柳沢信鴻のガーデニング1773年の植物

安永二年
柳沢信鴻のガーデニング1773年の植物
 信鴻の日記の特徴は、毎日のように植物名が出てくることである。六義園に安永二年五月二十三日に引っ越した以降は、六月には29日、七月は29日、八月も29日、九月は28日である。十月は少し減少して26日である。十一月は冬に入り、寒さのため庭作業をしなくなったこともあって12日。十二月は19日である。この二カ月、植物名は記されていないものの庭を見せたり、植木屋に訪れたり、植物と接することは頻繁に行われていた。
 日記の名称は『宴遊日記』とされているが、安永二年に六義園に移ってからはガーデニング日記と言った方が相応しい。信鴻は無類の植物好きで、それを知った廻りの人々は鉢植などをしばしばプレゼントしている。そして移転後は、毎日庭に出るのは当然のことなり、庭作業に精を出している。これほど日記に植物名を記した人は、植木屋のような仕事としている人以外でいないのではないかと感じる。
 ただ、記された植物名は、ガーデニングに大半が関連しているものの、中には果物(食べ物)なのか判断できないものもある。たとえば、三月十日の「西王母桃」は、1770年4月1日で季節からすると桃の実ではなく花を貰ったものと推測する。また、野菜については、種をもらた場合は蒔いて育てるからガーデニングとなるが、実を貰って食べただけならガーデニングとは言い難い。そのような判断しにくい曖昧な記述は多々ある。
 そこで、ガーデニングに関連した植物を示すと、安永二年には約60種登場する。最も多いのはマツで38回、その大半は「松を作る」と剪定整枝の手入れである。次いで、ウメが32回、ツバキが23回、キクが13回、カエデが9回となっている。
 その他を示すと、「蕣」アサガオ、「菖蒲花」アヤメ、「一八」イチハツ、「いさ葉いてう」イチョウ、「糸薄」イトススキ、「隠元」インゲン、「女郎花」オミナエシ、「万年青」オモト、「柿」カキ、「紫蕪」カブ、「唐橘」カラタチバナ、「桔梗」キキョウ、「夾竹桃キョウチクトウ、「九年母」クネンボ、「長春」コウシンバラ、「さいかち」サイカチ、「桜」サクラ、「桜草」サクラソウ、「珊瑚珠」サンゴジュ、「水仙スイセン、「杉」スギ、「杉菜」スギナ、「石菖」セキショウ、「石竹」セキチク、「千両」センリョウ、「蘇鉄」ソテツ、「橘」タチバナ、「蜀鶏ひ葉」チャボヒバ、「茶蘭」チャラン、「柘植」ツゲ、「蔦」ツタ、「定家葛」テイカカズラ、「鉄仙」テッセン、「南天ナンテン、「荵草」ノキシノブ、「華柘榴」ハナザクロ、「花菖蒲」ハナショウブ、「柊」ヒイラギ、「福寿草フクジュソウ、「藤」フジ、「星草」ホシクサ、「柾」マサキ、「桃」モモ、「山桃」ヤマモモ、「山の百合」ヤマユリ、「蘭」ラン、「水竹」ミツガシワなどがある。
 他に名前の判断に迷うものとして、「五加松」(五葉松?)と「葉長髭松」(ダイオウマツ?)があり、マツであることは確かだが現代名を示すことはできない。また、「黒ほこ」と記されているもの、植物名か否か、何を指しているかわからない。
 以上の植物名は、「初茸」「松茸」「栗」などの食べ物を除いていたが、ガーデニングを楽しむという活動と見れば異論があるだろう。確かに、収穫もガーデニングに含まれるものであるが、信鴻自信が行ったか否かについてはわからない。たとえば、「茄子を取、羹に作る」「園の隠元小豆を取、新堀へ遣す」「庭の蕪菁を摘み六本木へ奉る」などはまだ良いが、「枝柿遣す」「栗を主水へつかハす」などはガーデニングとは判断しにくい。さらに、「八百屋より茄子貰ふ」や「枇杷をお隆へ進む」などは、ガーデニングとは言い難いのでは。
 そのため、鉢植の遣り取りや売買、植木屋での植物見物、播種や植栽・移植、剪定整枝・刈り払い・伐採などに関連した植物について見ることにした。
 「蕣」は、六月廿五日(8月13日西暦)に「蕣鉢うへ」として贈られたことから、ヒルガオ科のアサガオ。変化アサガオのような特別な端ではなかったと思われる。
