山野草 その2

山野草 その2
 
桜草
イメージ 3 近年、フラワーショップの店先で、「サクラソウ」と書いてあるのは、そのほとんどが日本の野生のサクラソウではなく、外国産の園芸品種「プリムラ」である。
イメージ 4 花色が派手で、葉や花弁の大きめのプリムラと比べると、日本の野生のサクラソウは、見る人に万事に控えめな印象を与える。だが、飽きない美しさという点では日本のサクラソウに軍配が上がるのではないか。単独で見るとひっそりとした花だが、山地や河畔の野原に群生しているとまるでピンクのじゅうたんのようでなかなか見ごたえがある。
 イメージ 5江戸時代にも、サクラソウに魅せられた人々が存在したらしい。 文化文政期あたりから、園芸通たちは「あれもこれも」と守備範囲をひろげていくやり方をやめて、関心の対象を絞りこみ、「狭く深く」関わっていく方向を良しとするようになっていた。変化朝顔はその典型だが、他にもセッコク、マツバラン、ナデシコミスミソウ、オモト、サクラソウなどが挙げられる。 
イメージ 6 サクラソウの名は、『花壇綱目』(1681年)に示されたのが園芸では最初であろう。園芸書の類にも江戸初期の頃から、色々な形でサクラソウは紹介されてはいたが、文政以降には、単独でとりあげられるほど出世して、『桜草作伝法』(文政ごろ.作者不明)『桜草勝花品』(天保6年.1835年.蕈渓草主人)『桜草花形帳』(安政ごろ.集花亭)『桜草名寄控』(万延1年.1860年.染植重)など多数刊行されている。
 サクラソウの江戸時代ならではの鑑賞スタイル、雛壇飾りは大勢の人を魅了した。また、花の種類も少なく、特に愛らしい花なので、年々サクラソウの新花コンクールが催されていることやまた、当時流行した白斑入りがサクラソウにも登場して「位定めの会合」で賞賛を浴びたことなどが、文化10年の『草木奇品家雅見』(繁亭金太)に記されてる。
江戸名所図会より
イメージ 11   同じ頃、隅田川上流の尾久原(現在の荒川区)がサクラソウの名所になり、河川敷は一面ピンクの花で埋まり、その見物の様子は江戸の風物の一つに数えられていた。文政10年、岡山鳥『江戸名所花暦』には、着飾った人々が酒や様々なごちそうをこおりに入れて持ち込むという、桜の花見とほぼ同じようなサクラソウ見物の模様が描かれている。
 また、「未だ起きぬ 巣鴨を通る 桜草」と、周辺の百姓たちが眠っている時刻に、巣鴨を通って江戸の町に桜草を売りに行く姿を伝える歌がある。サクラソウが、庶民の間でも広く愛されたことを証明している。
  
 
撫子
野山草より
イメージ 2  古くから日本女性をほめる際の代名詞として使われてきたナデシコの花。イメージ 12
 淡いピンクの花弁、楚々とした風情の中にも強さを感じさせる立姿・・・。日本人好みの趣のある、しかも「秋の七草」にも数えられる名花なのに、なぜか生花における扱いは芳しくなかった。室町時代花伝書『仙伝抄』には「平生は立つといえども祝言に忌むもの」として「カワラナデシコ」の名が挙がっているし、実際立花では下段ものとして扱われていたようだ。その理由は「カワラナデシコ」の名が「河原者」に通じるからだという説があるが、果たしてそれだけなのかどうかはよくわからない。
 また、美術工芸の分野においてもナデシコの花が意匠となっているものは意外に少ない。あっても様々な種類の秋草の一つ、つまり「その他大勢」の中の一輪という扱いを出ていないようだ。                                                                                                     ガンピ
イメージ 1  ただ、ナデシコの仲間であるマツモトセンノウは、『本草花蒔絵』には48種も記載されている。濃いオレンジ色の直径5cm程度の花が咲く、日本産の花としては珍しく艶やかな色彩をしている。「マツモト」の名は、松本幸四郎の紋所に似ているところから付けられたとの説が有力だが、この一事からみても当時マツモトセンノウはかなり注目されていた。
マツモトセンノウ
イメージ 7  ところで、江戸時代の後期にマニアたちの手によって花合わせが催されるなど、人気花の一つであったナデシコは伊勢ナデシコ(別名サツマナデシコ.御所ナデシコなど)と呼ばれるもので、「カワラナデシコ」とは起源を異にするものである。          マツモトセンノウ
イメージ 8  江戸時代に出された専門書『撫子培養手引書』(1863.文久3年、長谷川酔香 著)によれば、伊勢ナデシコは、その原種と思われるセキチク(唐ナデシコ)が中国からまず薩摩に伝わり、それがまた、伊勢に伝わってその地で変化したものと説明されている。長い上に縮れた、まるで女の人が髪をふり乱しているような形の花で、モノクロ写真を見ると、ちょっと気味が悪いようにも感る。
セキチク                     
イメージ 9現在の伊勢ナデシコでも花弁の長さは、10㎝前後というのが普通らしい。江戸の全盛期には、見る者がのけぞるくらい、長くたれ下がった花もあったのだろう。それにしても変化朝顔といい、マツバランといい、この伊勢ナデシコといい、江戸っ子の「珍しもの好き」にはびっくりさせられる。イメージ 10 イセナデシコ