大正十五年後期 大正時代終焉の娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 183

大正十五年後期 大正時代終焉の娯楽
 この年は、景気の低迷を反映してか正月の人出が少なく、十二月になっても回復しなかった。地域の祭りや縁日などにも以前ほど参加している様子が見られず、人出はあってお金は落ちず、不景気が浸透していた。市内で活発に遊んでいるのは学生で、野球などスポーツ関連の活動が盛況である。とは言っても、人数は学生野球はお会式の一割である。景気づけなのだろうか、新聞は、下層の市民には関係ない学生スポーツを取り上げていた。そして、天皇陛下の病状が悪化は、ラジオ放送は演芸番組を中止をはじめとして、人々が楽しむことにもブレーキをかけた。
・九月「撞球場荒らしの氏名を全球場に掲示」八日付讀賣
 九月は、夏バテが出たのか、市民のレジャーに盛り上がりが少ない。ただ、ビリヤードの記事(撞球界、撞球消等)は連日のように讀賣新聞に掲載され、ブームは一向に衰える気配がない。中にはセミプロ級の猛者も現われ、賭ゲームで稼ぐ撞球場荒らしが徘徊するようになった。そのため、警視庁は、「札付き」の氏名を全球場に掲示し、ゲーム料金や競技会の方法などについて指導した。また、讀賣新聞が優勝者に金時計を提供するなど賞品も高価になっていったため、射幸心を煽ることを防ぐために賞品は三十円以内と定められた。
 月末の讀賣新聞演劇欄には、市民がどのくらい芝居を見たかを五・六・七月の警視庁の統計から紹介している。その数値から見ると市民の一割六分から二割強が毎月芝居を見ていることになる。が、実際はそれ以上いるだろうとも書いてある。また、地域別では浅草の劇場の入場者数が多い。その理由は、料金が安いことと地方からの来訪者が多いことによると書かれている。
・十月「行楽の人に恵まれた郊外の秋 各駅とも大賑い」四日付讀賣
 十月に入り市民の行楽活動は活発になった。最初の日曜は、朝からカラリと晴れて散歩日和、郊外へ向かう駅は大賑わいだった。七日、商工奨励館で催された図書市は、大入り満員で売上げもよかった。恒例、国技館の大菊花園も満員続き。
 十二日の池上本門寺のお会式は、前年より人出が多く30万人になるだろうと。ただ、不景気を反映してか賽銭泥棒が多く、午後九時までに十八人も捕まった、ということはそれ以降もいたのだろう。迷子は5人。
 十四日の上野は、愛玩動物鑑賞会などあって午前中に3万人も詰めかけ賑やかであった。二十三日からは靖国神社大祭で朝から大混雑。二十四日は秋晴れの日曜ということもあって、郊外に出かける列車は満員。三十一日は大祭、朝からすがすがしい観兵式日和となり、明治神宮周辺の乗降客は29万人、上野公園は約10万人の人出、郊外へも臨時増発の電車が満員となるなど、行楽の人は方々に出かけていった。
・十一月「慶応惜しくも敗る 三万の観衆戸塚球場を埋む」九日付讀賣
 スポーツは盛んと見えて、新聞各紙を毎日賑わせているが、観客数はあまり正確には示されていない。十月に明治神宮外苑野球場が完成、神宮競技第三日目の試合は「五万の観衆群衆を吸い 火蓋を切った早慶戦」(一日付以下讀賣)という具合。試合の解説記事には「3万の大観衆」という記述があり、どちらが本当なのか不明。七日の新田球場での早慶戦でも、「午前中に万余のファン」と書かれているが、どうも実際より多めに書く傾向があったようだ。十四日に終わった根岸競馬は、観客数にはふれず馬券の総売上げ額200万円とあるのみ、盛況ではあったのかもしれないが、入場者数はさほど多くなかったのではないか。二十一日の目黒競馬では、「万に近いファン」とあるが、これも実際は数千人程度であろう。
 一方、行楽客については、鉄道の乗降客数を基礎に算出していれば大きな間違いは避けられる。十四日の人出は、上野公園が省線利用7千人、日比谷公園2千人、井の頭公園5千人などとある。上野公園へは市電やバス、徒歩で行く人もいることから1万人を超えていると考えられる。また、日比谷公園についても同様で、子供大会が開かれていることから少なくとも数千人以上である。この日は朝から散策日和であったから、市民の二割程度が公園や郊外に出かけたとすれば、40万人は超えていそうだ。なお、鉄道局は秋の人出を次の日曜日までと読み、臨時列車もその日で終了する方針。
・十二月「浅草も人足減った中、祈願に賑わう明治神宮」十五日付東朝
 酉の市や歳の市について、永井荷風はこまめに日記に記しているが、新聞の方では、銀座のグランドセールや丸ビルで十日夜からオープンする大売出しなどに注目している。また、スキーは実際には学生などほんの一部の人しか行っていないにもかかわらず、「例年より早い雪 スキーにはどこへ 鉄道省客を呼ぶ大宣伝に着手」(十三日付讀賣)などと大きな見出しが出ている。年の瀬を迎えた多くの市民は正月を迎える準備で忙しく、レジャーはよほど暇とお金を持てあました人しか係わりがなかった。東京朝日新聞社の「同情週間」は風物詩化して、暮れの押し迫まりを強調した。
 浅草も師走に入ると客が少なくなるが、この年は天皇陛下の病状が悪化しさらに減った様子。逆に例年なら参拝客が減少する明治神宮は、天皇の病状回復の祈願に訪れる人が日に追って増えた。月半ばを過ぎると、ラジオ放送は演芸番組を中止。十九日付の新聞(以下東朝)は「市内の大劇場休み、映画各館は午後中止か」と、市民の娯楽を差し控えるよう勧告。二十四日付で「宮城前につどうて涙する市民の群」とある。二十五日崩御改元して「昭和」元年となった。永井荷風の日記には「歳末雑踏の光景毫も諒闇の気味なし。銀座通の夜肆も亦例年の如し。太訝に登るに酔客楼に満つ」と書かれている。ただし、大晦日に向けて時間が慌ただしく過ぎているためか、街中でも厳粛なムードはあまり強くない。ラジオの演芸放送は翌年の三日まで中止になるなど、レジャーの自粛ムードは続いた。

