信鴻のガーデニング安永三年1
柳沢信鴻は、安永三年の日記の半数以上に、ガーデニングに関連する記述を記している。その中で注目したのは、植物名である。当時の植物を知ることに加えて、信鴻がどのようなガーデニングしていたかを探る手がかりとなる。なお、日記には色々な種類の植物名が記されており、食べ物などガーデニングとは直接関係がないものが数多くあり、判別に迷うものが少なくない。たとえば、「蕎麦を喫す」「真瓜を貰ふ」のように、植物名であってもガーデニング作業を伴わないものは除く。しかし、収穫した「栗をつかハす」場合、収穫と同時てあればガーデニングとしてもよいが、日にちが経過していればガーデニングと言えない。また、「庭のふきを和物」のように、採取や収穫した場合はガーデニング作業の一環と考える。このように様々なケースがあり、日記の記述だけではその経緯が分かりにくく判断に迷う。
具体的に一月から日記を見ていくことにする。安永三年の一月は、信鴻が六義園で過ごす始めての正月であり、ガーデニングも全てが初体験となる。
○一月
一月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。植物の遣り取りは、貰った日が7日、遣った日が1日ある。それらの中から、記された植物名は18あるものの、植物の種類は8種である。以下、日付順に示す。
「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)。
「紅梅」は、現在でも使われている言葉ではあるが、『牧野新日本植物図鑑』には種名と記されていない。そのため、種名としてはウメ(バラ科)とする。後に、「源氏梅」「薄紅梅」などが記されている。なお、『花壇地錦抄』の梅の品名には、「紅梅」「源氏梅」「薄(うす)紅梅」の名称がある。
「朝雰海石榴」は、ツバキ(ツバキ科)とする。後に、「海石榴八ッを求む(春日野・鳥の子・白鴫・南京絞・もみこし・限り・玉取・塩かま)」などがある。『花壇地錦抄』の椿の品名にあるのは、「春日野」だけで、他の品名の記載はない。
「万両」は、マンリョウ(ヤブコウジ科)とする。
「日前柾鉢置二株」との記載から、「柾」をマサキ(ニシキギ科)としたが、「鉢置」の語が気になる。読み方も「にちまえ」か「びぜん」など不明。「柾鉢」か「鉢置」か区切り方がわからない。そのため、勘違いしている可能性がある。また、二月にも「柾」が記されており、そこで再度触れることにする。
「九年母」は、クネンボ(ミカン科)とする。
「サクラ」は、ヤマザクラ(バラ科)と思われるが、種を判断するのは無理なので総称名のサクラとする。
「もち」は、モチノキ(モチノキ科)とする。
以上、一月の日記に登場する植物はウメ・クネンボ・サクラ・ツバキ・フクジュソウ・マサキ・マンリョウ・モチの8種である。また、植物名の記載はないが、ガーデニング作業としたのは、「藤代の芝をやく」「芥を焼」「吹上渚の葭を焼」などである。五日に、鉢植の万両3株を庭に植えている。時期として早いのではと調べると、現代の2月15日である。そこで、試しに30㎝程のマンリョウを移植したが、全く問題はなかった。また、廿九日(現代の3月11日)にサクラとモチノキを山へ植え替えている。この移植も、問題ないだろう。信鴻は植栽知識をどの程度持っているか、この時点ではわからないが、かなりの技術を身につけていたと思える。
○二月
二月も、まだ始めて経験することが多く、なかでも土筆摘みの熱中は興味深い。現代では、土筆を食べる人はあまりなく、子供以外は土筆摘みなど関心を持たないだろう。しか当時は、土筆を食べることが浸透しており、信鴻はなんと11日間も記録している。
二月は、16日間にガーデニングに関連した植物名の記載がある。なお、ガーデニング作業と思われる日は7日あり、作業内容は、「殖る・つく・焼・掘」など一月と同じような作業である。それらの中で、新たに増えた植物名は以下の通りである。
「フジ」は、種名としてノダフジと思われるが、ヤマフジの可能性もある。ここでは、総称名としてフジ(マメ科)とする。
「葉姥百合の如く花六片」を、どのように解釈するか。ウバユリ(ユリ科)は、葉は5ないし6、花被片は6である。ウバユリを指すものと思われるが、信鴻がウバユリを熟知していて「如く」と書いているのであれば異なる植物となる。
「白花茶に似たる花」も上記と同様、チャノキ(ツバキ科)と思われるが、他の植物である可能性がある。
