大正十年後期 不景気の中の庶民娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 169

大正十年後期 不景気の中の庶民娯楽
 大正十年の後期は、次々にその後の日本の進路に影響する事件や事象が続いた。不景気による労働争議は、政府の弾圧を激しくさせる。戦前最大のストライキ、川崎・三菱神戸造船所争議は、軍隊が出動し、警官隊が争議団に対抗するなど激化した。その他にも、足尾銅山争議など、争議の規模は大きくなり、各地で多発した。そして、米が豊作であったにもかかわらず、小作争議が多発して不安な世相は人々の深層に浸透した。事件も、九月に安田財閥の当主安田善次郎が刺殺され、十一月には原首相が東京駅で暗殺された。一方世界に目を向ければ、日本が不利となるワシントン海軍軍縮会識が十一月からが開催された。
 庶民の娯楽については、官製のイベントが本格的に催されるようになる。不景気ながら、庶民の遊びたいという気分は高まったままのようだ。

・九月「東宮を迎え奉る 昨日日比谷の奉祝会」九日付讀賣
 東宮の外遊を伝える記事は、帰国が近くなるに従って多くなった。四日付の新聞(東朝)は「東宮奉迎に五万人の提灯行列 高輪から芝浦付近はハチ切れる人の大波」と、大変な人出であった。有楽町あたりに出かけていた永井荷風は、「花火花電車提灯行等あり。市中雑踏甚し。」と日記に書いている。八日は、日比谷で東京市の大奉迎祝賀会が催された。開場には「二千の来賓と二万の市公民」が強雨の中を参会。午後は「四時から青年団奉祝会、三十一県から一万人参列」した。奉祝デーの余興は、太神楽、喜劇、奇術、手踊に加えて東宮の御外遊時のご様子を映した活動写真が目新しい。夜になると、提灯行列が上野、浅草、須田町、銀座東京駅などの街中を練って日比谷公園に繰込む、六台の花電車も群衆の間を縫うように運転された。この奉祝会は、お祭気分を楽しむ機会から遠のいていた市民にとって格好のイベントであった。
 九月は演劇や映画などの観客の増える時期で、帝国劇場ではこの年もロシアからの歌劇団を呼び公演。荷風は二十二日の日記に、「独帝国劇場に立ち寄りカルメンを聴く」。以後、二十六日まで「連宵オペラを聴く。聊か疲労を覚えたり」と。さすがに翌日は、「秋陰の天気漫歩するによし。江戸川を歩み関口の瀧に憩う、神楽坂に飯して帰る」。
 二十五日の日曜日、「今日の行楽」(讀賣)として、人出の多いところが紹介されている。田端、道灌山、王子稲荷、滝の川、飛鳥山などでは秋草と虫の音が呼び物。向島百花園の七草、龍眼寺のハギ、亀戸天神では秋の祭で種々の催し物。上野公園では院展と二科展、お茶の水で印刷文化展覧会。郊外では目黒不動が栗の季節、川崎から鶴見にかけて秋色を探る。佃島洲崎から台場はハゼ釣りで賑わうだろうと。
・十月「池上本門寺御会式の素晴しい前景気」十三日付東朝、
   「売約の大競争で瞬く間に二万円」十六日付讀賣
 池上本門寺の御会式には、早朝から大森や蒲田周辺から詰めかける人々で参詣道は非常な雑踏、午後一時過ぎには3万人以上で、「今夜の人出は三十万との予想」とある。この年は本門寺の百年祭にあたる上、前年、前々年と雨にたたられたのがようやく、久しぶりの快晴に恵まれたもの。電車は品川・須田町間で終夜運転、例年にない人出を予想して1500人の警察官で警備に当たった。この賑わいで蘇ったのは露店商人で、山門付近が特に多かった。
 行楽シーズンであるべき十月に際立った催し物が無かったためであろう。秋恒例の帝展に一万人もの人が出かけていて、また、お茶の水東京博物館内で開催された印刷文化展覧会は、地味な催しである上、短期間だったのに4万人を超えて記録を破ったと報じられている。
 十九日付(讀賣)では「近づく年の暮れ 今日はベッタラ市」と、通旅籠町・大伝間町・小伝馬町・小伝馬上町・通油町一帯に縁日商人が並ぶことを紹介。もっとも、浅漬けは出来が悪く前年より一二割高、それでも多くの人々が訪れたようだ。
 二十九日からは、岩崎家の別邸庭園の一部を一般民衆の遊園地として開放、名称は「清住遊園」、テニスコートや砂場などもある。
・十一月「秋日晴れて神宮祭の賑い」二日付讀賣
    「日比谷で運動会」七日付讀賣
 一日から三日間にわたって神宮御例祭が催された。表参道には奉祝のアーチが、神宮橋まで紅白の段々幕、飾りたてられた俄作りの売店が居並ぶ。外苑口には相撲場が設けられ余興場口には大門から両側には数百の売店が陣取っていた。天候にも恵まれ、かなり賑わったものと思われる。市民の行楽気運は徐々に高まるようにみえたが、四日、東京駅で原敬首相が刺殺された。九月にも安田財閥安田善次郎が殺害されており、市民の大半は、不安な世相を感じていただろう。永井荷風は、「余政治に興味なきを以て一大臣の生死は牛馬の死を見るに異ならず、何等の感動をも催さず。人を殺すものは悪人なり。殺さるゝものは不用意なり。」と、関心がないとは言いながら五日の日記に書いている。その荷風、翌日に酉の市に出かけ、浅草を散歩して帰っている。
