『花道古書集成』第二巻の花材
『花道古書集成』第一巻に続く、第二巻の花材名の現代名を示す。えようと試みた。なお、現代名の判別は第一巻と同様に行い、初見等の検証も同様の資料にて行なった。
『花道古書集成』第一巻に続く、第二巻の花材名の現代名を示す。えようと試みた。なお、現代名の判別は第一巻と同様に行い、初見等の検証も同様の資料にて行なった。
『立花秘傳抄』
『華道古書集成』第二巻の目次には、最初の書として『立華時勢粧』が記されている。しかし、最初の書名は、『立花秘傳抄』となっている。続いての書に『立華時勢粧』がある。これらの書は、貞享五年(1688)に桑原冨春軒仙渓が刊行したもので、『立花秘傳抄』に花材の種類と立花技法が五冊に、『立華時勢粧』に作品図が三冊に収められている。なお、『立華時勢粧』に記された図からは、花材を判読することが困難なため、現代名の記述は除く。
『立花秘傳抄』には、180種ほどの花材が記されており、157種を現代名に対照させた。数多くの花材が記されていることから、これまで混乱していた名前を確定しやすくなった。また、『立花秘傳抄』には、花材の振り仮名や別名(異名・和名)が数多く記されており、現代名を確定する際に参考になった。
たとえば、ユキヤナギとシジミバナ、『立花秘傳抄』には「米花」「小米花」が記載されている。「米花」はユキヤナギだと思われるが、ユキヤナギには、別の華道古書には「石莧」という表記がある。また『樹木大図説』の解説には、「小米花」をユキヤナギとする記述もある。もしかすると、ユキヤナギは「石莧」「米花」「小米花」と書かれていた可能性がある。しかし、『立花秘傳抄』には「米花」と「小米花」の名を分けていることで、これらは異なる植物を指していると判断できる。そのことから、「米花」をユキヤナギ、「小米花」をシジミバナと推測でき、現代名を解明することが徐々に容易になった。
『立花秘傳抄』に示された花材は、種類が多いことから十七世紀後半の茶会記に登場した茶花の70%をカバーしている。十七世紀後半に登場した茶花で、『立花秘傳抄』に記されていない植物は、アサガオ、アブラナ、ウツギ、カザグルマ、テッセン、ナツツバキ、ハシバミ、ハンノキ、ヒイラギ、ヒルガオ、フクジュソウ、ボケ、マメ、ミズアオイ、ミツマタ、ムクゲ、モミ、ロウバイである。茶花の使用頻度上位20位までと比べると、『立花秘傳抄』の花材は10位のアサガオと13位のウツギと16位のフクジュソウ以外をカバーしている。『立花秘傳抄』も十七世紀後半に使用された茶花の使用動向を比較的反映していると言えるだろう。
『華道古書集成』第二巻の目次には、最初の書として『立華時勢粧』が記されている。しかし、最初の書名は、『立花秘傳抄』となっている。続いての書に『立華時勢粧』がある。これらの書は、貞享五年(1688)に桑原冨春軒仙渓が刊行したもので、『立花秘傳抄』に花材の種類と立花技法が五冊に、『立華時勢粧』に作品図が三冊に収められている。なお、『立華時勢粧』に記された図からは、花材を判読することが困難なため、現代名の記述は除く。
『立花秘傳抄』には、180種ほどの花材が記されており、157種を現代名に対照させた。数多くの花材が記されていることから、これまで混乱していた名前を確定しやすくなった。また、『立花秘傳抄』には、花材の振り仮名や別名(異名・和名)が数多く記されており、現代名を確定する際に参考になった。
たとえば、ユキヤナギとシジミバナ、『立花秘傳抄』には「米花」「小米花」が記載されている。「米花」はユキヤナギだと思われるが、ユキヤナギには、別の華道古書には「石莧」という表記がある。また『樹木大図説』の解説には、「小米花」をユキヤナギとする記述もある。もしかすると、ユキヤナギは「石莧」「米花」「小米花」と書かれていた可能性がある。しかし、『立花秘傳抄』には「米花」と「小米花」の名を分けていることで、これらは異なる植物を指していると判断できる。そのことから、「米花」をユキヤナギ、「小米花」をシジミバナと推測でき、現代名を解明することが徐々に容易になった。
