★正月の楽しみ、安永三年

江戸庶民の楽しみ 33
★正月の楽しみ、安永三年
 安永三年、江戸の庶民はどのような生活を送っていたか、町の様相、特に盛り場の動向を柳沢信鴻の日記から探してみたい。日記は、まるで現代新聞の三面記事のように浅草や境町(芝居小屋街)など繁華街の様子を伝えている。
 正月の様相は、現代と季節のずれがあり、そのことを念頭に見ることになる。安永三年の元日は西暦1774年2月11日である。二月の半ばに入ることから、真冬というより、春の萌しを感じるころである。新春とはよく言ったもので、確かに春を迎えることになる。そのため、江戸庶民と現代庶民には、正月を楽しむ気持ちにもかなり差のあることを感じる。

 正月ムードを信鴻の日記から示すと、二日  快晴○鳥追、藪前を通り藪にて見る
十三日  快晴北風烈弧雲飛々七前より次第に凪日暮無風○万歳太夫
廿三日  快晴昼より南風出○猿廻し来、祝儀つかハす○鳳巾あくる
 当時の江戸では、鳥追・万歳・猿廻
などが三が日や松の内に限定されてはいない。新年を祝い、正月を愛でる期間は、一月どころか二月にも続いていたようである。時間に追われるように期間を区切って、忙しなく次々とイベントを催す現代は、情緒や情趣を無視している。楽しむ気持ちを満足させながら次へと移っていく、心の平穏を保つことが必要ではなかろうか。信鴻の日記からは、そのようなことのできた社会が垣間見える。
 新春の祝いは、盛り場の賑わいを通して感じられ、その様子を日記に、町中では
「大師参詣人叢分かたし」「浅艸まて塗中大群集」「茶や侍等甚賑行客群集」「芝居前人叢分かたし」などと記している。信鴻が繁華街に出て、実際に見聞きした様子は、三日からはじまる。
・三日  快晴○九過より珠成同道他行、花や宿坊供(略)脇横町より谷中通り大師参詣(略)人叢分かたし、上野にて森衛門に逢、それより浅艸まて塗中大群集、浅草にて境やへ休み観音参詣、裏門より吉原土手右側取つきの茶や白玉やにて少休み、中町を見、遊女往来、茶や侍等甚賑行客群集、又白玉やに休み二階にて釣瓶蕎麦を喫す、二階より堤上見晴し行人を見る、夕陽をかし、日よけ通りをかへる、金杉を過て日暮、いろはにて挑燈を点す帰家六半前
・八日  明六迄北風大猛六過凪大快晴東風舒○六過より風凪、旭日朗々五ツ過出宅、供(略)小石川通り白山参詣、水道橋にて乗輿、一ツ橋和田蔵虎門外にて輿を出歩行、牧野門前、西久保、森元、中橋、四半過着、母公へ(略)八ツ前起行、又中の橋より増上寺うち萱野天神、産千代稲荷参詣、表門より神明参詣(略)赤穂侯前通りより春日野前(略)横町へ入裏通り五丁目の橋より采女原鮹やにて(略)休み、河岸通り(略)南八丁堀より中の橋白河侯裏より人叢込合ひ、萱場丁参詣、いせや大和茶休む、鄽上人群集海賊原より右へ、江戸橋、てり降町、よし町、境町、ふきや丁、芝居皆看板を出し、浄るり両芝居同断、中の芝居へ竹田勝吉来、芝居前人叢分かたし、堀留より駿河町わき通りへ出、鍛冶町原の向ふ左側木戸内奈良ちやへ寄、二階あしく甚狭きうへ飯菜なきゆへ直に出、すしかひ橋まへ大丸やへ行、二階客二十人計わきの小き所にて支度、茶飯(略)処より乗輿、暮頃帰家
・十三日  快晴北風烈弧雲飛々七前より次第に凪日暮無風○八過より他行、供(略)谷中通車坂より浅艸へ行、出掛北風颯々上野にて風凪、境や水茶屋へ寄、戸繋後ろの弁天杜へ詣、並木西側巴屋にて喫飯(略)車坂門にて夜に入る、月色清明中通り六半帰
