江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)322
終戦の四日目以後の動向
八月十九日に初めて、「惨禍の広島市の写真」が掲載される。なぜ戦中に国民に見せなかったのであろう。それでいて、戦時中(十日前の八月九日)の新聞には、「敵の非人道、断乎報復 新型爆弾に対策を確立」との見出しの記事があった。しかし、広島の原爆後の被害写真は掲載されなかった。何を根拠にしていたのか、「新型爆弾に対策を確立」との文言があった。
社会が混乱すると様々のデマが発生する。人々の不安を煽る悪質なものから、危険から我が身を守る注意を示唆するものまで、起きるべくして発生した。なお、日本軍が占領した地域で、どのような振る舞いをしてきたかを経験した人は、すぐに連想するであろう。いくら政府が平静を求め否定しても、兵隊として従軍した人は、占領地での軍が蛮行や掠奪などをしたことを忘れるはずがない。
八月十九日
朝日新聞は「連合軍の日本進駐 分割統治せず」と安心させるような記事。加えて、「秩序維持に全力 本土進駐勝手な判断厳禁」などを示している。
また、「惨禍の広島市の写真」を掲載。
二面に、「あり得ぬ掠奪暴行 徴収もわが政府の手を通じて行ふ 履違へるな“保障占領”」の見出し。そのような記事を掲載したのは、以下のような話が流布されたからである。
「『横浜に6万の米軍が上陸して掠奪暴行をしてゐる』
『相模湾に米軍が入ってきた』
等々・・略・・流説が行はれ、一部人心に不安を興へてゐる・・・」ことを払拭する記事である。
他に、「紙幣抑えて何になる 銀行預金は大丈夫」「女子挺身隊員は 必ず集団帰郷」せよとの記事がある。
また「疎開先で食糧増産 都市は依然窮屈を免れぬ」「転入待った」都から通達など、今後のことについて示し始める。
高見は「新聞は、今まで新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。
敗戦について新聞は責任なしとしているのだろうか。度し難き厚顔無恥。
なお『敗戦』の文字が今日はじめて新聞に現れた。今日までは『戦争終結』であった」と、指摘している。
八月二十日
朝日新聞は「国民生活明朗化に大御心 燈火管制を直ちに中止」を示す。そして、「街を明るくせよ、娯楽機関の復興を急ぎ、また親書などの検閲を即座に停止せよ・・・」を示す。
二面に、衆議院議長島田敏雄談として「新日本へ心の切り換へ」の見出し、「朝夕、詔書を奉読し 再建へ驀直進前 男らしく輝かせ人間味」と続く。そして、「何事にも 戦後の困苦に堪へよう」と。「心の切り換へ」述べながら、結局は「戦後の困苦に堪へよう」、戦中と同じような提言と感じられる。精神論によって、もう国民は動かなくなることに気づかず、またわかっていたにもかかわらず、繰り返している。これが軍の検閲を受けなくなった朝日新聞のスタンスなのであろうか。
「原子爆弾」と、爆風で吹飛ばされた貨車の写真が大きく掲載されている。「爆風で線路外に吹き飛ばされた貨車 広島市」以外に、何のコメントも説明もない。何を意図して、掲載しているのであろうか。以後、悲惨な被爆写真の掲載は無い。アメリカへの忖度なのであろうかと、邪推してしまう。
他に、「臨時列車の増発」、「小為替は三百円まで、郵便局の事務を簡素に」など、庶民にも関連有りそうな記事が掲載されている。昨日に続き松竹映画「伊豆の娘たち」、大映映画「花婿太閤記」の広告。他に、前田新文相は就任にあたり、「科学立国へ 五小委員会を設置」を述べたとの記事もある。
「最近の日本には浅薄が横行していた。
違った現われの浅薄がやがてまた横行し出すだろう。
前者は、西洋になくて日本にあるものを盲目的に讃美礼讃した。後者は西洋にあって日本にないものを盲目的に讃美礼讃するだろう。
科学振興を新聞は云々している。これがすなわち浅薄というものだ。
日本はなにも科学によって敗れたのではない」と、高見は言及している。
八月二十一日
朝日新聞は「施策展開・急速調 まず行政機構を改編」を進めること。「燈管解除さる、信書の検閲停止」などを記している。
二面に、「有難い御仁慈の灯」の見出しに続く「明るくなった帝都 ただ再建に必死のご奉公」と。明るくなったとあるが、灯火官制が中止されことによるもの、それを「有難い御仁慈の灯」として、「再建に必死のご奉公」に結びつけようとする。
それより「娯楽復興」、澁澤東宝会長談の「お座なりを捨てて 生活と結ぶ演劇 新しい芸術の創造へ」との方が、都民に「明るさ」をもたらすであろう。
その他に、「賠償と国民生活」には、「狭い国土に七千万人、腹を据えて苦難を突破」との覚悟の話が、大日本政治会太田正孝氏語るとして掲載されている。
近日封切文化映画「藍と喧騒」と松竹映画「伊豆の娘たち」、大映映画「花婿太閤記」の広告がある。
読売新聞に「軍では山とある貯蔵の物資を民衆に分けようとはしないで、自分達だけで分けているとのことだ。デマだろうといいたいが、この軍隊の『個人主義』は、私も従軍でさんざ見せつけられてきているので、いかにもありそうなことだとしか思えない」と、高見は記している。
八月二十二日
朝日新聞は「連合軍の第一次進駐 軽快部隊は東京湾入港」を伝える。そして、「治安わが方で維持」する。「不安動揺は無用」であると伝える。
二面に、「軍人援護を拡充」の見出し、「戦後も失うふな感謝の念」と。
そして、「けふから演芸再開」と、全国一斉に興業を復興(二十一日通達)。「娯楽放送も始まる」。
内田百聞は、「今八時半也・・略・・電気が消えた」と。
高見は乗車した電車が「東神奈川の辺でとまった。車内は真暗に・・略・・立ち通しではたまらないので、尻を床につけたいのだが、床は雨でびしょ濡れだ。・・略・・夜明かしをした。・・略・・『日本人はおとなしくなったものだね。誰一人癇癪をおこして怒鳴る者がない。――驚いた』・・略・・全く驚くべきおとなしさだった。・・略・・泣き寝入りに十分慣らされているからだろう・・略・・朝方・・略・・横浜駅に駅へ出たが、至るところ雨漏り、至るところまるで難民のような人々の群だった。実に敗戦の姿だった。あたかも捕虜のような海軍の兵隊がうろうろしている地下道に辛うじて濡れないところがあったので、そこで見栄もかまわず尻をおろした。かつては紙屑ひとつない位に掃き清められていた地下道が、共同便所のような汚なさ不潔さだ。そこへ所かまわず、人々がしゃがみ込んでいる。生れてはじめて見る風景だ。日本では歩廊にしゃがみ込む人の姿はあまり見かけなかったものだ。だから南方へ行って南方の人々が道端にしゃがみ込んでいるのを見て、そこに『野蛮』を感じたものだが、今やそれは日本の姿になった。配給物資だけでは栄養不良にならざるをえない。人々は立っているだけの体力を持たないのだ」と観察した。