信鴻のガーデニング安永七年1

信鴻のガーデニング安永七年1                
  安永七年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。
○一月
 一月の日記には7日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。収穫の記載は1日ある。それらの中から、記された植物名は9あるものの、この年初めて記された植物の種類は5種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。
 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。
  「水仙」はスイセンヒガンバナ科)とする。
 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。
 「松」は、総称名マツ(マツ科)とする。
○二月
 二月の日記には20日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、16日間ある。また、収穫の記載は17日ある。それらの中から、記された植物名は28で10種あり、この年の新たな植物の種類は6種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
 「青木」は、アオキ(ミズキ科)とする。
 「萱艸」は、ノカンゾウヤブカンゾウなどを指すものと推測され、総称名としてカンゾウユリ科)とする。
 「躑躅」は、ツツジツツジ科)とする。
 「南天」は、ナンテン(メギ科)。
 「もみ」は、モミ(マツ科)。
 「桃」は、モモ(バラ科)とする。
○三月
 三月の日記には23日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、17日間ある。また、収穫の記載は17日ある。それらの中から、記された植物名は67で23種あり、この年の新たな植物の種類は16種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
 「海老根」は、エビネ(ラン科)とする。
 「海棠」は、総称名カイドウ(バラ科)とする。
 「楓」は、総称名カエデ(カエデ科)
 「桜草」は、サクラソウサクラソウ科)とする。
 「春蘭」は、シュンラン(ラン科)とする。
 「茅」は、ススキ(イネ科)とする。
 「薇」は、ゼンマイ(ゼンマイ科)とする。
 「竹」は、総称名タケ(イネ科)とする。
 「蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。
 「海石榴」は、ツバキ(ツバキ科)。
 「野韮」は、ノビル(ユリ科)とする。
 「柊」は、ヒイラギ(モクセイ科)。
 「藤」は、フジ(マメ科)とする。
 「槙」は、コウヤマキ高野槙)と思われるが、以前の表示は「高野榧」である。そのため、「槙」はコウヤマキ以外のマキを指している可能性があり、総称名マキとする。
 「棣棠」は、ヤマブキ(バラ科)とする。
 「蕨」は、ワラビ(ウラボシ科)とする。
○四月
 四月の日記には13日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、13日間ある。また、収穫の記載は13日ある。それらの中から、記された植物名は42で21種あり、この年の新たな植物の種類は12種である。以下に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ウツギ、ウド、エニシダ、コウライシバ、シャジン、ユキヤナギの6種である。
 「五加」は、ウコギ(ウコギ科)とする。
 「卯木」は、ウツギ(ユキノシタ科)とする。
 「ゑにした」は、エニシダマメ科)とする。
 「風車」は、カザグルマキンポウゲ科)とする。
 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とする。
 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
 「高麗芝」は、コウライシバ(イネ科)とする。 
 「小米桜」は、コゴメザクラと読めるが、『牧野新日本植物図鑑』には記載されていない。そこで、『樹木大図説』からユキヤナギバラ科)と推測する。 
 「さつき」は、サツキ(ツツジ科)とする。
 「山淑」は、サンショウ(ミカン科)とする。
 「砂参」は、キキョウ科 ツリガネニンジン属の多年草を指しているものと思われ、ツリガネニンジンと推測するが、確定できないので総称名シャジンとする。
  「蘇鉄」はソテツ(ソテツ科)とする。
○五月
 五月の日記には16日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、13日間ある。しかし、収穫の記載はない。それらの中から、記された植物名は22で15種あり、この年の新たな植物の種類は11種である。以下に示す。なお、不明な植物に「土成草」がある。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ガンセキランとフウラン、ヤダケの3種である。
 「燕子花」は、カキツバタ(アヤメ科)とする。 
 「巖石蘭」は、ガンセキラン(ラン科)とする。
 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。
 「赤南木」は、シャクナゲツツジ科)と推測するが確信はない。
 「石竹」は、セキチクナデシコ科)とする。
  「茶蘭」はチャラン(センリョウ科)とする。
 「荵摺草」は、ネジバナ(ラン科)とする。
 「姫百合」は、ヒメユリ(ユリ科)とする。
 「風蘭」は、フウラン(ラン科)とする。 
 「筍」は、マダケ(イネ科)とする。
 「箭竹」は、ヤダケ(イネ科)とする。
○六月
 六月の日記には10日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、11日間ある。また、収穫の記載は3日ある。それらの中から、記された植物名は16で15種あり、この年の新たな植物の種類は10種である。以下に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、アズマギク、ウキクサ、ナツツバキ、ミズアオイの4種である。
 「紫陽花」は、アジサイユキノシタ科)とする。
 「吾妻菊」は、アズマギク(キク科)とする。
 「寒竹」は、カンチク(イネ科)とする。
 「すもも」は、スモモ(バラ科)とする。
 「仙翁花」は、センノウ(ナデシコ科)とする。
 「茄子」は、ナス(ナス科)とする。
 「沙羅双樹」は、ナツツバキ(ツバキ科)を指すものと推測する。
 「葱」はネギであるが、次の「萍」との文脈から「水葱」・ミズアオイミズアオイ科)ではなかろうか。
 「萍」は、ウキクサ(ウキクサ科)ではなかろうか。
 「益柑草」は、メハジキ(シソ科)とする。
 「藪柑子」は、ヤブコウジヤブコウジ科)とする。