『立花秘傳抄』に示された花材は、種類が多いことから十七世紀後半の茶会記に登場した茶花の70%をカバーしている。十七世紀後半に登場した茶花で、『立花秘傳抄』に記されていない植物は、アサガオ、アブラナ、ウツギ、カザグルマ、テッセン、ナツツバキ、ハシバミ、ハンノキ、ヒイラギ、ヒルガオ、フクジュソウ、ボケ、マメ、ミズアオイ、ミツマタ、ムクゲ、モミ、ロウバイである。茶花の使用頻度上位20位までと比べると、『立花秘傳抄』の花材は10位のアサガオと13位のウツギと16位のフクジュソウ以外をカバーしている。『立花秘傳抄』も十七世紀後半に使用された茶花の使用動向を比較的反映していると言えるだろう。
『立花便覧』
『立花便覧』は、元禄八年(1695)に刊行されている。著者は、「立花便覧序」を書いた松領山であろうが、どのような人物であるかはわからない。
記されている花材を数えると145ほどあり、現代名で示せたのはその内128種である。花材を現代名に該当させるにあたって、次のような疑問点のあったことを記す。
「樫木」は、植物名をカシとしたが、堅い木、カシ類を総称している可能性がある。また、「常盤 「露盆」は、「イチゴ」と振り仮名があり、草本のイチゴを指すものと思われるが、『牧野新日本植物図鑑』には植物名としてはない。また、「花いちこ」という表示もあるが、正確な植物名はわからないので、総称名としてイチゴとする。
『立花便覧』の花材は、種類が多いため十七世紀後半に使用された茶花の71%を含んでいる。十七世紀後半に登場した茶花で、『立花便覧』に記されていない記されていない植物は、サザンカ、フクジュソウ、ハンノキ、テッセン、ナツツバキ、ハシバミ、ヒイラギ、ミツマタ、マメ、ロウバイ、モクレン、モミ、エノコログサ、オカトラノウ、カザグルマ、キスゲ、コブシ、ヒルガオである。また、茶花の使用頻度の20位までを見ても、7位のサザンカ、16位のフクジュソウがないだけで、『立花便覧』も十七世紀後半に使用された茶花の使用動向を反映している。
『立花便覧』は、元禄八年(1695)に刊行されている。著者は、「立花便覧序」を書いた松領山であろうが、どのような人物であるかはわからない。
記されている花材を数えると145ほどあり、現代名で示せたのはその内128種である。花材を現代名に該当させるにあたって、次のような疑問点のあったことを記す。
「樫木」は、植物名をカシとしたが、堅い木、カシ類を総称している可能性がある。また、「常盤 「露盆」は、「イチゴ」と振り仮名があり、草本のイチゴを指すものと思われるが、『牧野新日本植物図鑑』には植物名としてはない。また、「花いちこ」という表示もあるが、正確な植物名はわからないので、総称名としてイチゴとする。
『立花便覧』の花材は、種類が多いため十七世紀後半に使用された茶花の71%を含んでいる。十七世紀後半に登場した茶花で、『立花便覧』に記されていない記されていない植物は、サザンカ、フクジュソウ、ハンノキ、テッセン、ナツツバキ、ハシバミ、ヒイラギ、ミツマタ、マメ、ロウバイ、モクレン、モミ、エノコログサ、オカトラノウ、カザグルマ、キスゲ、コブシ、ヒルガオである。また、茶花の使用頻度の20位までを見ても、7位のサザンカ、16位のフクジュソウがないだけで、『立花便覧』も十七世紀後半に使用された茶花の使用動向を反映している。
『古今茶道全書二』
『古今茶道全書二』は、『古今茶道全書』五巻ノ内の二で「花生様の事」の記述に花材が記されている。元禄六年(1693)永昌坊書肆習成軒刊行とされているが、著者は記されていない。『古今茶道全書』は、茶書であるがその詳細はわからない。
同書には、90種ほどの花材名が記されており、80種を現代名に該当させた。これまでの花書に比べて花材数が少なく、茶花の使用頻度から見ると80種で81%あるものの、記されている植物に偏りを感じる。茶書であるから、十七世紀後半に使用された茶花の植物種を数多く含んでいると思われたが、種類数では56%しか含まれていない。また、使用頻度20位までの茶花のコウホネ、カキツバタ、アジサイ、イチハツが含まれていない。これらの植物は、特別珍しい植物ではなく、著者が知らないはずはない。『古今茶道全書二』は、当時の茶花の使用動向をあまり反映していないように感じる。