 「菖蒲花」は、閏三月十八日(5月9日西暦)に「菖蒲花咲ゆへ掘らせ鉢へ殖る」から、アヤメ科のアヤメとする。なお、閏三月十三日(5月4日西暦)に「花菖蒲貰ふ」がある。この「花菖蒲」はアヤメの書き違いの可能性がある。後述するように、四月廿二日(6月11日西暦)に「染井より花菖蒲十七品来」とあり、この日の「花菖蒲」は、アヤメ科のハナショウブに間違いない。
 「一八」は、閏三月十八日(5月9日西暦)に記され、アヤメ科のイチハツである。
 「いさ葉いてう」は、斑入りのイチョウイチョウ科)であろう。
 「糸薄」はイトススキ、ススキ(イネ科)の変種である。
 「隠元」はインゲン(マメ科)、収穫、それを進呈する場合もある。
 「梅」はウメ(バラ科)。ウメについては、30回以上記されており、「貰ふ」が最も多く、「求む」「買ふ」「来る」「遣ハす」など様々な形で記されている。ウメは、詳細な種類も記されており、「難波紅・桜かひ・春軸・児紅」「西王母飛鳥川・八重春軸」「陶朱公・俳梅・舞姫」「難波鶯宿接分・八重源氏」「八重児・紫絞・十のうめ」「児遊・□雪の雪」「田子浦・ひよく」「花かみ・菊川」「豊後二・未開紅・和泉紅・式部紅・飛入紅」「寒紅梅」「真紅梅」「節分梅」「大垂小垂梅」「東橡梅」「白梅」などがある。種類数は、以上の32に加えて、一月廿四日に「駒込より接木梅十二種来」とあるように、実際に手にした数はそれ以上であったことは間違いない。
 当時のウメの種類として、『梅品』松岡玄達(宝暦十年1760年)があり、梅品の品種60種が記されている。「早梅、紅梅、照水梅、消梅、緑萼梅、黄香梅,鶴頂梅、宮城梅、玉蝶梅、杏梅、冬梅、三品梅、臥梅、重葉梅、消青梅、尋来梅、鶯宿梅、清見寺、銀梅、浅香山、冬咲八重、軒端梅、垂枝梅、鳥梅、西行梅、八梅、飛梅、六代梅、海棠梅、鴛鴦梅、麗枝梅、六弁梅、紫梅、寒紅梅、八朔紅梅、 江南、出羽大輪、朱梅、碁盤梅、未開紅、箙梅、鈴紅梅、匂梅、匂紅梅、楊貴妃、奈良緋梅、桜紅梅、冬至梅、花布梅、難波梅、東福寺、叡山紅梅、行幸縮緬紅梅、黄梅、常陸梅、五色梅、二色梅、墨梅」がある。
 これら『梅品』と同じ種として、「未開紅」「寒紅梅」の2種があり、類似したものとして「難波紅」がある。『梅品』は当時のウメをかなり網羅したものと思っていたが、信鴻の入手した種と大半が異なっていた。
 「女郎花」はオミナエシオミナエシ科)、六月十九日は鉢植を貰っている。
 「いさ葉万年青」「万年青木」は、オモト(キジカクシ科)である。
 「楓」はカエデ(カエデ科)。カエデも詳細な種類があり、「青葉・八しほ・名月」「野村・手前山・鴫立沢」「浦苫や・初楓・唐棧錦・猩々」「青したれ・手向山」「千染楓」などがある。
 そこで、『歌仙百色紅葉集』楓葉軒樹久(元文二年1737年)の『増補地錦抄歌仙楓』『公益地錦抄後出歌仙楓』『地錦抄付録』の楓の種類を以下に示す。『増補地錦抄歌仙楓』「小倉山・高尾・八染・笠取山・赤地錦・たむけ山・名月・しめの内・ときわ・切錦・青葉・かぎり・紅の波・紋錦・さを山・袖の内・鹿紅葉・業平・朝露・奥刕獨揺・しがらみ・しぐれ山・九重・武蔵野・嵐山・立田・侘人・白波・深山楓・通天・飛鳥川・村雲・唐錦・うらべに」、『公益地錦抄後出歌仙楓』「千染・もみちかさね・關守・ます紫・遠近人・小夜時雨・ひとしほ・松かえ・神無月・とやま・隣家・敷嶋・花のゑん・古郷・初もみぢ・夕暮・紋盡・夕時雨・欝金・水かゞ見・をくしも・わすれかたミ・しぐれそめ・千里・駒駐・綾藺笠・しのぶ・名取川・秋風・内ゆかし・幾染・うづらの羽・小雨の錦・七夕・手染糸・鹿毛織錦」『地錦抄付録』「唐楓・漣波・初花・道しるべ・御所染・葛城・浅茅・若紫・唐織・待宵・夕霧・釣錦・呉服・柞・扇子流・麓寺・十寸鏡 ・真間・七瀬川・朽葉・品河・黄八丈・清滝・蔦の葉・水潜・金襴・松影・軒端」である。
