信鴻のガーデニング安永六年2
○六月
の植物名を記載している日数は7日ある。六月は、ガーデニング作業と思われる「草を刈」が大半をしめ、記述が17日ある。収穫の記載は庭のナスの1日だけ。植物の遣り取りは5日である。記された植物名は12、12種である。新たな植物の種類は以下の10種であり、以下に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、オモダカ、ガマ、コウホネ、コムギ、フトイの5種である。
「蕣」は、アサガオ(ヒルガオ科)とする。
「紫陽花」は、アジサイ(ユキノシタ科)とする。
「沢潟葵」は、オモダカ(オモダカ科)とする。
「蒲」は、ガマ(ガマ科)とする。
「河骨」は、コウホネ(スイレン科)とする。
「小麦」は、コムギ(イネ科)とする。
「石菖」は、セキショウ(ショウブ科)とする。
「番椒」は、トウガラシ(ナス科)とする。
「蓮」は、ハス(スイレン科)とする。
「太藺」は、フトイ(カヤツリグサ科)とする。
○七月
七月は、ガーデニング作業と思われる記述が11日あるものの、植物名を記載した日は3日である。それらの中から記された植物名は3で、2種ある。この年に新たに記された植物名も、信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。
○八月
八月は、収穫物が増え、収穫した日は9日ある。植物名を記載した日は13日である。ガーデニング作業と思われる記述は7日ある。それらの中から、記された植物名は16、10種あり、新たな植物の種類は6種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、クマタケラン、スルガラン、ブドウの3種である。
「熊野蘭」は、該当する種名が見つからない。なお、クマタケラン(ラン科)ではなかろうかと思われるが、確証はない。
「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
「駿河蘭」は、スルガラン(ラン科)とする。
「葡萄」は、ブドウ(ブドウ科)とする。
「茗荷」は、ミョウガ(ショウガ科)とする。
「むかこ」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。
「蘭」はシランと思われるが、不確定なので総称名ラン(ユリ科)とする。
○九月
九月の植物名を記載した日は24日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は5日しかない。
収穫物の大半はハツタケで、収穫した日は24日ある。それらの中から、記された植物名は32、9種ある。新たな植物の種類は2種である。なお、「たら葉もちの樹」の記述については、タラヨウとモチノキの2種、たら葉をしたモチノキでモチノキ、またはタラヨウの3つの解釈ができる。ここでは、分けて2種とするが確証はない。次に「さゝこ茸」の植物名は不明であるが、種数に入れる。以下順に示す。新たな植物の種類はない。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
「たら葉」は、タラヨウ(モチノキ科)と推測するが確証はない。
「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
○十月
十月の植物名を記載した日は13日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は13日ある。収穫した日は1日ある。それらの中から、記された植物名は19、11種ある。新たな植物の種類は5種である。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はサザンカ、ユズリハ、リンゴの3種である。
「青木」は、アオキ(ミズキ科)とする。
「山茶花」は、サザンカ(ツハキ科)とする。
「蜀鷄檜」は、チャボヒバ(ヒノキ科)とする。
「譲葉」は、ユズリハ(トウダイグサ科)とする。
「りんこ」は、リンゴ(バラ科)とする。
○十一月
十一月の植物名を記載した日は6日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は11日ある。それらの中から、記された植物名は7、3種あり、全てこれまでに記され新たな植物の種類はない。当然ながら、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
○十二月
十二月の植物名を記載した日は5日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は9日ある。い。それらの中から、記された植物名は8、6種あり、新たな植物の種類はなく、信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。
○信鴻のガーデニングを安永六年とそれ以前との違いを見る。
