『花の巻』(『茶之湯三傳集』)の出典を探る

続華道古書集成第二巻の植物 その2
『花の巻』(『茶之湯三傳集』)の出典を探る
・『花壇綱目』『花譜』『花壇地錦抄』
  『茶之湯三傳集』が『古今茶道全書』を参考にした可能性は高いものの、その他にも参考にした資料がありそうだ。そこで、当時の園芸書を見ることにした。まず、1664年(寛文四年)に水野元勝よって著され、1681年(天和元年)に刊行された『花壇綱目』がある。『花壇綱目』は、日本最初の園芸書とされ、約190種の植物についてその形状や栽培法などが記されている。また、「花壇」とあるように草花中心にしているため、ツバキやリンゴなどの花材となる植物は含まれていない。
  そのため、花材を含む割合は多少低くなると推測した。調べてみると、『茶之湯三傳集』の花材が『花壇綱目』に含まれている割合は56%であった。この割合は、多少低くなることを考慮しても決して高くない。『茶之湯三傳集』の著者は、『花壇綱目』を見ていたかもしれないが、参考にした可能性は低いだろう。
 また当時の園芸書として、貝原益軒よって著され、序が1694年(元禄七年)、1698年(元禄十一年)にに刊行された『花譜』がある。『花譜』には200程の植物名が記されいる。『茶之湯三傳集』の花材が『花譜』に含まれている割合は60%であった。『花壇綱目』より多いものの、参考にしているとは言い難い。
  さらに園芸書を探すと、1695年(元禄八年)に伊藤伊兵衛三之丞によって刊行された『花壇地錦抄』がある。『花壇地錦抄』には400種程の植物について形状や栽培法などが記されている。『茶之湯三傳集』の花材が『花壇地錦抄』に含まれている割合は81%であった。『花壇綱目』『花譜』よりかなり高くなる。その理由は、『花壇地錦抄』に記された植物数が多くなったためであろう。
 『茶之湯三傳集』が『花壇地錦抄』を参考にしているか否かを確認するため、同書に記されている菊の品種について調べることにした。また、『花壇綱目』にも菊の品種が記されていることから、合わせて検討する。

・『花の巻』(『茶之湯三傳集』)の菊
  『花の巻』が示す花材を現代名にしたが、菊の詳細な品名は花材数に入れていない。キクは、花材として数多く記されているものの、「春菊」や「夏菊」「寒菊」など現代名を同定することが困難で無視してきた。たとえば「春菊」は春に咲くキクを指しており、『牧野新日本植物図鑑』に記されるシュンギクではない。また、これまでの花道書に記される園芸品種は数品しかなく、総称名である「キク」に分類していた。しかし、『花の巻』には園芸品種として、47品も記されいる。これだけの品名が記されていることから、何らかの検討が必要があろうと判断した。
  『花の巻』のキクは、「夏菊」として「すいやうひ  陽香金山(やうかう)  きぎょく  野郎(やらう)  小紫  白一文字  薄色  一文字  大紫  朔日  大黄  銀臺  ひかうがひ  てりこ  もも色  九重  七重  金目貫  銀目貫  金臺  南禅寺  きより」と22品あげられている。「秋菊」として、「猩々  六代  ぬれ鷺  ほととぎす  大黄  大咲分  小咲分  實盛(さねもり)  ミだれ  大自[白カ]  このミ紫  紅きく  小勺持  なめし  小白天目  ひからがい  大より  天竜寺  かもふ  しうきく  わつは」と25品あげられている。同じ名前と思われる品名があるが、実体がわからないため品数に加えている。
