱目』刊行以後(1681年)に作成されていることである。花伝書作成にあたって、これらの園芸書を参考にしていただろうか。

植物をどのように分類するか
 そこで、十七世紀の花伝書に登場する花材と園芸書の植物名について検討することにした。『花壇綱目』は日本最初の園芸書とされ、著者は水野元勝とされているが経歴などは不明である。植物の形状や栽培法などを記していることから、実際に植物を育てていたものと推測される。ただ、記載した植物三百以上のすべてを生育させていたとは思われない。となると、どこかに種本もしくは参考とした書がある可能性がありそうで、その点については検討が必要である。
 たとえば、『花壇地錦抄』の「菊」について調べた例から示す。『花壇地錦抄』には、「夏菊のるい」として20品、「菊のるい  末より冬初」として230品、合計250品が記されている。『花壇綱目』には79品、『花壇地錦抄』と同じであると思われる品名が32品ある。この数を多いというか少ないと判断するのは難しいが、他の書(花伝書)『茶之湯三傳集』や『花の巻』に比べると倍以上多い。十七世紀後半には多分三百以上の品名があったものと推測され、それらが種々の機会に編纂されて記されたものであろう。その記されたものが種本として使われたのではなかろうか。
 水野元勝は、記したすべてを栽培してはおらず、一部には類推したり、聞いたことを記しているように感じた。たとえば、秋草之類で「秋明菊」、雑草之類で「高麗菊」と、現代名で同じ植物を別名で記している。植栽に関する記述では、「秋明菊」より「高麗菊」の方が詳細である。シュウメイギクは十七世紀後半にはかなり知られた植物で、十七世紀後半の花伝書、『替花傳秘書』『抛入花傳書』『立花指南』『立花秘傳抄』『立花便覧』『華道全書』『花の巻』『立花聞書集』『立花草木集』に記されている。シュウメイギクの初見は、『文明本節用集(1500年頃)』(茶会記の初見は『川上不白利休二百回忌茶会記』1782年)とされている。
・『花壇綱目』の分類
 『花壇綱目』の書の構成は、春・夏・秋・冬・雑・牡丹・芍薬・菊・梅・桃・櫻・躑躅と12分類している。この分類法は、水野元勝のオリジナルであろうか。『本草綱目』の分類で花材などの植物に関連しそうな区分の草部は、草部一山草類上31種・草部二山草類下39種・草部三芳草類下56種・草部四隰草類下52種・草之五隰草類下73種・草之六毒草類47種・草部七蔓草類73種附19種・草部八水草類22種・草部九石草類19種・草部十苔類一16種・草部十一雑草類9種等。穀部は一~四、菜部は一~五、果部は六類、木部六類となっている。『花壇綱目』は、この分類とは関係なく分けられており、まさに園芸書として確立している。
 分類の発想として、四季の花々、草と木を分けるのは、『花譜』や『花壇地錦抄』に受け継がれたのであろうか。それとも、当時の社会に共通する認識であったのだろうか。花伝書から見ると、『仙傅抄』(1445年)にも「十二月の花の事」と四季の変化を捕らえる記述はあるものの、まだ花伝書の一部としての記述でしかない。それに対し『池坊専應口傳』(1543年)では、「十二月に可用也」次いで「五節句に用べき事」と季節ごとの植物の整理を行っている。花については、四季の変化に応じて論じるというスタイルが十六世紀半ばには確立していたのだろう。その後の花伝書は、『池坊専應口傳』を受け継ぎ『替花傳秘書』はさらに詳細な日にちにまで触れている。
 『花壇綱目』は、春35・夏81・秋57・冬5・雑6種の計184種、牡丹41・芍薬32・菊79・椿66・梅53・桃8・桜40・ツツジ147品種と詳細な種についても示している。花伝書でも、『抛入花伝書』(1684年)では「菊」について詳細な品種を記している。花伝書は当然のことながら、花を生けるための植物分類を行っており、『立華正道集』(1683年)では「いろは」順で目録をつくり、その中に植物分類を作成している。また、『立花秘傳抄』(1688年)では「常磐木之部」「花之部」「實之部」「草之部」と花材となる植物を分けてている。この分類も、園芸書ではなく花伝書としてであり、当時の花道を反映したものと考えられる。
