続華道古書集成の植物 第二巻その3
『立花圖繪』
『立花圖繪』は写本図集で、作者不詳、作成年も元禄末期とされる程度で不明。図に描かれた植物は縮小され、判読困難。したがって、検討を省くことにする。
『立花圖繪』
『立花圖繪』は写本図集で、作者不詳、作成年も元禄末期とされる程度で不明。図に描かれた植物は縮小され、判読困難。したがって、検討を省くことにする。
『諸花抛入百瓶圖』
『諸花抛入百瓶圖』は、解題によれば「成立は・・・元禄九年で下野国の友貞(井上?)が先師の言葉を書き留めたもの」とされている。図に記される植物種は少なく、判読しにくいので省くことにする。
『諸花抛入百瓶圖』は、解題によれば「成立は・・・元禄九年で下野国の友貞(井上?)が先師の言葉を書き留めたもの」とされている。図に記される植物種は少なく、判読しにくいので省くことにする。
『瓶花全書』
『瓶花全書』は、解題によれば「中国に於ける瓶花の書の集成で、その版の出来たのは安永四年(一七七五)」とある。そのため、記されている花材は中国の植物となる。その花材には、日本人が理解できるように仮名が振られている。漢字で記された植物名を理解するには適していると思われるが、日本の植物との対応が正しいかは疑問であろう。したがって、以下に示す疑問もあり、この書は参考資料とする。
花材は、200以上あり120ほどを現代名にした。現代名にできたのは6割程度とかなり少ないが、それてもかなり怪しい名がある。まず、花材は中国の植物であることから、日本に生育しない植物もあるため、仮名が正確に振られているか疑う必要がある。また、文字が縮小され、活字が潰れて判読しにくい文字が少なからずあり判読に迷った。加えて、私の見識不足からの理解できない植物がかなりある。そこで、疑問のある花材を以下のように示す。お判りの方がいらっしゃいましたら、ご教示よろしくお願いしたい。
「○茶=アケノオホツバキ」、○は「氵」に「真」。植物名は不明。
「山○=サンヽハ」、○は判読不明(以後の○印も判読不明)。植物名はトベラか?。
「玫瑰=ハマナス」。漢字であれば、マイカイでは?。
「玉簪=ギボウシ」。漢字であれば、タマノカンザシでは?。
「淡笹葉=ササクサ=トウササ」。「淡笹」はハチクでは?。
「寳相花=シンナンシイバラ」。不明。
「蘭花=シユンラン=エンビラン」。シュンランとする。
「七娣味=ヤマウツキ=ハコ子ウツギ」。ハコネウツギは「七姉妹」と書く。
「棟樹花=モクレンジバナ」。モクゲンジか?。
「番萱=ナンバンカンソウ」。不明。
「火石橊=テウセンザクロ」。不明。
「孩兒菊=シロ子菊」。『生花枝折抄』に「チヤラン」と振られており、「チャラン」とした。しかし、『本草綱目別名録』(明李時珍)に「蘭草(香水蘭 蘭澤草 煎澤草 都梁草 女蘭 千金草 水香 燕尾香 大 澤蘭 省頭草 孩兒菊 香草)」とある。「蘭草」であれば、フジバカマとなる。
「一丈紅=アケノアフヒ」。タチアオイか?。
「山丹=ヒメユリ」。「山丹百合」はヤマユリと思われるが、ヒメユリか?。なお、「山丹花」はサンタンカである。
「山○=フシヽハ」。○は潰れ判読できず。
「水木○=ハマモッコク」。丸は「木」偏に「犀」か?。シャリンバイか?。
「長鶏頭=ナガケイトウ」。不明。
「矮鶏冠=チヤボケイトウ」。不明
「寳頭鶏冠=タ一、ケイトウ」。不明。
「白寳珠=シンナンシロツバキ」。不明。
「獨頭萠=シロネ」。不明。
「天茄=テウジヤス」。不明。
「雪毬=ササテマリ」。不明。
「粉圃=イロ?コデマリ」。不明。
「金沙羅=ササンクワバラ」。不明。
「黄○薇=キイバラ」。不明。
「野薔薇花=ナニハイバラ」。ナニワイバラか?。
「繅○花=○○ンダイバラ」。不明。
「練樹花=モクレンジバナ」。モクゲンジか?
「番山百合=ツニユリ」。不明。
「○鸞菊=カブトギク」。 トリカブトか?