  これらのキクの種類は、何を参考にして記したのであろうか。さらにはこれらのキクを実際に花材として生けたのであろうか。原書となった『茶之湯三傳集』と比べると、ほぼ同じであるがそのまま写したものではない。そこで、『花の巻』(『茶之湯三傳集』)の花材について、その出典となりそうな資料を調べることにした。
  まず、1664年(寛文四年)に著され1681年(天和元年)に刊行された『花壇綱目』のキクの品名が参考になりそうだ。『花壇綱目』には79品のキクの名前がある。『花の巻』(『茶之湯三傳集』)の47品と一致するのは、小紫・大紫・きより・金目貫・銀目貫・實盛・猩々・すいやうひ・大黄・天龍寺南禅寺・ぬれ鷺・楊貴妃の13品である。『茶之湯三傳集』は、『花壇綱目』と同じと思われるキクの品割合は3割以下であり、『花壇綱目』を参考にしたとは言い難い。同時代のキクの品種を示したものであるから、もう少し共通性があってもよいのではと感じた。
  さらに、ほぼ同じ時代と考えられる1695年(元禄八年)、伊藤伊兵衛三之丞によって出された『花壇地錦抄』のキクの記述を検討する。『花壇地錦抄』には、「夏菊のるい」として20品、「菊のるい  末より冬初」として230品、合計250品が記されている。約5倍以上の品名があることから、この中には『花の巻』と共通する品名がかなりある期待した。しかし、同じと判断できた品は11、と2割少々で、参考にしていない。その理由として、『茶之湯三傳集』は関西、『花壇地錦抄』は関東と地域が異なるため使用するキクも異なると考えた。そこで同じ大坂で刊行された『花壇綱目』と『花壇地錦抄』を比べてみた。すると、『花壇綱目』には、『花壇地錦抄』と同じであると思われる品名が32品、『茶之湯三傳集』の三倍近くある。『花壇綱目』のキクの総品名は、『茶之湯三傳集』の2倍ぼどあるから共通する品名も増えることは当然であろう。しかし、総数の割合以上に『花壇綱目』の共通品名が多いことから、江戸と大坂という地域の違いとは別の要因がありそうだ。イメージ 1
  これらの書にあるキクの関係を示すと、図のようになる。十七世紀末頃には、三百品を超えるキクの園芸品種があり、その中の一部が『花壇地錦抄』や『花壇綱目』『茶之湯三傳集』に記されたのではなかろうか。

・菊に関する資料を探る
  次に、菊の品種を描いた書として、わが国最初の菊の図譜『菊譜』がある。百種類の菊の絵に名称と七言絶句の詩による説明が添え書きがある。この図譜は序と跋によれば、1519年(永正十六年)に描かれ1691年(元禄四年)に刊行された。したがって、『茶之湯三傳集』が参考にすることは可能であり、『花の巻』に同じな品名があっても不思議ではない。図に記された菊の名称は、以下の通りである。
  黄大般若・酔楊妃・蕋繅(スイコリ)・等持寺・南禅寺・谷南子・金玉・大黄・白大般若・黄酔楊妃・玉牡丹・顏・海棠・明方・黄栢・絲棯・熊谷・櫻菊・白檀・唐朽葉・僧正・北絹・輪氵厺・朽葉實盛・信濃紅・紫檀菊・黄棯・難波菊・伊勢菊・朝日・白熊・御所紅・躑躅・明星・菊鴨・女郎花・中紫・薄紅・曙・播磨中将・紅御所・黄猩々・慈童・破軍・天龍寺・金盞銀臺・眞紅・清見寺・濱萩・鶯・黄明菊・薄朽葉・大猩々・鶯宿・○(ソ子三)・小田原・播磨宰相・小茜・小櫻・大白・六代・金菊・薄雲・宇治河・亂猩々・金目貫・西施紅・半格・小梅菊・小姫・伊勢櫻・照紅・小棯・小濡鷺・紅菊・猿子・紅粉菊・大濡鷺・石公・鴨・猿増子・一花三・大上瀧・小上瀧・大梅菊・小照紅・小紫・金鈴・夕暮・小猩猩・村時雨・黄縮・黄實盛・日暮・時鳥・鴛鴦・九柱・加賀紅菊・小督・織紅
