大正十四年後期 商業娯楽が浸透し始める

江戸・東京庶民の楽しみ 181

大正十四年後期 商業娯楽が浸透し始める
 時代の変化を感じさせる大正14年の後期、東京の人口は増加し、都市構造についても変化していた。市内は、山手線の環状運転が始まり、新宿・渋谷・池袋などから郊外から通勤する人々が増加した。市民の遊び場も、市内から溢れるように郊外へと足を伸ばす人たちが増えて行った。それを見込んで、新たな谷津海浜遊園や多摩川園が開園した。
 江戸時代から続く、自然発生的な遊びに加えて、商売として娯楽を提供することが盛んになり、娯楽の商業化が進んだ。遊びの有料化、お金のかかる娯楽が当たり前になり、市民の格差も目に付くようになった。また、三月に放送が開始されたラジオ、年末には東京の聴取契約者が13万を超えたように、マスメディアが大きく影響することになる。
・九月「大曼陀羅を先頭に・・・日蓮信者の示威」二十五日付讀賣
 九月に入ってコレラが発生。そのため魚市場は閉鎖され、市民レジャーも低調となった。二十三日付(讀賣)には「儲け仕事の野球から 興行税を取る相談」とある。記事によると、スポーツ競技は年々盛んになり、野球をはじめ運動競技に入場料を取ることは珍しくなくなった。ただ、競技を行っているは大半が学生で、体育の奨励という観点からそれまで興行税の対象にはなっていなかった。しかし、学生生徒の運動競技はともかく、野球は専門チームもでき有料試合をしているのだから、他の興行物となんら変わるところがない。例えば、早大のシカゴチーム招聘試合は、高い入場料を取り、その利益がスタンド建設費に使われたというような事例もある。すでに京都府では野球試合に興行税を課した例がある。また、このままスポーツ競技をすべて無税とするなら、相撲も免税にしなければならないとも書いている
 「大曼陀羅を先頭に・・・日蓮信者の示威」(二十五日付讀賣)と、浅草本覚寺の開帳が始まった。この開帳は、正法護国会が読売新聞社の後援を得て催したもの。初日は、信者3万人が二重橋で平癒祈願をし、市中を練り廻り祖師堂まで行列した。市中行列は、開帳の宣伝活動の一環になることは確かで、イベントの少ない時期ということもあって効果的であった。開帳のような宗教活動も盛大に行うためには、新聞社と組み、紙面に会期等の告示をしなければならなくなってきた。
・十月「野も山も行楽気分」五日付東日
 一日は、東京市自治制が布かれて二十七年、日比谷公園で市長などの講演が行われた。講演後は、音楽堂で呼び物「幕末秘史、江戸城明渡し、勝と西郷の談判など・・・興味ある場面」(二日付讀賣)を見せて、満員の観客は大喝采。また、広場でも自治記念日の実況その他映画を放映した。
 四日の日曜日は、秋晴れに誘われて郊外に出かける人が多かった。上野から初石・筑波・妙義・長瀞・大宮方面に8万人、新宿から高尾・井の頭公園・東村山方面に6万人、両国から成田・市川・中山・舟橋方面に1万人など。翌五日は月曜にもかかわらず、水天宮は大賑わいであった。十二日の池上本門寺のお会式は、市電の幹線は終夜運転され、大警戒のなか行われ、30万人の人出。万灯の数は不景気を反映して少なかったが、電気万灯がこの年初めて登場した。十四日付の新聞(讀賣)に「国技館の大菊花 都人士の人気 菊人形に集る」との広告がある。
 市民の行楽は盛んと見えて、十七日の帝展初日は5千5百人の入場者、その翌日は雨天にもかかわらず休日とあって1万人以上が訪れた。市村座で公演されている宝塚少女歌劇も人気を呼び、大入り満員。順延の続いた早慶戦は十九日、正午までに6千7百枚もの切符が売切れ、満員の戸塚球場で催され、結果は早稲田の大勝。観衆は2万人ともあるが、そのほとんどは学生。翌日も大勢の観衆のなか慶応の惨敗。
・十一月、市民は神宮競技大会より映画に芝居
 前月の二十八日から催された神宮競技大会は、新聞紙上を連日賑わした。競技参加者は前年より増えているように書かれ、増えたのは学生や生徒であった。それは、「文部内務両省が馬力をかけて奨励するためもあるが近頃運動体育熱が滅切り盛になり殊に一時『中止』された大学や専門学校の対抗試合迄復活して素晴らしい勢いで進んでいる」(二日付讀賣)ためであろう。神宮競技大会第五日目(一日)は、「決勝戦に人気立ち 意気揚る 選手 各宮殿下の御臨場もあって 雨中の競技白熱す」(二日付讀賣)と伝えている。この年の観客数は不明だが、二十一日付の新聞(東日)によると、入場料の売上げは、外苑競技場が27,595円、野球が6,914円、庭球が981円、水上が1,178円であった。前年の収入額より低いことから見て、観客数も減少したものと思われる。
