『花壇地錦抄』6草木植作様伊呂波分7

『花壇地錦抄』6草木植作様伊呂波分7
 「草木植作様伊呂波分」に記されている言葉について、その使用がいくつか気になる。当時の言い方なのか、伊藤伊兵衛の個人的な使い方なのか判断に迷うものもある。そのような言葉について示し、考察してみる。

・「さし木・挿木」
 「草木植作様」として、植栽時期に加えて挿木や接木の可能な植物とその時期についても記している。挿木のできる植物として、「(木圓)栢、いぬ槙、いばら、白丁花、はぎ、沈丁花、両面(このてかしわ、からひば、ぼろ、あすなろ、びやくだん、そくはく、ちやうせんひば)、わうばい、かんぼく、かや、玉ツバキ、連翹、連玉、椿、つげ、梅のるひ、むくげ、梅嫌、くちなし、柳、やまぶき、まさき、またたび、ふやう、ふじ、こでまり、あじさい、榊、櫻、さつき、きやらぼく、深山しきみ、下野、びやくしん、ひむろ、ひのき、びやう柳、桃るひ、もくせい」の46種をあげている。これらの植物以外にも「いつき、白もくれん」など挿木のできる植物がある。にもかかわらず46種しか記さなかったのは、実際に行って成功した植物であろう。なお、増殖方法として、挿木より取木をした方が容易な植物もあるが、それらについては触れていない。

・「接木」
 増殖法として、「接木」が記されている。それらは「白もくれん、楓、かうるひ、柿のるひ、椿、梨子、梅のるひ、梅嫌、栗、藤、さんせう、さつき、桃るひ、モクレン、もくせい」の15ある。示された植物は、美しい花や葉、果実を短期間で得ようとするために接木をするのであろう。これらの中で、「梅嫌、さんせう」などは現代では需要が少ないこともあり、あまり行われていないと思われる。それより、ブドウやサクラ類の方が行われており、当時は少なかったのだろうか、それとも著者が実際に接木をしなかったのだろうか。特に、現在では常識化しているシャクヤクを台木にして、ボタンを接ぐ方法が記されていない。なお、『花譜』には記されており、伊藤伊兵衛は行ったことがなかったのであろうか、知らなかったとは思えないのだが。

・「植頃、植分、植替」など
 植栽に関する記述に「植頃」「植分」「植替」「植比」などがある。詳細に使い分けているか、それとも同義語として使われているか検討してみる。
 「植頃」は、植栽に適した時期という表現だろう。記されたのは、(い)の項だけで、それも5回使用されただけで以後に記述はない。
 「植分」は、植栽または株分けをして移植する、という内容を示すものだろう。使用頻度は最も多く、草本だけでなく低木についても記されている。
 「植替(植かへ)」は、移植をしめすものだろう。樹木が大半を占めるが、「げんげ草」「ゑびね草」「てんなんしやう」「きんせんくわ」の草本にも記されている。気になるのは「げんげ草」で、越年生草本のため前年種蒔きをするので植え替えるということであろうか。
「ゑびね草」「てんなんしやう」は、植え替えだけでなく株分けも同時に行うということなら、株分け移植である「植分」とすべきであろう。「きんせんくわ」は、一年草キンセンカらしく、播種後に適宜移植ということであろう。
 「植比」は、「植頃」と同様な意味であろうが、あえて言い換える必要性があるのだろうか。著者の意図はわからない。なお、「植比」と記されたのは、「花丁子」「濱おもと」「にしきぎ」の3種である。「花丁子」「にしきぎ」は樹木であり、「濱おもと」は草本である。これらに共通した特性があるように思えない。
 「植ル」は、「もぢずり」にあるが、これは記述の流れとして記されたもので、「植分」と同じ意味であろう。
 以上、植栽に関する語は、「植分」「植替」が最も多く、この語の使用はほぼ一貫しているように思える。なお、『花壇綱目』では、植栽することをすべて「分植(分うへる)」としている。この言葉の中には、株分けや播種も含むような表現である。『花譜』では、「栽樹」「うふる」としている。さらに、播種も「下種」に加えて「種子をうふる」と記している箇所もある。十七世紀後半には、このような表現で植栽関連の行為を示していたのであろう。

・「木かげ・日かげ」
 日照条件に関する記述として「木かげ」「日かげ」がある。半日陰で栽培することを指示しているものだが、記されている植物数は、少なく5品である。他に1品「なんてん」に、種を「日かげニまく」がある。「木かげ」を指示した植物は「布袋草・深山しきみ」、「日かげ」としたのは「やぶかうじ・からたちはな・りんだう・ゆきの下」である。「木かげ」と「日かげ」の使い方に違いがあるかを見ると、特に違いはないと思われる。また、なぜこの5品だけ記したか、他にも半日陰に適した植物がいくつもあるので不可解である。