「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。
「茅」は、チガヤ・スゲ・ススキなどを総称する名称である。ここでは、『牧野新日本植物図鑑』からススキ(イネ科)とする。
「桔梗」は、キキョウ(キキョウ科)と思われるが、関連する文章を見ると不安がある。それは「夕友諒より桔梗や甘糕貰ふ」と、食べ物と同列で記され、「桔梗」も食べ物である可能性がある。「桔梗」が何を指しているかを検討したが、よく分からなかった。
「野韮」は、ノビル(ユリ科)とする。
「桃」は、モモ(バラ科)とする。なお、「垂桃」もモモとする。
「花蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。
「芦」は、アシ(イネ科)とする。
以上、二月の日記に登場する植物は、アシ・ウバユリ?・ウメ・キキョウ?・サクラ・ススキ・タンポポ・チャ?・ツクシ・ツバキ・ノビル・フジ・モモの13種である。なお、?を付した植物の名称は、他の植物である可能性を否定できず確証はない。
また、二月にも椿の品種名が「海石榴四鉢求む」(八重白雲・八代邂逅・百千鳥)と3品記されている。『花壇地錦抄』には、「八重白雲」があり、同じものと推測する。また「八代」「千鳥」「通千鳥」の名が『花壇地錦抄』にあるものの、日記には「邂逅・百」の文字が加わっており、同じ植物であると判断はできない。
なお、朔日に「梅屋布へ行、柾檣囲ひ薄紅の梅大小二十株計、正中臥龍梅也、未満開ならす」が記されており、「柾檣」はマサキの垣根であろう。
○三月
この月は暖かくなり、戸外で作業をすることが多くなるにしたがって、植物名を記す日数が増えて21日となる。ガーデニング作業も活発になり、14日も行っており、その中に植物名が記されていないものの、「表庭の樹を園中へうつす」などの記述がある。二月に新たに増えた植物は、以下の通りである。
「垂海堂」は、枝垂れとあることからハナカイドウ(バラ科)と思われる。なお「海棠」は、ミカイドウもある。
「萱艸」は、ノカンゾウやヤブカンゾウなどを指すものと推測され、総称名としてカンゾウ(ユリ科)とする。
「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。
「楓」は、カエデ類の総称名カエデ(カエデ科)とし、詳細な植物名は不明。
「ふき」は、フキ(キク科)とする。
「五葉松」は、ゴヨウマツ(マツ科)とする。
「尺南木」は、シャクナゲ(ツツジ科)とする。
「山ふき」は、ヤマブキ(バラ科)とする。
「姫柘植」は、ヒメツゲ(ツゲ科)とする。
「銀銭花」は、ギンセンカ(アオイ科)とする。
「青木」は、アオキ(ミズキ科)とする。
「武蔵鐙艸」は、ムサシアブミ(サトイモ科)とする。
「薇」は、ゼンマイ(ゼンマイ科)と思われるが、ゼンマイとワラビの両方を指している可能性がある。さらに、ワラビ(ウラボシ科)の漢名は、『牧野新日本植物図鑑』によれば、「薇」である。混乱してしまうが、六義園に生育していたのはゼンマイと判断したが、確証はない。
「百合」は、ユリ類の総称名ユリ(ユリ科)とする。
「山淑五加」は、サンショウ(ミカン科)とウコギ(ウコギ科)の2種を示しているか、サンショウだけか判断に迷う。ここでは、サンショウとウコギとする。
「菊」は、キク(キク科)とする。
「皀角」は、サイカチ(マメ科)とする。
「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。
「自然薯」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。
「えひね」は、エビネ(ラン科)とする。なお、「銀えひね」の他、「蝦根」などの記載もある。 「三葉」は、ミツバ(セリ科)とする。
「芹」は、セリ(セリ科)とする。
「チヤンチン」は、チャンチン(センダン科)とする。
以上、三月の日記に登場する植物は、アオキ・ウコギ・ウメ・エビネ・カイドウ・カエデ・カンゾウ・キク・キリシマ・ギンセンカ・ゴヨウマツ・サイカチ・サクラ・サンショウ・シャクナゲ・セリ・ゼンマイ・チャンチン・ツクシ・ツゲ・ツバキ・ナンテン・ノビル・ヒメツゲ・フキ・フジ・マツ・マンリョウ・ミツバ・ムサシアブミ・モモ・ヤマノイモ・ヤマブキ・ユリの34種が記されている。