安永六年は、ガーデニング作業と思われる記述は132日程ある。植物名を記した日は155日程ある。収穫した日は81日程ある。植物を遣り取りした日は31回、植木屋へは12日程訪れている。それらの中から、記された植物名は234程あり、植物種は71種ある。新たに登場した植物の種類は18種である。
★信鴻がガーデニング作業をした割合は、二日半に一回(51%)である。これは、安永五年より少ないものの、安永五年より少し多い。植物名を記した日数は、割合としては3年間で最も多い。収穫した日数は、安永五年の83より少ない。植物を遣り取りした回数は、前年18回より多い。
信鴻が六義園に移って初めて記す植物の種類数は、年々少なくなるものの18種ある。安永五年の信鴻は、ガーデニング作業と採取・収穫の回数は、220回程となる。これは、同じ日に両方行っていることもあるが、年間の半分以上の日数であり多いと感じられる。
一月の活動は、土筆摘みと草焼である。
二月も土筆摘みがさらに増え(15日)、草の根を掘る(6日)作業が多くなる。
三月は、春草摘みと草と草の根堀り等の作業が最も多く、合わせて35回となる。晴れている日は、ほぼ毎日のように作業を行っている。
四月も作業を行っている日は、草刈りが14日と多く、採取などを含むと34回と熱が入っている。
五月は、収穫が減り、刈り払いなども減少している。
六月は、ガーデニング作業を16日行っている内、15日が刈り払いである。収穫は1回で、ナス。
七月は作業が減少するが、前月と同様、9日刈り払いをしている。
八月は、ガーデニング作業が減少する中、栗拾い等の収穫作業が多くなる。
九月は、初旬は栗拾い、その後初茸狩など、収穫作業をした日は24ひとなっている。ガーデニング作業として、草刈りが下旬に4日行っている。
十月は、収穫物がなくなり、芝刈などの作業に変わる。
十一月は、土筆取りが2日あるだけで、芝焼が11日、これが主な作業である。
十二月は、芝焼が8日に減り、収穫はなくなる。
★植物名を記した日数は155日、実質これまでの中で最も割合が高い。安永五年と安永三年に記された植物名は、245と267であるから、安永六年の235は少なくない。植物種類も71種と、安永五年が75種、安永四年が102種、安永三年が75種と少ない。
植物名の記載が最も頻度の高いのは、安永三・四・五年と同じでスギナ(表記は土筆)で28である。次いでハツタケが21、マツが20、ツツジが13、クリが11、ウメが10の順になっている。
新たに登場した植物の種類は18種で、それ以前の植物種を合わせて183種となる。
の植物名を記載している日数は7日ある。六月は、ガーデニング作業と思われる「草を刈」が大半をしめ、記述が17日ある。収穫の記載は庭のナスの1日だけ。植物の遣り取りは5日である。記された植物名は12、12種である。新たな植物の種類は以下の10種であり、以下に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、オモダカ、ガマ、コウホネ、コムギ、フトイの5種である。
「蕣」は、アサガオ(ヒルガオ科)とする。
「紫陽花」は、アジサイ(ユキノシタ科)とする。
「沢潟葵」は、オモダカ(オモダカ科)とする。
「蒲」は、ガマ(ガマ科)とする。
「河骨」は、コウホネ(スイレン科)とする。
「小麦」は、コムギ(イネ科)とする。
「石菖」は、セキショウ(ショウブ科)とする。
「番椒」は、トウガラシ(ナス科)とする。
「蓮」は、ハス(スイレン科)とする。
「太藺」は、フトイ(カヤツリグサ科)とする。
○七月
七月は、ガーデニング作業と思われる記述が11日あるものの、植物名を記載した日は3日である。それらの中から記された植物名は3で、2種ある。この年に新たに記された植物名も、信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。
○八月
八月は、収穫物が増え、収穫した日は9日ある。植物名を記載した日は13日である。ガーデニング作業と思われる記述は7日ある。それらの中から、記された植物名は16、10種あり、新たな植物の種類は6種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、クマタケラン、スルガラン、ブドウの3種である。
「熊野蘭」は、該当する種名が見つからない。なお、クマタケラン(ラン科)ではなかろうかと思われるが、確証はない。
「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
「駿河蘭」は、スルガラン(ラン科)とする。
「葡萄」は、ブドウ(ブドウ科)とする。
「茗荷」は、ミョウガ(ショウガ科)とする。
「むかこ」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。
「蘭」はシランと思われるが、不確定なので総称名ラン(ユリ科)とする。
○九月
九月の植物名を記載した日は24日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は5日しかない。