ただ、キクに関しては著者に拘りがあったようで7種も記している。その内、「こんきく」をノコンギク、「我妻菊」をアズマギクと現代名にできたが、残りの「秋菊、あさ菊、寒菊、しん菊、夏菊」は、現代名を確定できなかった。また、この書の特徴として、「あはもり、梅ばち、風車、熊谷、鷺草」など、山野草が多いこともあげられる。以上から、『古今茶道全書二』は、花書の花材として少し変わった植物を記しており、茶道の茶花についても当時使用されていた植物を記しているとは言い難い。
『古今茶道全書二』は、『古今茶道全書』五巻ノ内の二で「花生様の事」の記述に花材が記されている。元禄六年(1693)永昌坊書肆習成軒刊行とされているが、著者は記されていない。『古今茶道全書』は、茶書であるがその詳細はわからない。
同書には、90種ほどの花材名が記されており、80種を現代名に該当させた。これまでの花書に比べて花材数が少なく、茶花の使用頻度から見ると80種で81%あるものの、記されている植物に偏りを感じる。茶書であるから、十七世紀後半に使用された茶花の植物種を数多く含んでいると思われたが、種類数では56%しか含まれていない。また、使用頻度20位までの茶花のコウホネ、カキツバタ、アジサイ、イチハツが含まれていない。これらの植物は、特別珍しい植物ではなく、著者が知らないはずはない。『古今茶道全書二』は、当時の茶花の使用動向をあまり反映していないように感じる。
ただ、キクに関しては著者に拘りがあったようで7種も記している。その内、「こんきく」をノコンギク、「我妻菊」をアズマギクと現代名にできたが、残りの「秋菊、あさ菊、寒菊、しん菊、夏菊」は、現代名を確定できなかった。また、この書の特徴として、「あはもり、梅ばち、風車、熊谷、鷺草」など、山野草が多いこともあげられる。以上から、『古今茶道全書二』は、花書の花材として少し変わった植物を記しており、茶道の茶花についても当時使用されていた植物を記しているとは言い難い。
『當流茶之湯流傳集巻之三』
『當流茶之湯流傳集巻之三』は、『當流茶之湯流傳集』六巻ノ内の三で、茶席での花について記され、17の花之図がある。著者は、廣長軒(遠藤)元閑で元禄七年(1694)に刊行された。『當流茶之湯流傳集』は茶書であるが、著者はこの項について華道を意識して書いているようだ。
同書には、40種ほどの花材名が記されており、40種を現代名に該当させた。『古今茶道全書二』に比べても花材数が少なく、さらに植物の偏りを感じる。十七世紀後半に使用された茶花が71種ある内で、含まれるのは21種で、19種が異なる。『當流茶之湯流傳集巻之三』の花材は、当時の茶花の使用実態を反映しているとは言い難い。また、『古今茶道全書二』に記された植物と対照させると、同じ植物は70%しかない。『當流茶之湯流傳集巻之三』は『古今茶道全書二』の茶花とも異なる植物が記されていると言えそうだ。遠藤元閑は、『茶湯六宗匠伝記』『茶湯評林』『三伝集』『流伝集』『霜月集』などを著す茶人である。幅広い見識を持つ人物であるにもかかわらず、『當流茶之湯流傳集巻之三』にコブシやシャクヤク、セキチク、フキ、フクジュソウ、ムクゲ、レンギョウを初めとする、当時の茶花を記さなかったのは不思議である。
『當流茶之湯流傳集巻之三』は、『當流茶之湯流傳集』六巻ノ内の三で、茶席での花について記され、17の花之図がある。著者は、廣長軒(遠藤)元閑で元禄七年(1694)に刊行された。『當流茶之湯流傳集』は茶書であるが、著者はこの項について華道を意識して書いているようだ。
