信鴻のガーデニング安永三年2

信鴻のガーデニング安永三年2
○四月は、ガーデニングに適した時期であることもあって17日作業をしている。ただ、「鉢殖の草を水分石岩狭に殖」「木枯山の草を刈」など、植物名の記されない日があって、植物名が記載されたのは10日である。新たな植物は、以下の通りである。
 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とした。それは、翌日の「白山蘭」が記されたことで、キンランとギンランであろうと判断したからである。
 「白山蘭」は、ギンラン(ラン科)とする。ただし、ギンランに似た花としてササバギンラン(ラン科)がある。どちらであるかは、判断できない。信鴻は植物の見識はあるものの、両植物の違いを判別できたか疑問が残る。
 「艾葉」は、ヨモギ(キク科)とする。
 「さつき」は、サツキ(ツツジ科)とする。
 「紫蘭」は、シラン(ラン科)とする。
 以上、四月の日記に登場する植物は、エビネ・カエデ・キンラン・ギンラン・サツキ・シラン・ゼンマイ・タンポポヨモギの9種である。
○五月の季節は梅雨で、植え替えに適した時期であり、前月以上の19日も作業を行っている。植物名が記載されたのは14日で、新たな植物は以下の通りである。
 「鳳凰閣百合葵」は、『牧野新日本植物図鑑』には記されていないが、スカシユリ園芸種(ユリ科)と推測する。
 「石菖」は、セキショウ(ショウブ科)とする。
 「岩檜葉」は、イワヒバイワヒバ科)とする。
 「愛宕蘇」は、クラマゴケ(イワヒバ科)とする。
 「隈笹」は、クマザサ(イネ科)とする。
 「筍」は、マダケ(イネ科)とする。採取時期は、今の六月中旬以降ということから、モウソウチク(イネ科)ではないことは明らかである。ただ、ハチク(イネ科)の可能性もあるが、マダケより少し早いことからマダケとした。
 「松」は、マツ(マツ科)類の総称名とする。
 「忍文字摺草」は、ネジバナ(ラン科)とする。
 以上、五月の日記に登場する植物は、イワヒバ・クマザサ・クラマゴケ・サツキ・スカシユリ園芸種・セキショウセキチク・ゼンマイ・ネジバナマダケ・マツ・ヤマノイモの12種である。なお、「朝鮮瞿麦」が記されているが、これはセキチクの園芸種と推測した。
○六月は、ガーデニング作業を24日も行っている。主な作業は、「芝を刈」で19日も行っている。前年まで手入れが十分になされていなかったためと、梅雨も明け、草が一斉に伸びたためであろう。そのためであろうか、植物に関する記載が少なく四日で、新たな植物も少なく1種である。
 「りゆうたむ」、リンドウ(リンドウ科)とする。
 六月の日記に登場する植物は、ギンセンカ・ツツジ・ラン・リンドウの4種である。
○七月は、六月以上に作業が増え、27日になる。主な作業は、「刈」であるが、それに加えて「樹をつくる」「躑躅をつくる」など、剪定整枝の作業が加わってきた。毎日のように作業をしているものの、切りがないくらいである。確か、信鴻は、健康上の理由で隠居したのであるが、日々ガーデニングをしているうちに健康になったのではないかと感じられる。なお、作業日数に比べて、植物に関する記載は少なく、5日である。新たな植物も少なく、「青豆」だけ1種である。
 「青豆」、エンドウ(マメ科)と推測するが、確証はない。
 七月の日記に登場する植物は、エンドウ・サツキ・ススキ・ツツジの4種である。なお、「義範ニ畑のささけを貰ふ」とあるが、信鴻は直接関与していないと判断して、食べ物と判断した。
○八月は、茸や栗の採取があって植物に関する記載が増え20日となる。なお、これまでの作業の書き方が、「草を刈」から「草を除」に変わり、「つゝしを作る」も増えるが、日数は10日となる。新たな植物は、以下のように8種ある。     
 「もみ」は、モミ(マツ科)とする。
 「梨」は、ナシ(バラ科)とする。
 「何首宇」は、ドクダミドクダミ科)と推測する。                     「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
 「初菌」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。                        「紫蘇」は、シソ(シソ科)とする。                            「布引菌」は、『牧野新日本植物図鑑』には記載がなく、フキタケ(サルノコシカケ科)と推測するものの、かなり怪しい。
 「桂花」は、キンモクセイ(モクセイ科)と推測する。
 「唐橘」は、カラタチバナヤブコウジ科)とする。