 『花の巻』と同じ品と思われるものに、酔楊妃・南禅寺・大黄・天龍寺・六代・金目貫・紅菊・小紫・時鳥と9品ある。類似した品として、朽葉實盛や黄猩々・大濡鷺などがある。『花の巻』は『菊譜』を参考にした可能性はあるものの、全体の2割程度ある。他に『茶之湯三傳集』が参考にした書がないか検討する必要がある。
イメージ 2  そこで、十七世紀以前のキクに関する園芸書を調べると、「菊に關する古書に就いて」(白井光太郎)に示されている。それによると、『菊譜百詠圖』『菊の道しるべ千代見草』『菊花詩絶』『菊花百詠』がある。『菊譜百詠図』は、1458年明の徳善斎が著作したものを1685年(貞享二年)三々徑恭齋が翻刻、百品を図示する。『菊の道しるべ千代見草』は、「元禄己卯(十二年)誠洞と云ふ人の漢文の跋あり・・・花八十一品」とある。『菊花詩絶』は、唐の楊南峯が著作したものを伊勢屋清兵衛が1689年(元禄二年)に刊行したものである。『菊花百詠』は、「支那張愛梅先生の菊花百詠といふ書」を1694年(元禄七年)に和刻したものである。
  『菊譜百詠図』には百の名が刻まれているが、『花の巻』のキクと一致する名はない。『菊花詩絶』には119の名が記され、「菊花詩絶上  六」に「酔楊妃」の名はあるだけで、他に類似した名はない。『菊花百詠』には95の名が記され、7番目に「酔楊妃菊」の名があるだけで、他に類似した名はない。『花の巻』に記されている「すいやうひ」は、『菊花詩絶』や『菊花百詠』の「酔楊妃」「酔楊妃菊」と同じ種である可能性が高いと思われる。
 『花の巻』のキクの名前が日本でつけられたものなら、中国の書に出てくるということは考えにくい。中国から園芸品種が渡来していれば、同名の菊名があっても不思議ではない。「酔楊妃」はそのような中国産のキクの一品であろう。ただ、気になるのは似たような菊名はあるものの、同じだろうと言えるのは「酔楊妃」だけある。そのため、『花の巻』は前述の中国の書を直接参考にしているとは言い難い。
  なお、これらの他にも、国立国会図書館デジタルコレクションによれば、『菊譜』 著者(宋)劉蒙 撰(出版年月日 明刊)には、『劉蒙菊譜』『范成菊譜』『正志菊譜』が記されている。
  『劉蒙菊譜』には「花総数三十有五品」と35品記されている。その中に『花の巻』と同じ品名はない。ただ、似た名称として「楊妃」という品名がある。この「楊妃」が『花の巻』の「楊貴妃」と同じであるか否かは定かではない。次の『范成菊譜』には、菊品として34品の名がある。『正志菊譜』には、菊品として28品の名がある。以上の『菊譜』の品名と『花の巻』の品名とは繋がりがあるようには見えない。
  さらに、清代(1644年~)の画譜『芥子園画伝』二集の『菊譜』にキクを描いた20の図がある。二集の蘭竹菊梅画譜は、1701年刊ということから『茶之湯三傳集』刊行の後である。そのため、この書を参考にすることはあり得ない。ただ、20番目の「衰容増豔」の図と図譜『菊譜』の「酔楊妃」の花形が似ているのが気になる。そこで、手がかりを求めて「酔楊妃」について調べると、「博物誌資料としての『お湯殿の上の日記』」(磯野直秀)に「*酔楊妃  永禄2(1559)・10・4:初出は『温故知新書』(1484)」とある。「酔楊妃」はかなり昔に渡来していたと思われる。また、『言継卿記』(1571年永禄9年)に「すいやうひ」の名のあることも記されている。『温故知新書』を見ると、確かに「酔楊妃」は記されているが、他に菊の品名を探すことができなかった。
 ここで、『花の巻』のキクの品名から探求は、手詰まりとなってしまった。となると、『茶之湯三傳集』の花材は『古今茶道全書』を参考にした上で、菊は何を参考にしたのか。もしかすると、両方を記した資料がある可能性も否定できない。