前年より活発な市民レジャー八年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)214
前年より活発な市民レジャー八年春
 東京は、インフレの恩恵を受けて市民レジャーが活発化、官製のイベントがなくても、映画館観客数は3,800万人と前年より250万人も増加、劇場観客数も800万人と100万人増加。花見や花火などの行楽活動も前年より賑わいを増した。
 新聞が盛りたてるスポーツ、あたかも誰もが関心を持っているように感じさせる。実際に観戦する女性はあまりいない。それでも紙面を賑わす材料として欠かせないので、載せ続けている。そのような中、松竹少女歌劇団の争議が注目された。少女歌劇団と言うように、十代の少女が中心、水の江以下少女部員230名は、神奈川県にある湯河原温泉郷の大旅館に立てこもった。現代でも未成年(二十歳以下)のアイドルグループがあるが、このような徒党を組むことができるであろうか。

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昭和八年(1933年)四月、浅草常盤座で「笑いの王国」旗揚げ①、新国定教科書の使用開始①、関東軍華北に侵入⑩、市内に催し物が多く花見からの人出は月末まで続く
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4月1日ka 人形町の夜店を見る
  2日a 浅草観音の開帳
  2日y 「快晴!春に酔う 流出た大行楽群」
  5日a 三日間の人出二百三十万「鉄道はホクホク」
  10日y 明治座「母三人」他、満員御礼、入場料3円70銭~70銭
  12日y 昭憲皇太后祭、明治神宮で花火・映画等
  17日y 「花・花・花へ殺到」浮かれ出た二百万 三十三年人出の新記録
  17日A 新制度の野球リーグ戦開幕
  26日a 靖国神社臨時大祭
  29日A 「ハクランカイ大好評」五月三十一日まで日延
  29日ka 銀座通に出るに五月人形の露店出で人の出盛ること夥し・・三十軒堀河岸通の縁日を見る
  30日y 「日本晴れの天長節」、日比谷に会集三万、愛国労働祭の行進に約一万人
                                                
 二日の新聞y2は、「けふの人出」から始まり、東京の人出を面々と綴っている。四月に入り連休初日、快晴、「流出た大行楽群」と、省線と私鉄の乗客は軽く100万人を超えた。八日の銀座は、「土曜日にて街上の雑遝殊に甚し」と荷風は賑わいを見ている。十六日の日曜は、「大東京の屋根の下は空ッぽ!」になるくらいの行楽日和。「浮かれ出た二百万」とこの年最高の人出を記録したもよう。
 東京市統計書の「労働賃金指数」を見ると、インフレのためか前年より2%改善している。景気が目に見えて改善したわけではないが、市民レジャーは確かに活発になっている。芝居や映画は前年同月よりいずれも入りが多く、また、イベントも浅草観音開帳、上野動物園の夜間開園、昭憲皇太后祭、靖国神社の日本一の鳥居落成式、関東陸上競技選手権大会など盛況のようだ。
 二十七日の荷風の日記に、「招魂社祭礼の由銀座通の人出いつもより少し」とある。二十九日には、日比谷公園で「三万人」を集め「連盟脱退詔書奉戴式」。観兵式の終わった代々木練兵場で「日本主義愛国労働祭」が催され、芝公園まで長蛇の行進が続いた。なお、二日後のメーデーは、分裂し、参加者7千5百人と精彩を欠いた。

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昭和八年(1933年)五月、塘沽停戦協定成立(31)、市内のレジャーは活発らしく、相撲・拳闘・野球などスポーツ観戦も人気沸騰
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5月6日Y 水天宮の賑わい、午前中に五万突破、午後十一時までに十万、人形町通りは身動きできぬ有様
  13日y 大相撲夏場所初日、民衆デーで四階を別にして大入り満員
  24日Y 日仏対抗日本代表選抜拳闘大決勝戦国技館超満員、午後五時の場内一万五千のファン
  25日a 大勝館「叫ぶアジア」他連日満員御礼
  25日a 浅草松竹館「天一坊と伊賀亮」他満員御礼                          

  25日ka 烏森神社の縁日を見る
  29日Y 早慶戦「球場は沸騰する」入場券売り切れ、ブローカー23名検挙
                                                
 五日の水天宮は、午後十一時までに「十万」もの人が出て、人形町通りは身動きできぬ有様。五月に入っても市内の賑わいが続いたようで、万国婦人子供博覧会の入場者にカルピス製品のプレゼントなど、レジャー関連の広告が多い。この年当たりから「苺摘み」が流行しはじめたことも、広告が沢山でていることから推測できる。
 スポーツ記事は、観客の多少にかかわらず掲載されている。そのためか読者のスポーツへの関心が高まり、観戦に出かける人も増えている。大相撲夏場所の初日は、恒例の民衆デーのため四階席を除けば満員。その後もそこそこの入りで、二十二日の千秋楽は雨が降っていたにもかかわらず大入り。
 拳闘の人気が高まっている、十一日の日仏対抗日本代表選抜戦は、準決勝なのに国技館に「一万一千余」の観客。そして二十三日の決勝戦には、午後五時に「一万五千のファン」という超満員で、大相撲よりも格段に入りが良かった。
 五月のスポーツで最も観客を集めたのは、六大学リーグの早慶戦。二十八日の試合は、入場券の発売と同時に売り切れる状態、そのためダフ屋が横行し、23人ものブローカーが検挙された。

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昭和八年(1933年)六月、山本有三共産党シンパで検挙③、松竹少女歌劇団ストライキ⑮、梅雨でレジャーが停滞するなかレビューガールのストが話題となる
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6月11日ka 日曜日なれば銀座通の雑遝最甚し
  12日A 日由比ヶ浜早くも賑わう
  13日Y 日仏拳闘第二回戦、国技館開設以来の大観衆二万の観衆を魅了する
  17日Y 浅草松竹座、レビューガールのストに対し突如興行を中止、浪曲大会に変更
  18日y 東京劇場「お夏清十郎」初日以来連日満員

 六月に入り、芝居の入りはもちろん、映画館も観客が減少するなか、日仏拳闘戦はなかなか好評。十二日の日仏拳闘第二回戦は、国技館開設以来の「二万の観衆を魅了する」ほどであった。
 十七日付で「突如 興行を中止し松竹座を釘づけ」の見出しで、松竹レビューガールの争議が記事になった。別名・桃色争議とも、ターキー・水の江滝子を争議委員長に、起した争議である。なお、ターキーは18歳のトップスターで、十三日にレビューガールが待遇改善の要求を出したが受け入れられず、逆にロックアウトされてしまった。それに対し、十六日には浅草公園六区の従業員達がレビューガール争議に支援を声明。レビューガールは湯河原に籠城して対決したが、二十五日に21名の解雇が言い渡された。結局、松竹のスト切り崩しに会い、七月になってレビューガール46名検挙されるという展開となり、格好の話題を市民に提供した。なお、レビューガールを求めている人々に、浪曲大会で埋め合わせをするという発想、なんとも言い難い。