 また、一日は上野から神田までの鉄道が開通し、省線開通式。「物見高いお江戸に 人波溢れた各駅」(讀賣)と、雨天のなか上野駅に8万人が集まり、御徒町秋葉原・神田の各駅に1万人以上の人出。なお、化粧された駅構内は傘のしずくや足駄の泥で汚れ、試乗に訪れた女子供は混雑する人波に揉まれて“べそ”をかいていたという。
 十一月の新聞(東日)に、富士館で上映されている「荒木又右衛門」の満員御礼広告が何回も出ている。月末まで満員御礼が続き、十二月はさすが満員にはならなかったようだが、上映広告は出ていた。他にも三友館などの満員御礼広告が出ていることでもわかるように、映画観客数は確実に増えている。前年、市内の映画館は増えて90軒になり過剰気味との記事もあったが、各館とも着実に入場者を増やしている。市全体では観客が前年に比べて258万人も増加、大正十四年の映画観客数は1421万人になった。これは、市民(国勢調査から199万人)が一年間に年7回も映画を見たことになる数値である。
 芝居も全般的に入りがよく、この年の観客数は、前年より178万人増加して512万人となった。永井荷風の十一日の日記には、歌舞伎座で上演している「乃木大将」の狂言は大当たりと書かれている。また、この日は東郷大将が観劇に訪れ、その話が楽屋中の噂となった。二十一日も荷風歌舞伎座に出かけ、劇場内の中華料理屋で食事をして帰った。その夜は二の酉であったが、電車は混まず、熊手を携えている人もなし、と書いている。確かに、酉の市に関する記事は皆無で、旧来の行事はすたれてきているようだ。
 三十日付(讀賣)「馬券復活以来の凄じい上景気」。目黒競馬場の入場料は、一等5円、二等2円と安くない。不景気にもかかわらず、二十二日の初日は日曜ということもあって大入り。人気は最終日まで続き、馬券売上高は約270万円、馬券復活以来の最高額を記録。政府が一割天引き、払戻金や賞金などを差し引いても30万円近くの純益が出たという。入場者数は不明だが、一人当たり50円注ぎ込んでとしても、二十九日までに5万人以上が詰めかけたものと思われる。もっとも観客の多くは、馬の走る姿よりも馬券の行方に関心があったことはいうまでもない。
・十二月「夜の日比谷に勇ましい點火踊、皇孫御七夜の奉祝」十三日付東朝
 生活苦による自殺が連日のように掲載されている。納の水天宮などの行事は例年通り行われているが、盛り上がりはあまりなさそう。そのような中、皇孫(摂政殿下の子)誕生が話題となり、同じ日に生まれた子供には金一封が出るような話まであった。誕生を喜ぶ市民の写真や提灯行列の記事など、盛んに紹介しているが参加者はそんなに多くないもよう。新聞は不景気で落ち込んだ民衆の気持ちを少しでも明るくしようと、ことさらにこうした記事を書き立てているように感じられる。
 朝日新聞社は、「同情週間」活動の一環として、貧しい人々を国技館の澤正一座公演「国定忠治」に無料招待した。入場券は、本所キリスト教青年会を通じて木賃宿や細民街などへ9650枚配布。入場者が殺到して混乱しないように、開演四時間半前の正午から開場して人々を待ち受けた。来た人には、お土産に弁当がわりのパンを渡した、これには最後まで席を立たないようにするという意味合いもあった。同情週間中は前年と同じように、おもちゃや餅などが貧しい人々に配布された。
 押し迫った三十日には、暮れから避寒やスキー・スケートに出かける人についての記事がある。この年に出かける人は前年より多いとは言うものの、二十九日のスキー関連は千人に満たない、また箱根・伊豆方面にしても千人余であった。正月に入って客はグッと増加する見込みとは書いてあるが、裕福なごく一部の市民の話であることは言うまでもない。
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大正十四年(1925年)後期の主なレジャー関連事象・・・
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9月13永 氷川神社例祭・・夜谷町通り人出盛なり