同書には、40種ほどの花材名が記されており、40種を現代名に該当させた。『古今茶道全書二』に比べても花材数が少なく、さらに植物の偏りを感じる。十七世紀後半に使用された茶花が71種ある内で、含まれるのは21種で、19種が異なる。『當流茶之湯流傳集巻之三』の花材は、当時の茶花の使用実態を反映しているとは言い難い。また、『古今茶道全書二』に記された植物と対照させると、同じ植物は70%しかない。『當流茶之湯流傳集巻之三』は『古今茶道全書二』の茶花とも異なる植物が記されていると言えそうだ。遠藤元閑は、『茶湯六宗匠伝記』『茶湯評林』『三伝集』『流伝集』『霜月集』などを著す茶人である。幅広い見識を持つ人物であるにもかかわらず、『當流茶之湯流傳集巻之三』にコブシやシャクヤク、セキチク、フキ、フクジュソウ、ムクゲ、レンギョウを初めとする、当時の茶花を記さなかったのは不思議である。
『立花訓蒙図彙』
『立花訓蒙図彙』は、立花、砂の物、抛入花の図とその説明が書かれている。描かれている花形は、抛入花が多く、図が主であるが説明文などに花材名が記されている。また、説明文中には利休や遠州、細川幽斎、金森宗和などの名も記されている。『立花訓蒙図彙』は、六つに分かれているが『華道古書集成 第二巻』には四までしか記されていない。著者は不明で、元禄八年(1695)刊行されたとされている。
記されている花材を数えると145種ほどあり、現代名で示せたのは110種である。花材を現代名に該当させるにあたって、図に記された文字と植物が判読しにくくいことから、判断に迷う花材がいくつかある。
これまで「虎の尾」はオカトラノオとしていたが、『立花訓蒙図彙』の図から判断すればサクラの仲間で、穂状の花が咲くウワミズザクラである。しかし、この呼び名は、『立花訓蒙図彙』など一部の人たちにおいて使用されたもので、必ずしも当時の常識ではないと考えられる。当時は、穂状の花を総称して「虎の尾」と呼んでいたのだろうということもわかった。このような曖昧な呼び名に対して、マツは「男松」「女松」とクロマツ・アカマツを区別していた。また、花材を現代の種名で呼ぶ例として、「山桜」「薮椿」などこれまでの花道書にない表示も増えている。
『立花訓蒙図彙』の花材は、十七世紀後半に使用された茶花を46%しか含まれていない。ただ、茶花の使用頻度順位から見ると、上位10位までは全て含んでいる。使用頻度の20位までになると、6種しか含まれていない。『立花訓蒙図彙』の花材は、十七世紀後半の茶花の使用頻度の低い茶花を含まないことから、全体としては、七世紀後半に使用された茶花の使用動向とはやや異なる。
『増補正風立花大全』
『増補正風立花大全』は、図のみなので花材名の検討は省く。
『立花訓蒙図彙』は、立花、砂の物、抛入花の図とその説明が書かれている。描かれている花形は、抛入花が多く、図が主であるが説明文などに花材名が記されている。また、説明文中には利休や遠州、細川幽斎、金森宗和などの名も記されている。『立花訓蒙図彙』は、六つに分かれているが『華道古書集成 第二巻』には四までしか記されていない。著者は不明で、元禄八年(1695)刊行されたとされている。
記されている花材を数えると145種ほどあり、現代名で示せたのは110種である。花材を現代名に該当させるにあたって、図に記された文字と植物が判読しにくくいことから、判断に迷う花材がいくつかある。
これまで「虎の尾」はオカトラノオとしていたが、『立花訓蒙図彙』の図から判断すればサクラの仲間で、穂状の花が咲くウワミズザクラである。しかし、この呼び名は、『立花訓蒙図彙』など一部の人たちにおいて使用されたもので、必ずしも当時の常識ではないと考えられる。当時は、穂状の花を総称して「虎の尾」と呼んでいたのだろうということもわかった。このような曖昧な呼び名に対して、マツは「男松」「女松」とクロマツ・アカマツを区別していた。また、花材を現代の種名で呼ぶ例として、「山桜」「薮椿」などこれまでの花道書にない表示も増えている。
『立花訓蒙図彙』の花材は、十七世紀後半に使用された茶花を46%しか含まれていない。ただ、茶花の使用頻度順位から見ると、上位10位までは全て含んでいる。使用頻度の20位までになると、6種しか含まれていない。『立花訓蒙図彙』の花材は、十七世紀後半の茶花の使用頻度の低い茶花を含まないことから、全体としては、七世紀後半に使用された茶花の使用動向とはやや異なる。