・十八日  薄陰麸風少微震○九半過より他行、供(略)富士裏より谷中通、瘡守へ参詣、感応寺の寺内大師へ参る、人群集婦人も出る、清水舞台へ上り山王の台水茶屋にて休息、浅草へ行、境屋へよる、母鄽に在、お袖ハ客ありて宿に在、寺内人叢分かたし、表より出、横丁境やか前を過、お袖立よるへき由いへとも、晩景ゆへ又裏門より入、奥山端の茶やにて支度(略)吉原蔦やの新造・禿二十人はかり参詣、暮まへ起行、車阪よりかへる、千駄樹にて夜に入、暮過帰着
・廿日  薄陰次第東風強八過より坤風大猛大暖気暮より益烈風夜四凪○今日上野御なり、九前門あき直に他行(略)、富士裏より谷中通、日除(略)金杉民家にて姻吸付、萩寺前、大門前白玉やにて休み、堤より真崎(略)仙石やにて支度、万歳来、鄽先見物二三十人、尋常の万歳とハ少しかハる、才蔵烏帽落、鼻にかゝり度々被れ共又落おかし、隠居目しいたる古戦場の物語なとす(略)二女昌兼て啜龍に知たる由なれハ此鄽へよる、雪山石刻の屏風可愛○菜飯(略)○八半比起行、兼て河を渡り秋葉に行んとす、波高く風つよきゆへ今戸にかゝる橋をわたり、聖天より寺町にて談儀あり、入て立なから聞、鏡池の大我和肯也、浅草へ詣、裏茶や半ハ仕廻、境屋にて休み、(略)田原町より山下一銚子の前を過、三枚橋へ出、弁天参詣(略)一蓮池通り首ふり大和茶鄽仕廻たるを明させ内に入る、(略)暮時帰家
・廿五日  快晴北風爽々暮前風止○八過より啜龍・珠成同道、油嶋参詣、(略)本郷通より行、油嶋にて鉢うへ麟を見、中町通、上野へかかる、三枚橋にて三春侯通る、山下一銚子の前を通る、佳人鄽騨に在(略)浜田や兼て料埋好由にて行、二階なく鄽混雑ゆへ又油嶋へ帰り、京やへ行、米駒に問しむれハ下男客多き故、今日ハ坐席なき由言ヘハ、又油嶋神祠へかへる、(略)茶飯みせ也、奥八畳、江東の風景眼下に在、(略)暮比起行、此頃油島水茶やかたち娘の評判あれハかへりによる、油島より提燈をとほす

★二月の楽しみ
 信鴻の好奇心は、庶民そのものである。浅草や境町、湯島などの盛り場を巡るだけでなく、「娘の評判あれハかへりによる」と、アイドルまでにも関心を向けている。正月が明け、二月に入っても、信鴻の物見遊山は続く。それもそのはず、当時の二月は、1774年3月半ばであり、花を求めて江戸庶民が動き出す。行楽シーズン迎える中、この月のメインイベントは、『武江年表』によれば「二月八日より、川口善光寺阿彌陀如来開帳、(筠庭云、二月十一日より四月十一日迄なり、道に博戯多く大に繁盛せしとぞ)」とある。信鴻の使用人も十一日に出かけている。十一日の日記に、川口善光寺へ向かう人が朝から屋敷の外を通ると記している。なお、信鴻も四月に出かけている。花見は、梅見からはじまり、三月の観桜へと続く。信鴻は、向島の梅屋敷や飛鳥山などの様子を日記に残している。
・二月朔日(大快晴)○九過他行、供(略)富士裏より谷中通、車阪より弘徳寺前御堂前を過、南へ又東へ通りへ出、駒かたにて舟を借、舟工口説あり、故に竹町より川をわたり、業平橋、中の郷、堤上左右篠原行人多し、堤上にて老嫗二人に逢、梅屋敷へ行よし打つれ行、左畔ハ横川、向ひハ曠野、春色烟霞風景好、それより右折、町の間より梅屋布へ行、柾檣囲ひ薄紅の梅大小二十株計、正中臥龍梅也、未満開ならす、梅見多し今真盛成へし、水茶屋男と見物と口論する故急きて通りて裏へ廻る、先に道なき故又急きかへり、門内の水茶屋にやすむ頃、つかみ合ふ形勢ゆへ那処