収穫物の大半はハツタケで、収穫した日は24日ある。それらの中から、記された植物名は32、9種ある。新たな植物の種類は2種である。なお、「たら葉もちの樹」の記述については、タラヨウとモチノキの2種、たら葉をしたモチノキでモチノキ、またはタラヨウの3つの解釈ができる。ここでは、分けて2種とするが確証はない。次に「さゝこ茸」の植物名は不明であるが、種数に入れる。以下順に示す。新たな植物の種類はない。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
「たら葉」は、タラヨウ(モチノキ科)と推測するが確証はない。
「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
○十月
十月の植物名を記載した日は13日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は13日ある。収穫した日は1日ある。それらの中から、記された植物名は19、11種ある。新たな植物の種類は5種である。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はサザンカ、ユズリハ、リンゴの3種である。
「青木」は、アオキ(ミズキ科)とする。
「山茶花」は、サザンカ(ツハキ科)とする。
「蜀鷄檜」は、チャボヒバ(ヒノキ科)とする。
「譲葉」は、ユズリハ(トウダイグサ科)とする。
「りんこ」は、リンゴ(バラ科)とする。
○十一月
十一月の植物名を記載した日は6日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は11日ある。それらの中から、記された植物名は7、3種あり、全てこれまでに記され新たな植物の種類はない。当然ながら、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
○十二月
十二月の植物名を記載した日は5日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は9日ある。い。それらの中から、記された植物名は8、6種あり、新たな植物の種類はなく、信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。
○信鴻のガーデニングを安永六年とそれ以前との違いを見る。
安永六年は、ガーデニング作業と思われる記述は132日程ある。植物名を記した日は155日程ある。収穫した日は81日程ある。植物を遣り取りした日は31回、植木屋へは12日程訪れている。それらの中から、記された植物名は234程あり、植物種は71種ある。新たに登場した植物の種類は18種である。
★信鴻がガーデニング作業をした割合は、二日半に一回(51%)である。これは、安永五年より少ないものの、安永五年より少し多い。植物名を記した日数は、割合としては3年間で最も多い。収穫した日数は、安永五年の83より少ない。植物を遣り取りした回数は、前年18回より多い。
信鴻が六義園に移って初めて記す植物の種類数は、年々少なくなるものの18種ある。安永五年の信鴻は、ガーデニング作業と採取・収穫の回数は、220回程となる。これは、同じ日に両方行っていることもあるが、年間の半分以上の日数であり多いと感じられる。
一月の活動は、土筆摘みと草焼である。
二月も土筆摘みがさらに増え(15日)、草の根を掘る(6日)作業が多くなる。
三月は、春草摘みと草と草の根堀り等の作業が最も多く、合わせて35回となる。晴れている日は、ほぼ毎日のように作業を行っている。
四月も作業を行っている日は、草刈りが14日と多く、採取などを含むと34回と熱が入っている。
五月は、収穫が減り、刈り払いなども減少している。
六月は、ガーデニング作業を16日行っている内、15日が刈り払いである。収穫は1回で、ナス。
七月は作業が減少するが、前月と同様、9日刈り払いをしている。
八月は、ガーデニング作業が減少する中、栗拾い等の収穫作業が多くなる。
九月は、初旬は栗拾い、その後初茸狩など、収穫作業をした日は24ひとなっている。ガーデニング作業として、草刈りが下旬に4日行っている。
十月は、収穫物がなくなり、芝刈などの作業に変わる。
十一月は、土筆取りが2日あるだけで、芝焼が11日、これが主な作業である。
十二月は、芝焼が8日に減り、収穫はなくなる。
★植物名を記した日数は155日、実質これまでの中で最も割合が高い。安永五年と安永三年に記された植物名は、245と267であるから、安永六年の235は少なくない。植物種類も71種と、安永五年が75種、安永四年が102種、安永三年が75種と少ない。
植物名の記載が最も頻度の高いのは、安永三・四・五年と同じでスギナ(表記は土筆)で28である。次いでハツタケが21、マツが20、ツツジが13、クリが11、ウメが10の順になっている。
新たに登場した植物の種類は18種で、それ以前の植物種を合わせて183種となる。