市民の緊張の糸が切れ始める三十一日

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)370

アチャラカ結構となる三十一日

 三月三十一日、朝日新聞は「沖縄本島に船団近接 艦砲射撃、逐日激化す」と米軍の動きを記している。

 二面に「疎開者へ憂ひなき取計らひ 人も荷物も無賃」と。

 読売新聞は、「敵は米英連合・太平洋の総力」「艦隊増強、船団近接 沖縄本島上陸切迫す」とある。その隣に、「敵、セブ島に上陸 わが守備隊激戦中」。「我斬込み益々猛威 執拗の敵に多大の出血」「ルソン」の記事がある。

 清沢は、「近頃の電話は、どこへかけても通ぜず。電話は受けつけず。交通機関は半麻痺状態だ」と書いている。

 ロッパは、相変わらず混雑する地獄の省線に乗って、大満員の東横映画劇場へ出かけている。また、「日劇が、こうなってから開くことになった、映画でなく、劇場として開くのだと言う。映画の方も、もう何をやってもいゝ、アチャラカ結構と言って来た」と、期待している。

 前述(二十九日)、内務省よりの命令「何でもいゝ明朗闊達にやれ」は、市民の心情を慮っての判断であろう。しかし、市民の娯楽を制限してもしなくても、市民の戦争遂行にはあまり関係ないことに気づくことになる。にもかかわらず、政府・軍は戦時中ということで、自粛から禁止と制約を強めて行った。その理由は、娯楽に内在する反戦的な言動を防ぐためであり、自由な表現の拡散を防ぐためであったのであろう。