『増補正風立花大全』
『増補正風立花大全』は、図のみなので花材名の検討は省く。
『古今増補立花大全』
『古今増補立花大全』は、書の注に「『古今増補立花大全』は其内内容天和三年『古今立花大全』と貞享五年『頭書立花指南』の巻末の部分との合本に付略之」とあり、検討を省く。
『古今増補立花大全』は、書の注に「『古今増補立花大全』は其内内容天和三年『古今立花大全』と貞享五年『頭書立花指南』の巻末の部分との合本に付略之」とあり、検討を省く。
『茶之湯評林巻之二』
『茶之湯評林巻之二』は、廣長軒(遠藤)元閑が記したもので、「嫌ひ花」などは『當流茶之湯流傳集巻之三』とほぼ同じである。逆に、同じ著者でありながらホウセンカなど花材の種類を何故替えたか、不可解である。『當流茶之湯流傳集巻之三』と同様に花材数が少なく、あまり変わらないので省く。
『茶之湯評林巻之二』は、廣長軒(遠藤)元閑が記したもので、「嫌ひ花」などは『當流茶之湯流傳集巻之三』とほぼ同じである。逆に、同じ著者でありながらホウセンカなど花材の種類を何故替えたか、不可解である。『當流茶之湯流傳集巻之三』と同様に花材数が少なく、あまり変わらないので省く。
『當世茶之湯獨漕之内茶席花』
『當世茶之湯獨漕之内茶席花』は、図3枚のみなので省く。
『當世茶之湯獨漕之内茶席花』は、図3枚のみなので省く。
『瓶花圖彙』
『瓶花圖彙』は、立花の図だけが示され、縮小され花材の判読はできないので省く。
『瓶花圖彙』は、立花の図だけが示され、縮小され花材の判読はできないので省く。
『華道全書』
『華道全書』は、享保二年(1717)に伊丹屋新兵衛と同忠兵衛とによって刊行されたものである。 この書に記されている植物は、文字と図に140種程あり、現代名で示せたのは122種である。『華道全書』には、見にくい図ではあるが、花材名が記されている。また、花材の解説があり、植物名を探るには参考になった。
まず、「春菊は一種ならてはなし花の色・・・」と、「春菊」は当時でも一種ではないことがわかった。したがって、「春菊」は現代のシュンギクとは限らないことがわかり、総称名としてキクとすることになる。
「天南星 おもとの実に似たればそのかはりに用ゆるなり夏水仙の実なり」とある。これによれば「天南星」は、「夏水仙」ということになるが、ナツズイセンの実はオモトには似ているとは言い難い。これまで、「天南星」はテンナンショウとしてきたが、再考する必要がありそうだ。また、『続華道古書集成』の『和樂旦帳』には、「天南星」記された図を見るとサトイモ科テンナンショウ属のウラシマソウである。花材の「天南星」は、テンナンショウ属の植物を指すものと考える。
「葵 立あふひは正心より胴迄水葵は水際にかぎり小葵は下より少上までつかふへし以上三品あるものなり小葵はうす紅と自と水あふひば紫一色なり」とある。「葵」は三種、「立あふひ」「水葵」「小葵」、タチアオイ・ミズアオイ・コアオイ(ゼニアオイ)に分けられ、「葵」はそれらを総称する呼び名である。「秋葵」はトロロアオイと思われるが、図を見るとトロロアオイの葉とは異なる。そのため、「秋葵」は判断できないので総称名のアオイとする。
なお、『華道全書』の花材は数多く、十八世紀前半の茶会記に記された茶花の種類を多く含んでいると思われたが、54%しか含んでいない。しかし、使用頻度の順位からは、10位までの茶花は全て含んでいる。使用頻度20位までの茶花でも、コブシ、センニチソウ以外はすべて含んでいる。
『立華道知邊大成』
『立華道知邊大成』は、享保五年(1720)伊丹屋新兵衛によって刊行されたものである。伊丹屋新兵衛らよって『華道全書』刊行から3年しか経っていないが、新たな形で刊行されている。花材の種類は90ほど記され、現代名で示せたのは82種である。『立華道知邊大成』と『華道全書』の関係を見ると、同一人の刊行であるが、『立華道知邊大成』に記されている同じ花材は、68%でやや異なると判断する。また、『立華道知邊大成』に「五節句の花の事」という項目があるが、『華道全書』にも「五節供の花の事」と同じような項目があるものの、その内容は同じではない。