・『花譜』の分類
 次の園芸書である『花譜』(元禄7年1694年)は、十二カ月と「草」「木」という分類を行っている。各月の記述は、正月4種・二月11種・三月38種・四月16種(記載されている数を調べると15種しかない。また、「木」は4とあるが、白丁花・杜鵑花・佛桑花・下毛・卯花と5種である。)・五月15種・六月17種・七月12種・八月6種・九月4種・十月4種・十一月3種・十二月2種を草花と樹木の花を分けず、計132種を記している。続いて、「草」は34種、葉や実など花以外を鑑賞するが記されている。「木」は33種、葉や枝振りなど樹木として鑑賞する植物を記している。
 興味ある記述として「考用書目」が記されている。その中には『本草綱目』をはじめ当時の参考書が列挙されている。それは、『齋民要術・種果疏・山海經・瓶史・杜工部集・酉陽雑俎・閩書・救荒本草・潜確類書・種樹書・花史・爾雅・居家必用・物類相感志・本草綱目・事文類聚・三方圖檜・事林廣記・農桑輯要・牡丹譜・月令・博物志・崔豹古今註・柳々州集・鶴林玉露・月令庸義・天工開物・農政全書・詩經・史記・文選・荊楚歳時記・時珍食物本草朱子文集・蠡海録・唐詩書譜・天中記・古今醫統・衡岳志・倭書八雲御抄・順和名抄・朗詠・蔵玉・園史・福州府志・松江志・八雲・萬葉集源氏物語・夫木集・蹇驢嘶餘・遵生八牋・養老壽親書・彙苑・文徳實録・拾遺集枕草子・墨荘漫録・五雑俎・古今和歌集・増鏡・袖中抄』(ネットで見ることのできる書がある)とある。
 植物に関する記述は、参考書を踏まえて記していると思われるが、十二カ月の区分は参考書に加えて自らの観察も加わっていたものと推測する。特に、各月に植物の開花を割り振ることは、何年か継続して見ていなければわからない。そのため書の中で、実際には見ていない植物が36種あることをことわっている。 
・『花壇地錦抄』の分類
 『花壇地錦抄』は、江戸近郊の染井の植木屋、伊藤伊兵衛(三之蒸)によって作成された園芸書である。なお、国立国会図書館デジタルコレクションに公開されている『花壇地錦抄前集』は、解題によれば「・・・江戸染井の有名な植木屋伊藤伊兵衛三之丞が元禄8年(1695)に出版した『花壇地錦抄』と刊記まで同じなので、それと思って当たり前だが、じつは偽本である。内容を検討すると、『花壇地錦抄』『増補地錦抄』『広益地錦抄』、さらに三之丞著『錦繍枕』までも組み合せている。よく見ると、題箋題「花壇地錦抄」の下に、小さく「前集」とある点が本物と異なる。」とある。
 全六巻五冊(四・五巻合冊)。この書籍は、図はなく、書の構成は、「白牡丹のるひ」「芍薬のるひ」「椿のるひ」「山茶花のるひ」「躑躅のるひ」「さつきのるひ」「夏木の分」「冬木き分」「松のるひ」「竹のるひ」「笹のるひ」「実秋色付て見事成るひ」「春草の部」「夏草の部」「水草るひ」「秋草の部」「菊のるひ」「葉の見事成るひ」「冬草の部」などと続く。現代の分類から見ると順番に違和感を感じるかもしれないが、当時はこの構成が受け入れられたものと思われる。
 その序文には、農作業のあいまに、植物を集め育てた自身の経験もとに易しく紹介するとある。そのためか、人気があるボタンを書の最初にして、その数も481品に及んでいる。次いでシャクヤクが104、ツバキ206、キク231、ツツジ169、サツキ163、ウメ48、サクラ46、カエデ23点などとなっている。そして草花を四季にしたがって記している。当時の売れ筋にしたがって書を構成するのは、植木商売人ならではの心意気であろう。