 以上の中で同じと推測できるのは、「青葉・名月・千染」の3種しかない。「野村」など現代にもある名称が、『歌仙百色紅葉集』に記されていないことは気になるが、共通する名称は案外少ない。 「柿」はカキノキ(カキノキ科)であるが、食用の可能性もある。
 「紫蕪」はカブ(アブラナ科)、菜園で播種から収穫まで。
  「唐橘」はカラタチバナヤブコウジ科)、鉢植である。
  「桔梗」はキキョウ(キキョウ科)、鉢植。
 「菊」はキク(キク科)、「夏菊・小菊・上館菊」などが記されているが、詳細は不明。
 「夾竹桃」はキョウチクトウキョウチクトウ科)、苗か鉢植かは不明。
 「九年母」はクネンボ(ミカン科)、鉢植。
  「長春」はコウシンバラ(バラ科)、枝か鉢植かは不明。
  「さいかち」はサイカチ(マメ科)、枝か苗か、それとも実なのか不明。
  「桜」はサクラ(バラ科)、花が咲いている枝を貰ったものと思われる。
  「桜草」はサクラソウサクラソウ科)、鉢植と思われるが不明。
  「珊瑚珠」はサンゴジュ(スイカズラ科)、鉢植。
  「水仙」はスイセンヒガンバナ科)、花と思われるが不明。
  「杉」はスギ(スギ科)、庭園内に生育するもので伐採している。
  「杉菜」はスギナ(トクサ科)、土産に貰ったもので詳細は不明。
  「石菖」はセキショウ(ショウブ科)、「求来」「一葉貰ふ」の記述があり、苗と推測する。
  「石竹」はセキチクナデシコ科)、園芸種の鉢植と推測するが不明。
  「千両」はセンリョウ(センリョウ科)、鉢植。
  「蘇鉄」はソテツ(ソテツ科)、鉢植。
  「橘」はタチバナ(ミカン科)、苗を貰う。
  「蜀鶏ひ葉」はチャボヒバ(ヒノキ科)、苗か鉢植かは不明。
  「茶蘭」はチャラン(センリョウ科)、鉢植。
  「柘植」はツゲ(ツゲ科)、庭園内に生育する。
  「蔦」はツタ(ブドウ科)、庭園内に生育する。
 「海石榴・つはき」はツバキ(ツバキ科)、大半が鉢植である。詳細には以下のような名がある。「羅氈・百官・星くるま」「繻子・かさね・わひすけ」「唐にしきつはき」「緋車・出羽大輪」「暮誠帰、唐錦」「さされ浪・乱拍子」「春宵・唐錦・関守・迦陵頻・岩根・松嶋」「濡ふれ・両雨紅・胡蝶仇介」「底白沖の波・和歌浦・藻塩」「豊後・青白・眉間尺・丹鳥・釜山海・乙女」などがある。
  ツバキの種類として、『花壇地錦抄』の種類206種と同じと思われる種は、「出羽大輪」「松嶋」「緋車」「乱拍子」の4つである。
  「躑躅・つつし」はツツジツツジ科)、庭園内に生育する。
  「定家葛」はテイカカズラキョウチクトウ科)、庭園内に生育する。
  「鉄仙」はテッセン(キンポウゲ科)、斑入りの鉢植。
  「南天」はナンテン(メギ科)、鉢植と貰い植栽するがある。
  「荵草」はノキシノブ(ウラボシ科)、苗と思われる。
  「華柘榴」はハナザクロ(ミソハギ科)、鉢植と思われるが不明。
  「花菖蒲」はハナショウブ(アヤメ科)、切り花か苗かは不明。
  「柊」はヒイラギ(モクセイ科)、苗と推測する。
  「福寿草」はフクジュソウキンポウゲ科)、鉢植。
  「藤」はフジ(マメ科)、鉢植。
  「星草」はホシクサ(ホシクサ科)、庭園内に生育する。
  「柾」はマサキ(ニシキギ科)、斑入りの鉢植と思われる。
  「松」はマツ(マメ科)、庭園内にあるアカマツと推測され、手入れなど剪定整枝をしている。
  「桃」はモモ(バラ科)、花枝と鉢植で、「西王母桃」「鎧通桃」の名があるが詳細は不明。
  「山桃」はヤマモモ(ヤマモモ科)、実か枝かは不明。
  「山の百合」はヤマユリユリ科)、庭園内に生育する。
  「蘭」はラン(ユリ科)、シランと思われるが、花か鉢植かも不明。
  「水竹」はミツガシワ(ミツガシワ科)、鉢植。
  以上が安永二年の日記に登場した植物である。これらを元に、以後どのように変わるかを見て行きたい。