 新聞(讀賣)には「日比谷で運動会」、十日付「日本女子大学運動会」などと、前月からあちこちで運動会が催されている。また、国技館で恒例の菊人形の催しが行われるなどや菊花の観賞も盛んである。新聞にでているだけで、楽天地の菊人形(十八段返し、客席から美人の出現が呼び物で盛況)、花屋敷の菊人形(雪月花八段返し等)などがある。菊花の観賞では、日比谷公園の菊花大会や赤坂離宮観菊御会。離宮観菊御会の招待状は3千であるが、これに夫人令嬢が加わって8千人に増え、皆白襟紋付きで陪覧したとのこと。学生や中流以上の人々など、一部のレジャー活動は盛んになっているものの、市民全体としては沈滞傾向にあった。
・十二月「盛り場の浅草も大零しの暮気分 天下分け目の歳の市」十四日付東朝
 新聞には当時のインフレ状況が報じられている。例えば、民衆娯楽のメッカ浅草でも前年までは50銭あれば一日楽しめたのに、今では映画を見るだけで40~50銭も取られてしまう。1円握って出かけてもお寒い気分の年の暮れ、映画館も一等席はがら空きで、広小路のおでん屋や支那蕎麦やなどは十一時には店を閉め、賑わいの引けるのが二時間近くも早くなったという。
 十六日付(東朝)、十六日は銀座祭。銀座通りのシダレヤナギがイチョウに植え替えられ、歩道も赤レンガから木レンガにと、道路整備が完了。道路の落成式や五十年祭を一緒にして、十六日から三日間に渡って銀座祭が催された。十七日は前日に劣らぬ人出、尾張町角の式場跡と京橋・新橋際の各余興場は黒山の人だかり、式場には2万人、各余興場にも数千人の群衆が集まった。祭は事故もなく終わり「群衆が、大通りを右し左する賑かさ、お月様は水のような空にいよいよ冴えて行く」(十八日讀賣朝刊)。と、活気の溢れた市民の心意気よりも、先行きの不透明な暮れの祭の余韻を伝えている。また、三日目の銀座祭を永井荷風風月堂で食事をしながら見ており、「この夜風邪暖にして公園の樹木霧につゝまれ、月また朦朧。春夜の如し。」と書いている。
 新聞には、歳の市の賑わいは載らなくなってしまった。しかし、永井荷風の日記には、二十七日付で「歳暮の市街到る所雑踏甚し」。三十一日には、荷風は百合子と年の暮れの銀座の夜店を見て、また浅草の仲見世を歩いた。「百合子興に乗じ更に両国より人形町の夜市を見歩くべしと言う」と、賑やかな大晦日であったことがわかる。ただ、荷風は「余既に昔日の意気、寒夜深更の風を恐るゝのみ」と帰宅した。
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大正十年(1921年)後期のレジャー関連事象・・・十一月原首相が東京騨頭で暗殺 
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9月4東 宮奉迎に5万人の提灯行列 高輪から芝浦付近はハチ切れる人の大波
  9読 奉祝会、日比谷原頭夜の賑やかさ       
  15朝 秋雨に勢う神田祭り             
  18読 神明神社祭典神輿が店先に暴れ込む
  22永 荷風、帝国劇場に立寄りカルメンを聴く     
  25読 日曜日の行楽、秋草の眺めも良くハゼ釣りも賑わう 
  27永 荷風、江戸川を歩み関口の滝に憩う       
  28読 白鬚橋と吾妻橋の間で灯籠流し          
10月9永 荷風、有楽座でロメオ・ジュリエット聴く 
  10読 花屋敷の菊人形                 
  13読 秋晴れに賑わう池上のお会式           
  15日 鉄道五十年の祝いで、鉄道博物館20万の入場  
  16読 帝展初日の馬鹿景気              
  17読 仏教少年少女大会日比谷公園の賑わい     
  19読 ベッタラ市浅漬けは出来が悪い          
  19読 常盤座「仇花実花」他連日大々満員御礼      
  26読 印刷展閉会、入場者30万を超え記録破り
  26読 岩崎家の別邸庭園、テニスコートや砂場等を整備「清住遊園」と命名し、一般開放
  30読 目黒の菊花デー
11月2読 秋日晴れて神宮祭の賑わい
  6永 荷風、酉の市、浅草公園を歩く             
  7読 日比谷で運動会        
  14読 赤坂離宮観菊御会思し召しに陪覧8千人余      
  16読 七五三のお祝いに賑わう宮々           
  19読 飛行機の夜襲戦と日比谷の無料映写        
  26読 青年館の琵琶会、満員続き盛況に終わる
  27読 国技館の大菊花デー、大人60銭       
12月2朝 日比谷公園でうどん試食会大盛況、一時間で1,400人前売切れ
  18読 銀座祭二日目、月下の歓呼
  19読 実業野球大会太平生命が優勝
  24読 各外国大使館のクリスマス別段の催しなし
  24読 数寄屋橋公園で公開クリスマス
  27永 歳末の市街到る処雑踏甚だし
  29朝 御用納めが来ても空淋しい避寒地寂れた国府津、悦に入るのは鎌倉だけ
  31永 両国より人形町の夜市