江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)359
東横映画劇場の興行は空襲後三月十二日にも行なわれた
十二日の朝日新聞は「数千年の底力発揮 敵上陸せば殲滅」とある。この呼びかけは、掛け声だけ、このような掛け声でこれまでの世論を形成させている。
東京大空襲のような惨事の状況下では、興行をするか否かは迷うものである。ロッパは「所管署もやって呉れといふ意向になったから、・・・三時半、ヘンテコな返り初日の幕開く。客が、兎に角一杯なのに驚く」と、東横映画劇場の興行は行なわれた。
高見は「観音さまへ行った。仁王門もない。五重塔もない。燒けた本堂の前には、人がたま っていた。小さい庫のようなのがひとつ燒け残っていて、その前に『本尊御安泰、金龍山浅草寺』 と書いた札が立ててあった。それに向って、人々は手を合わせ、ありあわせの賽銭箱に銭を投げている。 日本人の虔しさに打たれた。左手の、何か気づかなかったが、石造りの記念碑のようなものの石段に、私は疲れた腰をおろした。肉体よりも精神が疲れていた。がっかりしていた。がっかりした風でそこに腰をおろしているのは、私だけではなかった。
愛する浅草。私にとって、あの、不思議な魅力を持っていた浅草。山の手育ちながら、なんとも言えない愛着、愛情の感じられた浅草。その浅草は一朝にして消え失せた。再建の日は來るだろうが、昔日の面影はもうとどめないに違いない。まるで違った浅草ができるだろう。あのゴタゴタした、沸騰しているような浅草、汚くごみごみした、だからそこに面白味があり、わけのわからぬ魅力があったあの浅草はもうない。永久に、ないのだろう。震災でも残った観音さまが、今度は燒けた。今度も大丈夫だろうと避難した人々が、本堂の燒失とともに随分澤山燒け死んだと いう。その死体らしいのが、裏手にごろごろと積み上げてあった。子供のと思える小さな、──小さいながら、すっかり大きくふくれ上った赤むくれの死体を見たときは、胸が苦しくなった」と、思いを綴っている。