柳沢信鴻は、安永三年の日記の半数以上に、ガーデニングに関連する記述を記している。その中で注目したのは、植物名である。当時の植物を知ることに加えて、信鴻がどのようなガーデニングしていたかを探る手がかりとなる。なお、日記には色々な種類の植物名が記されており、食べ物などガーデニングとは直接関係がないものが数多くあり、判別に迷うものが少なくない。たとえば、「蕎麦を喫す」「真瓜を貰ふ」のように、植物名であってもガーデニング作業を伴わないものは除く。しかし、収穫した「栗をつかハす」場合、収穫と同時てあればガーデニングとしてもよいが、日にちが経過していればガーデニングと言えない。また、「庭のふきを和物」のように、採取や収穫した場合はガーデニング作業の一環と考える。このように様々なケースがあり、日記の記述だけではその経緯が分かりにくく判断に迷う。
具体的に一月から日記を見ていくことにする。安永三年の一月は、信鴻が六義園で過ごす始めての正月であり、ガーデニングも全てが初体験となる。
○一月
一月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。植物の遣り取りは、貰った日が7日、遣った日が1日ある。それらの中から、記された植物名は18あるものの、植物の種類は8種である。以下、日付順に示す。
「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)。
「紅梅」は、現在でも使われている言葉ではあるが、『牧野新日本植物図鑑』には種名と記されていない。そのため、種名としてはウメ(バラ科)とする。後に、「源氏梅」「薄紅梅」などが記されている。なお、『花壇地錦抄』の梅の品名には、「紅梅」「源氏梅」「薄(うす)紅梅」の名称がある。
「朝雰海石榴」は、ツバキ(ツバキ科)とする。後に、「海石榴八ッを求む(春日野・鳥の子・白鴫・南京絞・もみこし・限り・玉取・塩かま)」などがある。『花壇地錦抄』の椿の品名にあるのは、「春日野」だけで、他の品名の記載はない。
「万両」は、マンリョウ(ヤブコウジ科)とする。
「日前柾鉢置二株」との記載から、「柾」をマサキ(ニシキギ科)としたが、「鉢置」の語が気になる。読み方も「にちまえ」か「びぜん」など不明。「柾鉢」か「鉢置」か区切り方がわからない。そのため、勘違いしている可能性がある。また、二月にも「柾」が記されており、そこで再度触れることにする。
「九年母」は、クネンボ(ミカン科)とする。
「サクラ」は、ヤマザクラ(バラ科)と思われるが、種を判断するのは無理なので総称名のサクラとする。
「もち」は、モチノキ(モチノキ科)とする。
以上、一月の日記に登場する植物はウメ・クネンボ・サクラ・ツバキ・フクジュソウ・マサキ・マンリョウ・モチの8種である。また、植物名の記載はないが、ガーデニング作業としたのは、「藤代の芝をやく」「芥を焼」「吹上渚の葭を焼」などである。五日に、鉢植の万両3株を庭に植えている。時期として早いのではと調べると、現代の2月15日である。そこで、試しに30㎝程のマンリョウを移植したが、全く問題はなかった。また、廿九日(現代の3月11日)にサクラとモチノキを山へ植え替えている。この移植も、問題ないだろう。信鴻は植栽知識をどの程度持っているか、この時点ではわからないが、かなりの技術を身につけていたと思える。
○二月
二月も、まだ始めて経験することが多く、なかでも土筆摘みの熱中は興味深い。現代では、土筆を食べる人はあまりなく、子供以外は土筆摘みなど関心を持たないだろう。しか当時は、土筆を食べることが浸透しており、信鴻はなんと11日間も記録している。
二月は、16日間にガーデニングに関連した植物名の記載がある。なお、ガーデニング作業と思われる日は7日あり、作業内容は、「殖る・つく・焼・掘」など一月と同じような作業である。それらの中で、新たに増えた植物名は以下の通りである。
「フジ」は、種名としてノダフジと思われるが、ヤマフジの可能性もある。ここでは、総称名としてフジ(マメ科)とする。
「葉姥百合の如く花六片」を、どのように解釈するか。ウバユリ(ユリ科)は、葉は5ないし6、花被片は6である。ウバユリを指すものと思われるが、信鴻がウバユリを熟知していて「如く」と書いているのであれば異なる植物となる。
「白花茶に似たる花」も上記と同様、チャノキ(ツバキ科)と思われるが、他の植物である可能性がある。