 以上、八月の日記に登場する植物は、ウメ・カラタチバナキンモクセイ・クリ・シソ・ツツジドクダミ・ナシ・ナンテン・ハツタケ・フキタケ・マツ・モミ・ヤマノイモ・ランの15種である。
○九月は、作業日数が16日あり、その9日が「つゝしを作る」である。また、ハツタケなど採取が8日あるという特徴がある。そのため、日記に登場する植物は、ハツタケ・ツツジ・キクの頻度が高い。植物名の記載は十三日とあるもの、新たな植物はない。
 九月の日記に登場する植物は、カラタチバナ・キク・ツツジ・ハツタケ・ヤマノイモの5種と少ない。
○十月は、14日の作業日数があるものの、植物に関する記載は十日である。先月に引続き「菊」が多く記されている。新たな植物は以下の2種である。
 「柊」は、ヒイラギ(モクセイ科)とする。
 「柑」は、ミカン(ミカン科)とする。「柑」は「柑鉢うへ」から食べ物ではないと判断する。
 以上、十月の日記に登場する植物は、キク・ススキ・ヒイラギ・マツ・ミカン・カエデの6種である。なお、植物名に不安があるのは、「あさみ菊」で、アザミとキクではないと思える。では、どのようなキクであるか、『花壇地錦抄』などから探ってみたがわからない。
○十一月は、植物に関する記載は十月と同じ十日ある。また作業は、「草」「芝」「茅」を「焼」などを主に12日行っている。採取で多いのは「土筆を取」で5日ある。なお、「土筆」はスギナの根を取っているもので、真冬ということで、いわゆる「土筆摘み」とは異なるものと推測する。新たな植物は以下の2種である。
 「桐」は、キリ(ゴマノハグサ科)とする。
 「くさり杉」は、ヨレスギ(ヒノキ科)とする。
 十一月の日記に登場する植物は、アシ・ウメ・キリ・キリシマ・スギナ・ススキ・ミカン・ミズナ・ヨレスギの9種である。        
○十二月は、植物に関する記載は11日、作業日数は11日である。作業は、「焼」より「殖る」方が多い。新たな植物はない。
 十二月の日記に登場する植物は、アオキ・ウメ・カエデ・キリ・スギナ・ツゲ・ヒイラギ・フクジュソウ・モチ・モミの10種である。

 安永三年に信鴻が記したガーデニングとしての植物名は、75種である。安永二年は65種で、三年と同じ植物は27種である。三年に増えた新たな植物は48種である。二年と三年の植物種の数は、合わせて113種となる。また、安永三年に記録した植物名は232である。最も多く記したのは、スギナ(表記は土筆)で22、次いでウメの20、ツツジとハツタケが15、ツバキが11、キクが10、ゼンマイが7などとなっている。なお、安永二年に記録した植物名は227で、最も多いのはマツで38、次いでウメが26、ツバキが21、栗が14となっている。
 植物名の記された日にちを月別に見ると、三月が最も多く21日、次いで八月が20日、二月が16日、五月が14日、九月が13日となっている。最も少ないのが、六月で4日、七月が5日、四月と十一月と十月が10日、十二月が11日、一月が12日となっている。
 数多く記された植物を良く見ると、スギナやハツタケ、ゼンマイなど採取・収穫した植物の名が3割ほど占めている。これらの植物によって、各月の日数が増減している。なお、信鴻は、植物名を記さなくても、いわゆるガーデニングと思われる行為(「接く」「造る」「殖る」など)を数多く行っている。たとえば、「芝をやく」「樹を園中へうつす」「草を刈」など、植物名はないものの、ガーデニング作業を行っている。そこで、植物名の有無を別に、検討すると、安永三年にガーデニングる作業を行ったと思われる日数は、181日もある。月別に見ると、七月が最も多く27日、次いで六月が24日、五月が19日、四月が17日、九月が16日、三月と十月が14日となっている。冬の寒い時期と暑い時期には、作業日数が少ない。そして年間で見ると、ほぼ二日に一日は、ガーデニング作業を行っていることになる。
 信鴻のガーデニングを安永二年と三年の違いを見る。
 安永二年はマツの伐採と剪定に力を注いでいる。伐採は雑木を含むもので、鬱蒼とした園内を整理するものである。次いで多いウメやツバキは、信鴻の好みで、貰ったり取り寄せたりして集めている。次いで多いクリは、栗拾いで、これまであまり行ったことがなかったのだろう。それに、初茸が加わり、毎日のように採取して楽しんでいたようだ。
 三年になると、植物名では前年できなかった土筆摘みなどが加わる。そして、庭園内のマツや雑木の伐採が進んだと見えて、目につくようになったツツジへの関心が高まった。作業しても、伐採から雑草類の刈り払いとその焼却が多くなっている。増えたツツジは、記述として「躑躅をつくり」「つゝしを作る」で、剪定整枝をしているものと推測する。