を出、普門院内を行ぬけ、一町計にて亀井戸へ詣つ、花表わき町家によめなつとを売るゆへ、土産に求む、聖廟を拝し、花表前左右ちや屋客あまた来ゆへ休みかたく右行、出はつれ左側はっれより二間目柏やに休む、不乾浄隣ハみな客多し、六畳一間障子隔て町の客二人有○菜飯(略)家具甚あしゝ、無程客帰、武士客四五人来ゆへ早々起行、橋をわたる、川に屋根ふねおひたゝし、皆今日江都より来る遊客の舟也、西へ直行柳嶋町通り、お徒士町、報恩寺前、石原へ出、黒田下邸より橋を越北行、御厩河岸のわたりをのり西行、新堀橋をわたり、堀田原、具茨上邸前より佐竹わき、立花前より山下へ出、広小路西側水茶やに休み、谷中通り首ふり坂にて挑燈をとほし、暮すき帰る
・七日(晴次第に雲多八過大曇又次第に去昼東風夜西風大ん霽)は、○八より浅草へ行、供(略)富士裡より谷中通、上野にて雲忽西北に満一面雨来へき風情ゆへ、降らハ此辺を閑歩して帰らんとて清水にて雲を見る、西北雲根すき雨ふるへきとも定かたく、山王の水茶屋に休み茶主に日和の清雨を問ふ、今引汐にて東風爽々、亥の時比まてハ堅く雨なしと請合ふ、程なく雲次第に浮み青空東南に出、西はかり半天雲あり、直に浅草へ行、境やに休む、小女鄽上に在お袖見へす、休むうちにお袖来、山門の左側に鶴市といふ乞児三芝居身振をする者今日より出るゆへ葭董のうち人群集、今日彼岸なから人甚少く、堂後茶やも仕廻、豆蔵の外みな帰りて淋し、山のちや屋にて見附て下女を迎に越せ共ゆかす、雷門内にて青磁硯屏を買ふ、お隆ひいとろ陶をあつらへしゆへ御堂前より直行、竹町の辻より行きひいとろやにて買ふ、帰りに並木右側淡雪にて支度、二階ふすまの後に武士客三人有酔漢也、高声に説話してやかまし○茶飯(略)○暮前起行、焼物屋に花生あり、直を付る、不負ゆへ捨而去、車坂にて夜に入、谷中より提燈をとほす、帰家六過
・また、初午の様子を、十日(快晴寒)○明日初午にて所々太鼓賑也
・そして春分(1774年3月22日)、十一日(快晴)○今朝五過、誠・左馬、肥前座へ行、りを・半下二人、川口寺開帳へ行
○九過より他行、供(略)富士裡谷中通り、塗中稲荷幟数所、太鼓騒し、瘡守へ参り感応寺のうち車坂より柳稲荷水茶やにて少休み、浅草境やにて休、(略)熊谷に詣し裏門より真土山参詣、茶屋小休、墨水春景如画、三廻幟を見、真崎稲荷参詣、社前右側西村屋支度、奥離亭に武士客、予より後に町人妓を連別亭へ来(略)、三谷町田中稲荷賑わいなり、土手脇より白玉やへより、五町まち廻る、中町、江戸町河岸隅町ヨリ河岸、明石稲荷、二丁目、又中町、京町二丁目、一丁目、又中町揚屋丁左角越前やに休、道中茶や待如春花爛漫、其中目に入し女郎の名を問者五人(略)七過より半過迄那処に在、又白玉やへ寄日よけ通りかへる、快晴晩色可愛、根岸水茶やにて炬火貰ひ、感応寺裏門より表門へ出る、(略)いろは四辻(略)、千駄樹西番にて挑燈付る、六過帰る
○留主に喬松院・袖岡・要・八十、王子参詣
川口開帳、藪外甚行人多く、朝より見る
・廿五日 雨繊々八前止七比より西北次第に晴暮快晴○八過より油島参詣、供(略)富土裏より谷中通(略)上野より広小路、右側水茶屋に休(略)中町通り(略)北門より参詣、今日雨天茶屋不出、祠前いせやに休み植木を見、表門より右折、本郷新町より大根畑へ下る(略)油島木戸へ出、本郷通り畑(略)加賀塀前より下駄を脱草履、追分より左折、竹町通り土物店へ出、又下駄を着(略)目赤不動へ寄り火を貰ひ烟を弄し、暮頃帰宅