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大正十五年(1926年)後期の主なレジャー関連事象・・・12月大正天皇崩御
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9月7読 林間・臨海学校が70校以上に増加、来年から取り締まる
  8読 乃木将軍記念展                        
  8読 撞球場荒らしの氏名を全球場に掲示、ゲーム料金競技会方法決まる、賞品は30円以内
  15朝 新橋演舞場吉野山道行」他連日大入り御礼
  16朝 上野で産業文化博覧会開会式        
  21永 帝国劇場、十日間露国オペラ、初日「アイダ」
  30読 東京市民の約二割が毎月芝居を見る
10月4読 行楽の人に恵まれた郊外 各駅とも大賑わい
  8読 国技館の大菊花園 満員続きの盛況     
  13読 池上のお会式 人出30万人、賽銭泥18人 
  15読 上野の秋 愛玩動物鑑賞会など午前中3万人 
  24読 靖国神社大祭、能楽・映画などで朝から雑踏 
  24永 荷風浅草観音に賽す。公園内甚寂寞   
  24朝 神宮外苑に野球場完成し開場式、中学選抜 チームに2万5千人入場
  25読 秋晴れの日曜に各列車満員         
  26永 荷風、帝国劇場で米国人舞踏を看る
  30読 新装の神宮外苑に技を競う6千の若人
11月1読 五万の群衆を吸い 火蓋を切った早慶戦 神宮競技第三日
  1読 日曜と大祭日、方々へ押し出た人40万
  4永 酉の市なり
  8読 早慶戦、新田球場に万余のファンを集める
  15読 根岸競馬、馬券200万円で終わる
  15読 晩秋の日曜に押し出た人波
  20読 銀座グランドセール二十日から三十日まで
  22読 目黒競馬、万に近いファン熱狂、2百円の大穴違反者続々
12月10朝 歌舞伎座森有礼」連日満員御礼
  11読 浅草気分を丸ビルで、十日の夜から夜間開場の歳の市
  13読 例年より早い雪 スキーにはどこへ 鉄道省客を呼ぶ大宣伝に着手
  15朝 浅草も人足減った中、祈願に賑わう明治神宮
  17朝 ラジオ、演芸放送中止
  19朝 市内の大劇場休み、映画各館は午後中止か
  23永 荷風愛宕下の歳の市を見る
  24朝 宮城前につどうて涙する市民の群れ
  26朝 本日より改元して「昭和」元年
  27永 丸内日比谷の辺拝観者堵をなす

 

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