『立華道知邊大成』の花材を十八世紀前半の茶会記に記された茶花と比べると、含まれているのは35%と少ない。花材の種類が少ないことから、使用頻度20位までの茶花の中に、9種しか含まれていない。『立華道知邊大成』に記された花材は、当時の華道界でも良く使われていた植物であったか、少々疑わしい。
『華道全書』は、享保二年(1717)に伊丹屋新兵衛と同忠兵衛とによって刊行されたものである。 この書に記されている植物は、文字と図に140種程あり、現代名で示せたのは122種である。『華道全書』には、見にくい図ではあるが、花材名が記されている。また、花材の解説があり、植物名を探るには参考になった。
まず、「春菊は一種ならてはなし花の色・・・」と、「春菊」は当時でも一種ではないことがわかった。したがって、「春菊」は現代のシュンギクとは限らないことがわかり、総称名としてキクとすることになる。
「天南星 おもとの実に似たればそのかはりに用ゆるなり夏水仙の実なり」とある。これによれば「天南星」は、「夏水仙」ということになるが、ナツズイセンの実はオモトには似ているとは言い難い。これまで、「天南星」はテンナンショウとしてきたが、再考する必要がありそうだ。また、『続華道古書集成』の『和樂旦帳』には、「天南星」記された図を見るとサトイモ科テンナンショウ属のウラシマソウである。花材の「天南星」は、テンナンショウ属の植物を指すものと考える。
「葵 立あふひは正心より胴迄水葵は水際にかぎり小葵は下より少上までつかふへし以上三品あるものなり小葵はうす紅と自と水あふひば紫一色なり」とある。「葵」は三種、「立あふひ」「水葵」「小葵」、タチアオイ・ミズアオイ・コアオイ(ゼニアオイ)に分けられ、「葵」はそれらを総称する呼び名である。「秋葵」はトロロアオイと思われるが、図を見るとトロロアオイの葉とは異なる。そのため、「秋葵」は判断できないので総称名のアオイとする。
なお、『華道全書』の花材は数多く、十八世紀前半の茶会記に記された茶花の種類を多く含んでいると思われたが、54%しか含んでいない。しかし、使用頻度の順位からは、10位までの茶花は全て含んでいる。使用頻度20位までの茶花でも、コブシ、センニチソウ以外はすべて含んでいる。
『立華道知邊大成』
『立華道知邊大成』は、享保五年(1720)伊丹屋新兵衛によって刊行されたものである。伊丹屋新兵衛らよって『華道全書』刊行から3年しか経っていないが、新たな形で刊行されている。花材の種類は90ほど記され、現代名で示せたのは82種である。『立華道知邊大成』と『華道全書』の関係を見ると、同一人の刊行であるが、『立華道知邊大成』に記されている同じ花材は、68%でやや異なると判断する。また、『立華道知邊大成』に「五節句の花の事」という項目があるが、『華道全書』にも「五節供の花の事」と同じような項目があるものの、その内容は同じではない。
『立華道知邊大成』の花材を十八世紀前半の茶会記に記された茶花と比べると、含まれているのは35%と少ない。花材の種類が少ないことから、使用頻度20位までの茶花の中に、9種しか含まれていない。『立華道知邊大成』に記された花材は、当時の華道界でも良く使われていた植物であったか、少々疑わしい。
『新編立華百瓶圖彙』
『新編立華百瓶圖彙』は、享保九年(1724)に作成された図集で、96図あるが花材の判読は困難なため省く。
『新編立華百瓶圖彙』は、享保九年(1724)に作成された図集で、96図あるが花材の判読は困難なため省く。
『攅花雑録』