「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。
「茅」は、チガヤ・スゲ・ススキなどを総称する名称である。ここでは、『牧野新日本植物図鑑』からススキ(イネ科)とする。
「桔梗」は、キキョウ(キキョウ科)と思われるが、関連する文章を見ると不安がある。それは「夕友諒より桔梗や甘糕貰ふ」と、食べ物と同列で記され、「桔梗」も食べ物である可能性がある。「桔梗」が何を指しているかを検討したが、よく分からなかった。
「野韮」は、ノビル(ユリ科)とする。
「桃」は、モモ(バラ科)とする。なお、「垂桃」もモモとする。
「花蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。
「芦」は、アシ(イネ科)とする。
以上、二月の日記に登場する植物は、アシ・ウバユリ?・ウメ・キキョウ?・サクラ・ススキ・タンポポ・チャ?・ツクシ・ツバキ・ノビル・フジ・モモの13種である。なお、?を付した植物の名称は、他の植物である可能性を否定できず確証はない。
また、二月にも椿の品種名が「海石榴四鉢求む」(八重白雲・八代邂逅・百千鳥)と3品記されている。『花壇地錦抄』には、「八重白雲」があり、同じものと推測する。また「八代」「千鳥」「通千鳥」の名が『花壇地錦抄』にあるものの、日記には「邂逅・百」の文字が加わっており、同じ植物であると判断はできない。
なお、朔日に「梅屋布へ行、柾檣囲ひ薄紅の梅大小二十株計、正中臥龍梅也、未満開ならす」が記されており、「柾檣」はマサキの垣根であろう。
○三月
この月は暖かくなり、戸外で作業をすることが多くなるにしたがって、植物名を記す日数が増えて21日となる。ガーデニング作業も活発になり、14日も行っており、その中に植物名が記されていないものの、「表庭の樹を園中へうつす」などの記述がある。二月に新たに増えた植物は、以下の通りである。
「垂海堂」は、枝垂れとあることからハナカイドウ(バラ科)と思われる。なお「海棠」は、ミカイドウもある。
「萱艸」は、ノカンゾウやヤブカンゾウなどを指すものと推測され、総称名としてカンゾウ(ユリ科)とする。
「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。
「楓」は、カエデ類の総称名カエデ(カエデ科)とし、詳細な植物名は不明。
「ふき」は、フキ(キク科)とする。
「五葉松」は、ゴヨウマツ(マツ科)とする。
「尺南木」は、シャクナゲ(ツツジ科)とする。
「山ふき」は、ヤマブキ(バラ科)とする。
「姫柘植」は、ヒメツゲ(ツゲ科)とする。
「銀銭花」は、ギンセンカ(アオイ科)とする。
「青木」は、アオキ(ミズキ科)とする。
「武蔵鐙艸」は、ムサシアブミ(サトイモ科)とする。
「薇」は、ゼンマイ(ゼンマイ科)と思われるが、ゼンマイとワラビの両方を指している可能性がある。さらに、ワラビ(ウラボシ科)の漢名は、『牧野新日本植物図鑑』によれば、「薇」である。混乱してしまうが、六義園に生育していたのはゼンマイと判断したが、確証はない。
「百合」は、ユリ類の総称名ユリ(ユリ科)とする。
「山淑五加」は、サンショウ(ミカン科)とウコギ(ウコギ科)の2種を示しているか、サンショウだけか判断に迷う。ここでは、サンショウとウコギとする。
「菊」は、キク(キク科)とする。
「皀角」は、サイカチ(マメ科)とする。
「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。
「自然薯」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。
「えひね」は、エビネ(ラン科)とする。なお、「銀えひね」の他、「蝦根」などの記載もある。 「三葉」は、ミツバ(セリ科)とする。
「芹」は、セリ(セリ科)とする。
「チヤンチン」は、チャンチン(センダン科)とする。
以上、三月の日記に登場する植物は、アオキ・ウコギ・ウメ・エビネ・カイドウ・カエデ・カンゾウ・キク・キリシマ・ギンセンカ・ゴヨウマツ・サイカチ・サクラ・サンショウ・シャクナゲ・セリ・ゼンマイ・チャンチン・ツクシ・ツゲ・ツバキ・ナンテン・ノビル・ヒメツゲ・フキ・フジ・マツ・マンリョウ・ミツバ・ムサシアブミ・モモ・ヤマノイモ・ヤマブキ・ユリの34種が記されている。