江戸時代の椿 その7
★1720年代(享保年間) 『槐記』『用薬須知』『百花椿名寄色附』の椿
・『槐記』
1720年代のツバキとして、『槐記』の茶会に記された茶花を示す。なお、『槐記』は、近衛家煕の侍医山科道安が家煕の言行を集めたもので、享保九年(1724)から二十年まで記されている。
以下は、『茶道古典全集〈第5巻〉』(千宗室)にある『槐記』より、ツバキの使用された茶会の日付とツバキの記載を示す。 妙蓮寺椿cabiさん提供
享保九年(1724)十月十六日 妙蓮寺椿
享保十年十月十八日 椿
享保十年十一月十日 紅椿
享保十年十二月五日 飛入椿
享保十一年二月二十九日 白椿
享保十一年二月十一日 本間彌椿
享保十一年二月二十四日 赤椿
享保十一年三月五日 白玉(椿か)
享保十一年十一月四日 白玉椿
享保十一年十一月七日 白玉椿
享保十一年十一月十一日 白玉椿
享保十二年閏正月二十三日 椿
享保十二年十二月九日 赤椿、白椿
享保十二年十二月十日 赤椿
享保十三年十月二十六日 赤椿
享保十三年十月二十九日 白椿
享保十三年十一月三日 赤椿
享保十三年十一月四日 椿
享保十三年十一月十三日 染分椿
享保十三年十一月十七日 赤椿
享保十三年十一月二十日 赤椿
享保十三年十二月二十一日 白玉椿
享保十四年二月二十六日 赤椿
享保十四年閏九月十三日 白椿
享保十四年閏九月十七日 赤椿
享保十四年十一月十一日 絞り椿
享保十四年十二月十二日 絞り椿
享保十五年一月七日 赤椿
享保十六年十一月二十二日 赤椿
享保十七年十一月二十日 椿
享保十八年十月二十五日 赤椿
享保十八年十月二十六日 紅白椿
享保十八年十一月十七日 椿紅白
享保十九年一月二十日 椿
享保十九年十二月四日 赤椿
享保二十年一月七日 白玉椿
茶花の記載がある茶会は87回(合計166花)。使われた茶花は45種。使用頻度の最も高いのは、椿で36回(次いで梅が18回、菊が12回)である。ツバキ記載の中で、特に品種まで書かれたのは、妙蓮寺椿と本間彌椿くらいである。茶花としてのツバキは、品種より花の色が問われたのだろうか。
・『槐記』
1720年代のツバキとして、『槐記』の茶会に記された茶花を示す。なお、『槐記』は、近衛家煕の侍医山科道安が家煕の言行を集めたもので、享保九年(1724)から二十年まで記されている。
以下は、『茶道古典全集〈第5巻〉』(千宗室)にある『槐記』より、ツバキの使用された茶会の日付とツバキの記載を示す。 妙蓮寺椿cabiさん提供
享保九年(1724)十月十六日 妙蓮寺椿
享保十年十月十八日 椿
享保十年十一月十日 紅椿
享保十年十二月五日 飛入椿
享保十一年二月二十九日 白椿
享保十一年二月十一日 本間彌椿
享保十一年二月二十四日 赤椿
享保十一年三月五日 白玉(椿か)
享保十一年十一月四日 白玉椿
享保十一年十一月七日 白玉椿
享保十一年十一月十一日 白玉椿
享保十二年閏正月二十三日 椿
享保十二年十二月九日 赤椿、白椿
享保十二年十二月十日 赤椿
享保十三年十月二十六日 赤椿
享保十三年十月二十九日 白椿
享保十三年十一月三日 赤椿
享保十三年十一月四日 椿
享保十三年十一月十三日 染分椿
享保十三年十一月十七日 赤椿
享保十三年十一月二十日 赤椿
享保十三年十二月二十一日 白玉椿
享保十四年二月二十六日 赤椿
享保十四年閏九月十三日 白椿
享保十四年閏九月十七日 赤椿
享保十四年十一月十一日 絞り椿
享保十四年十二月十二日 絞り椿
享保十五年一月七日 赤椿
享保十六年十一月二十二日 赤椿
享保十七年十一月二十日 椿
享保十八年十月二十五日 赤椿
享保十八年十月二十六日 紅白椿
享保十八年十一月十七日 椿紅白
享保十九年一月二十日 椿
享保十九年十二月四日 赤椿
享保二十年一月七日 白玉椿
茶花の記載がある茶会は87回(合計166花)。使われた茶花は45種。使用頻度の最も高いのは、椿で36回(次いで梅が18回、菊が12回)である。ツバキ記載の中で、特に品種まで書かれたのは、妙蓮寺椿と本間彌椿くらいである。茶花としてのツバキは、品種より花の色が問われたのだろうか。
