十八世紀後半の茶花その3

茶花    27 茶花の種類その24
 
十八世紀後半の茶花その3
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  十八世紀後半の茶会記は、『茶会記の研究』によれば33程あるが、まとまったものとして見ることができたのは、「川上不白利休二百回忌茶会記」「酒井宗雅茶会記」程度である。この茶会記に記された茶花の記載された茶会記は、254会と十八世紀後半以前に比べかなり少ない。それでも、十八世紀後半の茶花を探る資料としては、十分参考になると判断した。
  十八世紀後半の二つの茶会記から記された茶花は、83種である。十八世紀前半に比べて、茶花のわかる茶会数は半数以下であるが、茶花の種類数は30種も増えている。最も多く使用された茶花はウメとキクで10%、ついでスイセンが8%、ツバキが7%の順になっている。上位4種を占める植物の種類は、十八世紀前半以前と変わらないが、これまで1位であったツバキは「川上不白利休二百回忌茶会記」「酒井宗雅茶会記」ともに使用回数が減っている。
  ウメ・キク・スイセン・ツバキの上位4種は、十八世紀前半までの使用頻度は過半数を占めていたが、後半に入ると34%と半数を割っている。これら茶花は、冬季の花であることから、冬(旧暦なので十一月から翌年1月まで)の茶会数が少なかったのではないかと思って調べたところ、その推測は当たっていた。十七世紀までの茶会では、冬季には年間の4割ほどあったが、十八世紀後半では2割5分に減っている。ツバキについては、花のシーズンである二月の使用が少ない。これのことから、茶会が年間を通して均等に催されるようになったこと、また茶花の種類が増えたことなどがわかる。
イメージ 2 次いで、5位以下の茶花についても調べたところ、アジサイ、ハギ、フジ、ヤナギ、ボタン、ウツギ、シャガなどの順になっている。これらの順位も以前とは異なり、10位までで共通するのは5種、20位まで見ても、10種と半分しかない。さらに全体では、十八世紀前半の茶花は、十八世紀後半には36種(51%)しか含まれていない。十八世紀前半と十八世紀後半の茶花の違いは、使用頻度だけでなく、種類も半数以上が異なっている。
  また、十七世紀後半の茶花と比べると、10位までで共通するのは5種、20位まで見ると12種である。全体では、38種(60%)と十八世紀前半よりは多少多いものの、上位4種の使用頻度が異なる上、種類も異なると言えそうだ。
  十八世紀後半に登場した新しい茶花を示すと、以下の30種になる。なお、オオヤマレンゲなど複数の茶会記に登場した茶花は、先に記載された方を記している。
 ケマンソウ・・・・1782年天明二年三月十七日「けまん草」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 サンショウバラ・・1782年天明二年四月十二日「さんせうはう」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 オオヤマレンゲ・・1782年天明二年四月十二日「大山蓮」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 サクライバラ・・・1782年天明二年四月廿日「桜はう」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 センダン・・・・・1782年天明二年四月廿八日「せんたん」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 ハンカイソウ・・・1782年天明二年五月十一日「はんくわい草」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 カッコソウ・・・・1782年天明二年五月廿六日「郭公草」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 ビヨウヤナギ・・・1782年天明二年五月廿六日「美楊柳」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 ミソハギ・・・・・1782年天明二年六月十日「ミそ萩」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 ハンゲショウ・・・1782年天明二年六月十七日「はんけ」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 クサフジ・・・・・1782年天明二年六月廿八日「草ふじ」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 ヒメフジ・・・・・1782年天明二年六月廿九日「ひめふじ」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 ジュズダマ・・・・1782年天明二年七月朔日「びやくじゆつ」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 タデ・・・・・・・1782年天明二年八月八日「たで」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 シュウメイギク・・1782年天明二年九月五日「しやうめいきく」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 ビワ・・・・・・・1782年天明二年十一月九日「ひわ」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 サンショウ・・・・1783年天明三年正月廿四日「さんせう」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 セッコク・・・・・1783年天明三年三月廿二日「長生草」『川上不白利休二百回忌茶会記』
 マンサク・・・・・1783年天明三年二月二日「まんさく」『川上不白利休二百回忌茶会記』
  ハクチョウゲ・・・1787年天明七年四月十八日「白丁花」『酒井宗雅茶会記』
  ダイコン・・・・・1787年天明七年二月十四日「大根」『酒井宗雅茶会記』
  アワモリショウマ・1787年天明七年四月九日「あはもり」『酒井宗雅茶会記』
 クワイ・・・・・・1787年天明七年五月廿八日「ゑんび菜」『酒井宗雅茶会記』
  ソバ・・・・・・・1787年天明七年八月十七日「蕎麦」『酒井宗雅茶会記』
  キカシグサ・・・・1787年天明七年八月廿三日「木歌し」『酒井宗雅茶会記』
  サンショウ・・・・1787年天明七年十二廿六日「三しゆゆ」『酒井宗雅茶会記』
  カシワ・・・・・・1788年天明正月十日「青かしは」『酒井宗雅茶会記』
  マンサク・・・・・1788年天明八年正月十五日「まんさく」『酒井宗雅茶会記』
  アンズ・・・・・・1788年天明八年三月七日「杏花」『酒井宗雅茶会記』
  ソラマメ・・・・・1788年天明八年三月廿六日「そらまめの花」『酒井宗雅茶会記』
  これらの新しい茶花は、83種中30種(36%)を占め、いかに新しい種類が多用されたかがわかる。では、このような茶花の使用形態の背景として、華道の影響はあるだろうか、十八世紀前半の華道書『華道全書』(1717)『立華道知邊大成』(1720)の花材と対照させると、十八世紀後半の茶花は58%含まれている。十八世紀後半の茶花は、十八世紀前半の華道書の花材を参考にしているとは言い難い。そこで、華道書の影響については、このあと十八世紀後半の華道書を見ながら、さらに検討する必要がある。
  以上、十八世紀後半の茶花を見て、これまでに登場した茶花の種類は149種となった。新しく使用された茶花は、30種と十八世紀前半の倍以上に増加した。それでも、最も使用される種類は、ウメ・キク・スイセン・ツバキと、基本となる茶花は変わらない。新たな茶花の種類は増えたが、その茶花が流行するか、使用頻度が増加したということは見られない。ただ、変わった植物を使おうとする気運が高まったことは確かだろう、そのため、実際にはもっと多くの植物が使用されたと考えてよいだろう。