以上、仮名が振られている花材について示したものだが、錯誤と思われるものがある。たとえば、「棟樹花」と「練樹花」との表記があり、これらは同じ植物で「モクレンジバナ」と思われる。また、「茶花」と「茗花」は異なる植物と思われるが、両方に「チヤノハナ」と振り仮名がある。さらに、「夜合」の振り仮名は、「ユリ」や「ネム」と振るなど混乱しているように思える。原文が誤っているのか、版を作成する際に起きたかはわからず、全てをそのまま信じることは危険である。
『瓶花全書』は、解題によれば「中国に於ける瓶花の書の集成で、その版の出来たのは安永四年(一七七五)」とある。そのため、記されている花材は中国の植物となる。その花材には、日本人が理解できるように仮名が振られている。漢字で記された植物名を理解するには適していると思われるが、日本の植物との対応が正しいかは疑問であろう。したがって、以下に示す疑問もあり、この書は参考資料とする。
花材は、200以上あり120ほどを現代名にした。現代名にできたのは6割程度とかなり少ないが、それてもかなり怪しい名がある。まず、花材は中国の植物であることから、日本に生育しない植物もあるため、仮名が正確に振られているか疑う必要がある。また、文字が縮小され、活字が潰れて判読しにくい文字が少なからずあり判読に迷った。加えて、私の見識不足からの理解できない植物がかなりある。そこで、疑問のある花材を以下のように示す。お判りの方がいらっしゃいましたら、ご教示よろしくお願いしたい。
「○茶=アケノオホツバキ」、○は「氵」に「真」。植物名は不明。
「山○=サンヽハ」、○は判読不明(以後の○印も判読不明)。植物名はトベラか?。
「玫瑰=ハマナス」。漢字であれば、マイカイでは?。
「玉簪=ギボウシ」。漢字であれば、タマノカンザシでは?。
「淡笹葉=ササクサ=トウササ」。「淡笹」はハチクでは?。
「寳相花=シンナンシイバラ」。不明。
「蘭花=シユンラン=エンビラン」。シュンランとする。
「七娣味=ヤマウツキ=ハコ子ウツギ」。ハコネウツギは「七姉妹」と書く。
「棟樹花=モクレンジバナ」。モクゲンジか?。
「番萱=ナンバンカンソウ」。不明。
「火石橊=テウセンザクロ」。不明。
「孩兒菊=シロ子菊」。『生花枝折抄』に「チヤラン」と振られており、「チャラン」とした。しかし、『本草綱目別名録』(明李時珍)に「蘭草(香水蘭 蘭澤草 煎澤草 都梁草 女蘭 千金草 水香 燕尾香 大 澤蘭 省頭草 孩兒菊 香草)」とある。「蘭草」であれば、フジバカマとなる。
「一丈紅=アケノアフヒ」。タチアオイか?。
「山丹=ヒメユリ」。「山丹百合」はヤマユリと思われるが、ヒメユリか?。なお、「山丹花」はサンタンカである。
「山○=フシヽハ」。○は潰れ判読できず。
「水木○=ハマモッコク」。丸は「木」偏に「犀」か?。シャリンバイか?。
「長鶏頭=ナガケイトウ」。不明。
「矮鶏冠=チヤボケイトウ」。不明
「寳頭鶏冠=タ一、ケイトウ」。不明。
「白寳珠=シンナンシロツバキ」。不明。
「獨頭萠=シロネ」。不明。
「天茄=テウジヤス」。不明。
「雪毬=ササテマリ」。不明。
「粉圃=イロ?コデマリ」。不明。
「金沙羅=ササンクワバラ」。不明。
「黄○薇=キイバラ」。不明。
「野薔薇花=ナニハイバラ」。ナニワイバラか?。
「繅○花=○○ンダイバラ」。不明。
「練樹花=モクレンジバナ」。モクゲンジか?
「番山百合=ツニユリ」。不明。
「○鸞菊=カブトギク」。 トリカブトか?
以上、仮名が振られている花材について示したものだが、錯誤と思われるものがある。たとえば、「棟樹花」と「練樹花」との表記があり、これらは同じ植物で「モクレンジバナ」と思われる。また、「茶花」と「茗花」は異なる植物と思われるが、両方に「チヤノハナ」と振り仮名がある。さらに、「夜合」の振り仮名は、「ユリ」や「ネム」と振るなど混乱しているように思える。原文が誤っているのか、版を作成する際に起きたかはわからず、全てをそのまま信じることは危険である。
『生花極秘』
『生花極秘』は、中村九兵衛によつて天明八年刊行されたものである。花材は、図に描かれているが少なく、検討を省くことにする。
『生花極秘』は、中村九兵衛によつて天明八年刊行されたものである。花材は、図に描かれているが少なく、検討を省くことにする。
『小傳書首言』
『小傳書首言』は、解題によれば「一世得実斎自筆のものの様に思われる。ただそれを証明するものはないし、書写した年月も不明」とある。花材はほとんど記されず、検討を省くことにする。
『小傳書首言』は、解題によれば「一世得実斎自筆のものの様に思われる。ただそれを証明するものはないし、書写した年月も不明」とある。花材はほとんど記されず、検討を省くことにする。
『立華錦木』
『立華錦木』は、隠西芳寺僧辨誌により記されたもので、解題によれば寛政八年(一七九六)に「江雲亭亀翅の跋文により・・・江戸末期の出版」とある。花材はほとんど記されず、検討を省くことにする。
『立華錦木』は、隠西芳寺僧辨誌により記されたもので、解題によれば寛政八年(一七九六)に「江雲亭亀翅の跋文により・・・江戸末期の出版」とある。花材はほとんど記されず、検討を省くことにする。
『生花前巻口傳書』
『生花前巻口傳書』は、解題によれば「著者は春古洞齋玉窓であるが筆者は不明・・・寛政十年の版本(東京大学付属図書館蔵)があり、その成立年が知られる」とある。記された花材は、51種程度で特に変わった植物はない。
『生花前巻口傳書』は、解題によれば「著者は春古洞齋玉窓であるが筆者は不明・・・寛政十年の版本(東京大学付属図書館蔵)があり、その成立年が知られる」とある。記された花材は、51種程度で特に変わった植物はない。
『生花松のしつく』
『生花松のしつく』は、松盛齋法橋理恩により嘉永六年に刊行された。花材は、生花図に名が記されている。花材は25程しか記されず、検討を省くことにする。
『生花松のしつく』は、松盛齋法橋理恩により嘉永六年に刊行された。花材は、生花図に名が記されている。花材は25程しか記されず、検討を省くことにする。
『挿花百瓶圖』
『挿花百瓶圖』は、解題によれば「竹園斉九甫によって文化九年刊行とれた」とある。54の生花図に花材が記されているが、花材数は少なく検討を省くことにする。
『挿花百瓶圖』は、解題によれば「竹園斉九甫によって文化九年刊行とれた」とある。54の生花図に花材が記されているが、花材数は少なく検討を省くことにする。