・『用薬須知』
八代将軍吉宗が薬草の栽培を奨励されるなか、稲生和水の門下である松岡怒庵は、享保十一年(1726)に本草書『用薬須知』を作成した。その中に「椿根皮」が記されている。なお、「椿俗名 香椿ト呼フ・・・」とあるように、ツバキではない。また、その後宝暦九年(1759)版の『用薬須知後編』には、「臭椿根皮」という記述があり、これは「越前椿井ニ多シ・・・」とあるが、詳細はわからない。
八代将軍吉宗が薬草の栽培を奨励されるなか、稲生和水の門下である松岡怒庵は、享保十一年(1726)に本草書『用薬須知』を作成した。その中に「椿根皮」が記されている。なお、「椿俗名 香椿ト呼フ・・・」とあるように、ツバキではない。また、その後宝暦九年(1759)版の『用薬須知後編』には、「臭椿根皮」という記述があり、これは「越前椿井ニ多シ・・・」とあるが、詳細はわからない。
・『百花椿名寄色附』
『百花椿名寄色附』には、題名通り100種のツバキが掲載されている。刊された年は不詳であるが、『百花椿名寄色附』は伊藤伊兵衛の『地錦抄』より前に出されたと推測されていること(『日本博物学史覚え書』(磯野直秀)を参考)から、1720年代に入れる。 数寄屋cabiさん提供
なお、『百花椿名寄色附』の実物はもちろん、写本等も見ていないので、『百花椿名寄色附』のツバキ名が一部(66)記された「日本ツバキ協会 会誌 第22号」の『本草本草花蒔絵巻の十五 百花椿色付』(横山三郎)より転載する。(*が百花椿名寄色附)「*太郎冠者・御所車・三室山*横川*白菊・基石・花車・唐獅子*南蛮星・白獅子・礒枕*星牡丹・稲葉*淡路島・珍花*無双・水車・深山木・渡守・淡雪・東明・六角白・白巴・金杉三階・鹿村*鶏子*菊左良佐*音羽山*豊後絞*鳴渡*行幸*乱拍子*錦絞*鴇白・松風・菊蠋紅*雲井・一筋*柊椿*志也武呂・発煩*濃紅*阿蘭陀白*八代(八代紅とある)*美奈茂登*白蓮花・松島・通千鳥*高倉*阿蘭陀紅・荒獅子*唐糸*蠋紅*緋蓮花*侘助*翁左良佐・峰嵐*春日野・紅葉*加平*細波*限*澳波*紅鹿子*乱鹿子*珠簾*頳縮緬*本間絞(本間更紗とある)*卜伴*薄紅葉*玉川*杜鵑*紋錦*星車・金水引*白鷳*韋駄天*口紅*唐子・紅鶏子*白珍花・白雁・平吉*八重源氏*鹿子島・四階波・唐椿*朝鮮*角田川*富士の雪*大縮緬・雷雲*数奇屋*邂逅*錦鶏*染小袖*玉手箱*十輸*有川*小町」となる。
『百花椿名寄色附』には、題名通り100種のツバキが掲載されている。刊された年は不詳であるが、『百花椿名寄色附』は伊藤伊兵衛の『地錦抄』より前に出されたと推測されていること(『日本博物学史覚え書』(磯野直秀)を参考)から、1720年代に入れる。 数寄屋cabiさん提供
なお、『百花椿名寄色附』の実物はもちろん、写本等も見ていないので、『百花椿名寄色附』のツバキ名が一部(66)記された「日本ツバキ協会 会誌 第22号」の『本草本草花蒔絵巻の十五 百花椿色付』(横山三郎)より転載する。(*が百花椿名寄色附)「*太郎冠者・御所車・三室山*横川*白菊・基石・花車・唐獅子*南蛮星・白獅子・礒枕*星牡丹・稲葉*淡路島・珍花*無双・水車・深山木・渡守・淡雪・東明・六角白・白巴・金杉三階・鹿村*鶏子*菊左良佐*音羽山*豊後絞*鳴渡*行幸*乱拍子*錦絞*鴇白・松風・菊蠋紅*雲井・一筋*柊椿*志也武呂・発煩*濃紅*阿蘭陀白*八代(八代紅とある)*美奈茂登*白蓮花・松島・通千鳥*高倉*阿蘭陀紅・荒獅子*唐糸*蠋紅*緋蓮花*侘助*翁左良佐・峰嵐*春日野・紅葉*加平*細波*限*澳波*紅鹿子*乱鹿子*珠簾*頳縮緬*本間絞(本間更紗とある)*卜伴*薄紅葉*玉川*杜鵑*紋錦*星車・金水引*白鷳*韋駄天*口紅*唐子・紅鶏子*白珍花・白雁・平吉*八重源氏*鹿子島・四階波・唐椿*朝鮮*角田川*富士の雪*大縮緬・雷雲*数奇屋*邂逅*錦鶏*染小袖*玉手箱*十輸*有川*小町」となる。