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江戸の盆栽 1

…不動近傍の茶亭内田の牡丹園昨今花盛り」 明治7年5月郵便報知「芝増上寺境内、花園に花卉を布置」 明治7年5月郵便報知「北里仲町に花王樹を植える。例年より数を増し満開一層の芸郁」 明治7年7月郵便報知「洋種長春のバラの流行 日を追い増」 明治7年8月郵便報知「巣鴨花戸長太郎が盆栽せる舶来朱藤、殷紅錯落として碎珊瑚を織るが如し」 明治7年10月郵便報知「浅草観音奥山なる花園に於いて盆栽陳列」 明治7年11月郵便報知「染井巣鴨団子坂の辺植木屋例の造り菊、錦繍を綴り」 明治7年11月…

朝顔

…けた。品種も獅子咲、牡丹咲、桐性、細葉ものなどが現われ、大輪のアサガオも改良が進められ、明治20年ごろには八寸咲き(約23cm)が存在したとされている。 蕣(アサガオ)塚の供養 いつの時代でも美しい花、珍しい植物を求める熱意は存在するが、特に江戸期のアサガオに対する執念とでも言えるこだわりは、宗教や信仰に近いものを感じさせる。 それは、文政年間に建立された「蕣塚」(豊島区、雑司ケ谷の鬼子母神内)を見ても伝わってくる。これは、アサガオに限ったことではなく、園芸植物を栽培し、納…

ガーデニングを楽しむ 1

…目』(水野元勝)、『牡丹名寄』(定屋丈助)など、美しい花や珍しい植物を紹介したものであった。植物の性状や栽培法について触れたものもあるが、どちらかといえば、見て楽しむという類の書物が多かった。 元禄・宝永年間(1700年前後)に入ると、園芸書としてのレベルが上がり、植物の分類や栽培法などについてかなり詳しく書かれるようになった。特に著名なのは、伊藤伊兵衛の著した園芸書である。特に伊兵衛の『錦繍枕』は、かなり専門的な内容であるにもかかわらず、図を載せ、仮名入りで記述するなど、「…

ガーデニングバブル

…永年間に流行した椿や牡丹はその代表といえる。 が、江戸も元禄期になると、世はまさに黄金万能の時代。自由経済の中で成功を修めた「勝ち組」の町人たちは、旺盛な財力を背に、誰に遠慮することもなく気儘で贅沢な生活を送るようになる。饅頭一個、茶漬け一杯に目を剥くような大金を投じたり、芝居見物に行くのに、大名顔負けの豪華な衣装をまとってみたり。その勢いはもはや留まるところを知らなかった。そうした世情を背景に登場したのが、寛永から文化・文政期にかけて起きた園芸界におけるバブル現象である。当…

冬牡丹は江戸文化

冬牡丹は江戸文化 ・ボタンの来歴 正月にボタンやシャクヤクを飾る。『金生樹譜』には「清国の京師は北極の地にて寒気甚だしき処なれば、暖室の内に芍薬牡丹を養い盆(はち)植えとして立春の夜大内に奉り、銀燭のもとに飾り列ね、天子の御覧に供する」と図入りで解説されている。花の最も少ない時期に、豪華なボタンを鉢植えで飾るとは、さすがに中国ならではの趣を感じさせる。中国においてボタンが宮中で栽培されるようになったのは、八世紀前半、唐の玄宗皇帝の時代である。玄宗皇帝といえば思い浮かぶのは揚貴…

百合に魅せられて

…、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」と美人を形容した句などは、現代でも十分通用する名句(?)である。 『野山草』より それにしても、江戸時代に観賞用に栽培されたユリには、さすがに園芸文化の花開いた時代だけであって多様であった。たとえば愛らしく丈夫なヒメユリ、鮮やかな桃紅色が美しいカノコユリ、奄美や沖縄に自生する純白のテッポウユリ、前述のササユリ、大輪と強い芳香が特徴でユリの王様ともいうべきヤマユリ(ヤマユリの変種「サクユリ」は伊豆半島や八丈島に咲くひときわ大きなユリで、…

植栽・庭園美術史

…「立てば芍薬、座れば牡丹」と言うように、この二つの花は美人の代名詞として知られる。この表現は、シャクヤクは茎が根元からまっすぐ伸びてその上に蕾を付け、そのさまは美人の立ち姿を連想させるからである。また、ボタンは枝分かれした先に花が咲くので、これを美人が座っている姿になぞらえたことからきている。 http://photozou.jp/photo/photo_only/245661/38517765?size=1024 http://photozou.jp/photo/photo…