『攅花雑録』は、宝暦七年(1757)向陽軒梅橋(高津幽了)によって刊行された。この書には、これまで植物名が曖昧であった花材の解説がある。たとえば、「土草赤草」について、「土草は夏籠草とも叉うつぼ草とも申也赤草と申は一名也土草と申にも似たる草有之ゆへ目利物也赤草にはやはすくさと申よく似たる草あり是も目利物也然るに両草とも別して習なり」とある。この記述から、「土草」はウツボグサと判断できる。また、「柘榴」は、「ざくろは花ざくろの事也」とある。この解説によると、当時は実のなるザクロではなく、ハナザクロを使用するのが一般的であったらしい。そして、現代名のハナザクロを「柘榴」「ザクロ」と呼んでいたようだ。さらに、花材の「一ッ葉」「ひとつば」の解説から、植物名(ウラボシ科のヒトツバ)ではないことがわかる。
『攅花雑録』には、65種ほどの花材が記され、そのうち、現代名で示すことのできたのは61種である。『攅花雑録』の花材を、十八世紀前半の茶会記に記された茶花と対照させると、同じ植物は32%しかない。使用頻度順では、10位まで中に8種あるものの、20位まで広げると半数に減少するので、『攅花雑録』に出てくる花材が、十八世紀前半の茶花を反映しているとは言えないだろう。
また、『立華道知邊大成』と対照させた場合は、同じ花材は55%と半分強になる。やはりこれとも異なっているようだ。なお、『攅花雑録』の刊行年は、十八世紀後半に入ってまだ7年ではあるため、まだ十八世紀前半を反映していると言える。そちらの茶会記の茶花と対照させると、『攅花雑録』に出てくる花材は32%しか含まれていない。また、使用頻度10位(10位2種あり、以下同)までの中には8種あるが、20位(16位8種あり、以下同)まで広げると、14種(23種中、以下同)しかなく、よって十八世紀前半の茶会記の茶花を反映しているとも言い難い。
『攅花雑録』は、宝暦七年(1757)向陽軒梅橋(高津幽了)によって刊行された。この書には、これまで植物名が曖昧であった花材の解説がある。たとえば、「土草赤草」について、「土草は夏籠草とも叉うつぼ草とも申也赤草と申は一名也土草と申にも似たる草有之ゆへ目利物也赤草にはやはすくさと申よく似たる草あり是も目利物也然るに両草とも別して習なり」とある。この記述から、「土草」はウツボグサと判断できる。また、「柘榴」は、「ざくろは花ざくろの事也」とある。この解説によると、当時は実のなるザクロではなく、ハナザクロを使用するのが一般的であったらしい。そして、現代名のハナザクロを「柘榴」「ザクロ」と呼んでいたようだ。さらに、花材の「一ッ葉」「ひとつば」の解説から、植物名(ウラボシ科のヒトツバ)ではないことがわかる。
『攅花雑録』には、65種ほどの花材が記され、そのうち、現代名で示すことのできたのは61種である。『攅花雑録』の花材を、十八世紀前半の茶会記に記された茶花と対照させると、同じ植物は32%しかない。使用頻度順では、10位まで中に8種あるものの、20位まで広げると半数に減少するので、『攅花雑録』に出てくる花材が、十八世紀前半の茶花を反映しているとは言えないだろう。
また、『立華道知邊大成』と対照させた場合は、同じ花材は55%と半分強になる。やはりこれとも異なっているようだ。なお、『攅花雑録』の刊行年は、十八世紀後半に入ってまだ7年ではあるため、まだ十八世紀前半を反映していると言える。そちらの茶会記の茶花と対照させると、『攅花雑録』に出てくる花材は32%しか含まれていない。また、使用頻度10位(10位2種あり、以下同)までの中には8種あるが、20位(16位8種あり、以下同)まで広げると、14種(23種中、以下同)しかなく、よって十八世紀前半の茶会記の茶花を反映しているとも言い難い。
以上、『華道古書集成』第二巻には、花材が300程記されており、その276種を現代名にした。第二巻に記された花道書は、貞享五年(1688)の『立花秘傳抄』から宝暦七年(1757)の『攅花雑録』まで、十七世紀後半から十八世紀前半までの花材を示していると言えよう。『華道古書集成』第一巻が十五世紀後半から十七世紀後半までの3世紀であったのに対し、第二巻は1世紀と短かったためか、花材数は40程減っている。新しく登場した花材が44種に対し、記されなかった花材は83種ある。第一巻と第二巻に共通する花材は233種、第一巻と第二巻の合計360種である。