  15読 お祭り若衆大暴れ 神輿を家へかつぎ込む  
  17読 神輿から血祭り 担げない若衆達が神酒所に暴れ込む
  18日 三友館「母校の為に」大入り御礼料金値下げ    
  22朝 大久保キネマ「犠牲」他満員御礼        
  23読 新橋演舞場伊井蓉峰一座満員御礼
  23朝 富士館「鞍馬天狗」他大好評日延べ上映   
  24朝 遠征のシカゴ大早大に勝つ、戸塚球場を2万が埋めつくす新記録  
  25読 大曼陀羅を先頭に・・・日蓮信者の示威
  27永 百花園に遊ぶ、墨陀の堤上ボートレースを見るもの群集
   29朝 帝国劇場「オペラの怪人」連日満員御礼   
  29朝 日比谷公園で「話と野外劇の夕べ」7千人の大喝采
10月2読 自治制二十七年 日比谷の賑わい    
  4読 浅草本願寺で植木見本市
  5日 野も山も行楽気分、上野から8万人新宿から6万人出る
  10日 上野不忍池畔で電気文化展開会、30日間 
  12永 夕暮より町々到るところ万灯の光太鼓の響盛なり
  12読 帝国劇場「日蓮上人」他熱狂的大盛況       
  13日 お会式、祖師も知らぬ電気万灯があって人出30万人
  18読 帝展初日5千5百人、13点売約
  19日 市村座で宝塚少女歌劇公演大入満員御礼
  20日 早慶戦正午までに6千7百枚売切れ満員
  29日 明治神宮競技大会開催 
  30永 昼の中より花火の響、天長節祝日なり
11月2読 上野・神田間の省線開通式、試乗多数来訪
  3日 三友館「覇者の心」満員御礼
  8日 富士館「荒木又右衛門」連日連夜大満員
  10永 荷風、夜、虎の門金比羅の縁日を歩む
  15日 国技館の菊人形大好評大人60銭小人40銭
  17日 キネマ倶楽部「禁断の楽園」他満員御礼    
  23日 ポカポカ陽気で浅草仲見世初めての日曜でものすごい雑踏
  24日 ラジオ視聴者、東京府9万8千、市内5万6千
  25日 大東京、阪妻の「雄呂血」大満員          
  25永 木挽町芝居近年になき大当たりにて、昨日千秋楽となれり
  30読 馬券復活以来の凄まじい上景気、目黒競馬の馬券総売上げ260万円
12月2朝 三友館「人間」たちまち満員
  6朝 納の水天宮 きょうの賑わい 
  12読 人形の展覧会     
  13朝 夜の日比谷に勇ましい點火踊り、皇孫御七夜の奉祝
  14日 一高球場で早大対帝大ラグビー満員の盛況
  28朝 同情週間の無料芝居、国技館は正午開場
  30読 暮れから繰り出す避寒客
  31永 銀座街上の雑踏例年の如し。松屋呉服店 店飾りの活人形を観る者堵の如し

 

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